音楽よもやま話拾い集め(トミー・ジェイムズ&ションデルズの巻)

(初出 1998/3/2、「Spinning Spinning Spinning」)

前回は心の準備不足につき書けなかったのですが、そこで予告した通り無事にスタートにこぎつけたこのコーナーでは、自分にとって愛すべきポップにまつわるエトセトラやら奇々怪々な話とかを気ままに書き綴っていきます。その第1回は、ポップスの歴史上に残る怪奇現象を数々生み出した、その癖して第一級のポップ・ヒットを連発する業を持っていたグループ、トミー・ジェイムズ&ションデルズについて。
この人達の出世作は1966年7月に全米チャートで1位を記録した「ハンキー・パンキー」だったのですが、そもそもそれが作られたのはさかのぼること3年の1963年。ミシガンのローカル少年だったトミーが、ライバルのバンドが演奏しているのを聴いて、正確な歌詞も解らぬままレパートリーに取り入れ、マイナー・レーベルで発売。地元ではある程度ヒットしたが、学業に専念したトミーたちはしばらくそのレコードの存在を完全に忘れてしまいました。ところがその約2年後、そのマイナー・レコードが何を思ったか結構離れたピッツバーグのDJの手に渡り、彼がそれをかけるとダンス・パーティが大混乱という自体が発生してしまいます。あまりの反響に80000枚も海賊盤がプレスされ完売したというおまけまで。その状況を知って慌てたトミーは学業に専念したい旧ションデルズを残して急遽ピッツバーグに渡り、そこのローカル・バンドRaconteursをかっぱらってそのまま新ションデルズに仕立てあげます。その頃になるとこのローカルな大反響を知った全米規模の販売力を持つレーベルが噂を聞きつけ、発売権を獲得。全米チャートに登場するやいなや7週目で1位になってしまいました。ベトナム戦争の真っただ中に咲いたこのシンプル窮まりないロックンロールは、案の定ビートルズさえも関係ない時代の産物。それ故に新鮮だったのでした。日本でもレインボウズの「バラ・バラ」と並び、あまり歌わないメンバーにあてがわれる曲としてGSの間で人気沸騰しました。
さて、正式にデビューしたションデルズはニューヨークに渡り、一流のスタッフ・ライターと組んでよくできたポップ・レコードを連発しますが、その一つ一つに不思議なエピソードがあって面白いんです。たとえば......
「君と僕の世界」(I Think We're Alone Now)-これは非常によくできたポップ・ナンバーですね。66年のクリスマス・イヴにマスターが作られたこの曲は、8分音符の跳ねるベース・ラインが後のバブルガムの土台となる。ブレイクに入る虫の声もスタジオでたまたま録音したそうで不思議ですね。この曲には続きと続きが......
「恋のシルエット」(Mirage)-前作「君と僕の世界」のテープを逆回しで聴いたことから生まれた不思議な曲。コード進行・メロディなどよくきくとさかさまって感じです。一箇所実際テープを逆回しして作ったセクションも挟んでいて、心憎い演出。
「モニー・モニー」-「恋の....」の後続いたポップ路線でまずまずのヒットを続けていたが、気分転換にと久々に取り組んだストレートなロック。このタイトルの由来が、たまたまスタジオの窓から見えたニューヨークの保険会社M.O.N.Y.からだったっつーから、やっぱり偶然って怖いですね。日本でもカーナビーツがカバーしてヒットした。そしてこの曲にも続きが......
「クリムゾン&クローヴァー」-1969年に「クリムゾン」と言ってNo.1ヒットになったのは「宮殿」だけではなかった。単純なポップ・レコードの繰り返しからの脱却を図り、思いきりスローなテンポにしてちょっとサイケを加えた異様なムードの曲。例によってタイトルは思いつき。最後のほうではボーカルにトレモロをかけてまじでサイケな音を出している。
「スウィート・チェリー・ワイン」-スウィートなタイトルとはうらはらにゴリゴリの反戦ムードを打ち出した作品。ここでもエフェクターをかけたコーラスを使ったりとサウンドは凝りまくってます。
「クリスタル・ブルー・パースエイジョン」-この辺になると単純ポップからはかなり脱却してます。タイトルは旧約聖書から頂いたそう。ラスカルズの「グルーヴィン」に近いのりで、今考えるとソフト・ロックと言っていいかもしれぬ。
以上7曲のTOP10ヒットと12曲のチャート・ヒットを残し、70年にトミーがソロとして独立、バンドの歴史にピリオドが打たれたわけです。しかし、彼等にまつわる不思議現象は、さらに続きます。
1978年、リーナ・ラヴィッチが「君と僕の世界」をデビュー・シングルとしてカバー。プロモ盤にのみ収められた日本語ヴァージョンが話題となる。その18年後、アメリカのB級映画「ビバリー・ヒルズ・ニンジャ」にその日本語ヴァージョンが使用された。
1981年、ジョーン・ジェット&ブラックハーツがNo.1ヒット「アイ・ラヴ・ロックンロール」に続くシングルとして「クリムゾン....」をカバー。ジョーンのマネージャーだったケニー・ラグーナが昔トミーのスタッフだった事を茶化すためにカバーしたそうだが、結果としてベスト10に入った。
1982年、ジェネレーションXのリーダーだったビリー・アイドルが、初のソロEP「アイドルを探せ」(なんてタイトル)の中で「モニー....」をカバー。その時はラジオ・ヒット止りであったが.....
1987年、10代の新人ティファニーが"I Think...."をカバー。邦題は「ふたりの世界」に変更。女性アイドル・ブームに湧いていた当時のアメリカで歓迎され、トミーの最高順位4位を上回るNo.1ヒットになる。日本では仲村知夏が「ひとりぼっちに帰らない」としてカバーした。そして.....
1987年、ビリー・アイドルの「モニー....」がライヴ・ヴァージョンで再リリースされ、じわじわとチャートを上昇。これもトミーの3位を凌ぐNo.1ヒットになる。このビリー・アイドルの「モニー...」がチャート1位を奪った曲はなんと......ティファニーの「ふたりの世界」だった。これぞ超不思議。トミー自身も「信じられない」と飛び上がり、2曲両方に作曲家として関わったリッチー・コーデルも印税稼ぎまくり。こういう現象は恐らく二度と訪れることはないだろう。最後に.....
1996年、「ビバリー・ヒルズ・ニンジャ」のサントラの日本盤に収録されたリーナの日本語ヴァージョンに、「謎の外人が歌うティファニーの「ふたりの世界」の変な日本語カバー」というコピーがつけられる。とほほ.....ティファニーの方が9年後なのに.....
ってことでいかがでしたか? 手元にあるベストCDを今聴き返してみると、軽快なポップ・グルーヴに解りやすいメロディ、そして意表を突くアレンジと、ポップスの真髄が見事にそろった曲揃い。今が旬の「パワー・ポップ」のルーツとして捉えることも出来るし、ある部分ではソフト・ロック的でもある。シングル・カットされなかったが他のグループでヒットした"Sugar On Sunday"なんて本当にそそる名曲だね。このライノ編集による27曲入りベスト"Anthology"は一時期東芝から国内盤も出ていたが、現在は廃盤みたい。2枚組の新しいベストも出たそうだが、未発見。っつーわけで「ポップ歳時記」、この乗りで今後もどんどん続けたいと思ってます。

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