| その31 | 海部希有子/いろは |
|
ワーナー/1998年4月発売/中古(わけあり盤)購入 発売当時からたまらないオーラを放ち、要チェキと思っていた一枚だったが、結局入手に至ったのはその約2年後のこと。帯とか見てもアーティスト名とタイトル以外の情報が皆無ってちょっとアレですもんね。で、結局中ちゃんで安く売られているのを見つけてすかさず掴むという、いつものいけないパターン。 書き出しから懺悔くさくなってしまうのは仕方ない、これはかなりの好盤ですから。相当長い間、棚の前の方にあったような気もするが、時は巡っていつのまに棚の奥。でもひっぱり出して聴いてみるとたまんなく素敵な作品だと思ってしまう。こういう事を新品の段階でやってあげないと、アーティスト寿命が伸びないわけですよ。だからこそ懺悔、なのです。 1998年にこの作品をひっさげて登場した時は、小説も書くシンガー・ソングライターとしてちょっと話題になったのが、この海部希有子である。以前、棚の奥で取り上げた及川ひろみのアルバムに作詞家として参加するなど、裏方としての活動をこなした後、満を持して本作でデビュー。小説も書くということで内省的ワールドを期待すると、オープニング曲から爽やかに裏切られる。言葉のひとつひとつが重いのに、フットワークは見事に軽快。清楚な歌声が更に聴く者の耳をさわやかにくすぐる。この「Sha La La」以下、全曲の作詞作曲を彼女自身がこなし、編曲は久保田利伸一派の羽田一郎と、最早ハロプロ絡みで最前線へと躍り出た鈴木(DAICHI)秀行の2名が担当。所々にひねりを効かせつつも手堅くポップなサウンド作りで彼女のメロディをもり立てている。後の元ちとせや一青窈を予感させる曲もある一方で、「洗濯機が壊れちゃった」(字面だけだと「き◯◯まが右に寄っちゃった」みたい.....)みたいな他に類を見ないユニークな曲もあったり、一筋縄ではいかない世界を展開してくれる。これは90年代末期の見過ごされた名盤の一枚に認定してあげたい一枚。 (初出: 2005年4月15日) |
| その32 | 岡崎葉/Damage |
|
ポニーキャニオン/1995年6月発売/中古購入 前回に続き、これもまた「いつかの棚の奥」の続き。その9のsaworiのアルバムでスタッフとして名前の出た岡崎葉の、歌手として残した唯一のアルバム。殆ど気づかれぬまま出て去ったという印象だが、その割にこのアルバムのジャケットは鮮烈で、常に「気になるラインナップ」に入っていた。結局買ったのは2000年になってから中古で、といういけないパターンであるが、背文字が目立たないのに手にしてこのジャケを確認したら「あー、これか!」と。もうほんとやった! という気分でしたね(失礼)。 元々は女優として活動してた人らしく、このジャケからもモデルっぽいオーラが漂ってくるが、それ系にありがちな本人の作詞は1曲半と意外に少なく(最近はちぃの声優さんのアルバムにも詞を提供したりしている)、サウンド面では伝説のユニットTPOで知られる岩崎工や、saworiにも関わっていたMASTER MINDがバックアップ。歌詞カードを開くと、期待通りフレンチなイメージが漂ってくるのだが、サウンドの方は鮮やかに裏切ってくれる。勿論アンニュイなヴォーカル・スタイルを披露する部分もあるにはあるが、それ以前にこの人の歌声の持つ魔術は蔑ろにできない。流行の先端としてのフレンチ気触れとは一線を画す媚薬的な歌声が、攻撃的な打ち込みサウンドと一体となって聴く者を魅了してくれる。まず安野ともこを思い出したな。アイドル・ポップスがちょっと進化した位のこの感じが、今聴くと丁度いいなという気がするのだが。あまり激しく気触れちゃっても困るんだよね、渋谷系みたいに。 8曲目「あの頃リセエンヌ」を聴いて思い出したが、そうか、ヴァネッサ・パラディのレニー・クラヴィッツ・プロデュース作(92年)の影響力が未だ絶大だった時期のアルバムなんだよなぁこれ。私もあのアルバムの事は忘れられない、お手本としてずっと座右に置いておきたいと思ってる一人です。 (初出: 2005年4月18日) |
