3月の「ココロの寄せ鍋」(隠し味:ひな菊の花) Emitt Rhodes "Listen Listen: The Best of Emitt Rhodes" Varese Vintage [US] VSD-5591 (95年発売)
ブライアン・ウィルソンがホーソンに生を受けた6年後、同じ町にて産声をあげたこの男こそ、1970年、全ての楽器をこなすマルチ・ミュージシャンとして颯爽と