| その33 | madoka/Seven Faces |
|
クラウン/1998年8月発売/中古購入 これが発売された98年は、Misiaの突如の登場&ブレイクで和製ディーヴァ・ブームが一斉に起った年であったが、その影響がかえって没アイデンティティーな名前の歌手を次々と誕生させるという結果に。そのせいで、検索しても的確な結果を導き出し辛くなるというweb制作者泣かせの事態に....まぁ、その辺を逆手にとってしまった奇特な方も巷に現れたりしましたけどね。 ところで、このmadokaって、どのmadokaでしょうかね? ってのはさておき、この歌手の事を知ったきっかけは、ルル網史上三大黒歴史の一つに数えられている某事件においてである。詳細に説明しすぎるとまた大変な事に成り兼ねないので止めておくが、少なくともその某事件の登場人物とこの人が直接関わったのは確実である。ただ、それから1年経たぬうちに発表されたこのアルバムのどこにもその方の名前が記された形跡がないので、きっと何かあったんでしょうなぁ......いずれにせよこの名前がずっと脳裏に引っかかっていたので、関西行きの際は必ずお世話になっている三宮のMという中ちゃんでこれを激安価格で発見した時は、すかさず掴みに至りましたね。ムフフ。もしかしたらって線もあるので新品で買いたくなるわけないじゃないですか! プロフィールによると、当時21歳。好きな歌手はダイアナ・ロスとかジャネット・ケイとか.....本格派というよりカジュアルっぽいディーヴァを目指してみましたという感じ? それでもアイドル系バックグラウンドはあまり感じられないし、微妙な立ち位置の人という印象だ。歌唱の方もそんなに力が入っていず、何となくソウルフルという感じか。ただ歌い込みすぎるとちょっと苦しそうという印象はある(特にラストの曲)。表ジャケでは確認し辛いのだが、地味なワンピースの水着写真をあしらっている辺り余計混乱させられる。楽曲の創作面に於ける本人の貢献はなし。本格派ソウルに足を踏み込んでいない分気軽に聴けるし、ガールポップからディーヴァ系へと繋がる分岐点として捉えれば納得なのではないか。いい意味での一般人っぽさ、加えてクラウンのレーベル・カラーでちょっと王道から外れた感覚がかえって新鮮かもしれない。 (初出: 2005年4月20日) |
| その34 | ヘキサポッパーズ/コマリンコ! |
|
TOWN HOUSE/2000年2月発売/新品購入 今日の主役は、今再び乙女ピュアポップ系の聖地として注目を集めている京都に密かに咲いた名花。そもそも関西のインディーズ・ポップ・シーンに対する興味は尽きなかったし、現地のインディーズ・ショップでの衝撃の出会いから深い相互理解へと発展したアクトも数知れないが、やはりインターネットの登場ってのは大きかったなぁ。何気なくリンクを辿る事で新たな出会いが生まれ、オンライン・ショップで30秒試聴してそそられて.....そんなわけで特に2000年前後には有意義な発見が相次ぎました。 昨日遂に全国区デビュー(メジャー・デビューではないものの、遂にこういう形でCDをリリースすることにこぎ着けたってケースはこう呼ぶしかないんですよね)したマシュマロハ長調のゆみさんがかつて組んでいたユニット、la,めとろん(いくらなんでもiTunesに彼女達の曲を入れてる人は自分位だろう...)と共に、京都の乙女ポップ注目デュオとして密かに期待していたのがこのヘキサポッパーズ。丁度花*花を聴きまくってた時期だったので、自然とポスト花*花として盛り上げたくなってたのかもしれないが、かなりのユニークなセンスの持ち主。マキシ・シングル扱いとなっていながら5曲収録とアルバムの片面位のサービスで、そのポップ・マインドを遺憾なく見せつける。プレスCDではあるものの敢えて作り込まれた感じにしていないのも人柄の成せる技か? 作り込んじゃうと魅力が半滅してしまいそう。脱力系の要素も結構入っているタイトル曲にしても、曲の練り方に相当のひねりが感じられるし、ぶっきらぼうなハーモニカを入れてる所にやられる。京都のラジオ局のローカル・チャートでは、かなりのヒットを記録したらしいよ。4曲目などスローンのピアノ系バラードみたいだし、転じて5曲目は英語詞でグルーヴ・ロックっぽく迫るなど、好き者魂を心得てるなって気もする。 で、本編は5曲でおしまいだが、6曲目に必殺隠しトラックが! 何と6分間も。これで一気にファンになってしまいました! 宅録少女魂全開です。 この後の飛躍も期待された彼女達だったが、結局2002年に解散。ふつーの女の子に戻ったか、それとも? 一度もライヴ見られなかったのが惜しくてしょうがありません。 (初出: 2005年4月22日) |
| その35 | マーブルトーンズ/メイキング・ミュージック・フォー・サンデイ・ジェット・ラグ |
|
ミディ/1999年9月発売/わけあり盤支給 現職場前部署に転がっていたわけあり盤の山から失敬の一枚。特にそそりまくりというわけではなく、日曜軽音楽感覚で取り組まれたカヴァー作品集というレッテルにちょっと惹かれた程度。まぁ、物を買う以外のケースの場合は、多少感覚が緩慢になっても仕方ないです(困るのは棚が膨れ上がるのだけっつーことで)。「ポップスの2000年問題は解決された」という大げさなコピーが帯に躍っているが(まぁ、このアルバムの8日後に発売された某シングルが、逆に2000年問題を起こしたのではというのが我が持論であるが)、逆にその匿名性とか制作役割分担の曖昧さがかえって謎を呼びまくり、聴いてて安心できない作品を形成してるのだからたまったもんではない。発売当時は「日本のステレオラブ」とか言ってた人もいたというのに。一体どういう魂胆で? スザンヌ・ヴェガ「トムズ・ダイナー」からスティーヴィー・ワンダー「マイ・シェリー・アモール」へと繋がる初盤は、女性ヴォーカルがフィーチャーされてとてもお洒落なポップという感じ。密室的変態性のかけらは全くない(ちなみに私がそれを堪らなく感じる名盤と思ってるのが、同じく全編カヴァーから成るモーガン・フィッシャー『ハイブリッド・キッズ』(’79年)である)。それがスウィング・アウト・シスターの「ブレイクアウト」になると、何故かアトムの足音がサンプリングされたり、お洒落でありつつ破壊的音響にまみれた解釈にまさに「Break out!!」。後半の「イパネマの娘」や「遥かなる影」といったスタンダード色の濃い曲でも、大胆な解釈がかえって「名曲色」を呼び覚ます結果となっている。それを遮るように中盤に配された問題作が、あの『ペット・サウンズ』のラストを飾るマスターピース、「キャロライン・ノー」。メランコリックな歌詞が一切排され、フォークウェイズの効果音レコードからサンプリングされたカエルの合唱と、多重録音された各種リコーダーの音が別世界へと誘うアレンジに仕上がっている。 ヴォーカルなしでこの曲の孤高感を描こうとしたら、かえって滑稽になったというか、ライナーにあるようなリコーダーの清々しさを前面に出すのにはこの曲はかえって不似合いだったのではなかろうか。自分だったらちゃんと女性シンガーに歌ってもらって(もちろんそのままの歌詞で)、その後リコーダーのソロを10分間位入れるだろうなぁ。もちろん奏者は浅井愛さんを指名しますよ(ちなみにこのマーブルトーンズ・ヴァージョンは安井功氏の担当。このアルバムにも全面協力している斉藤哲也氏のユニット、アンダーカレントでは浅井さんが大活躍しているのだが)。安らぎと不安が行ったり来たりのこのアルバムは、混沌感に満ちた「愛こそはすべて」で幕を閉じる。まったりとした日曜の午後には列車の音など似合うわけがない。 (初出: 2005年4月27日) |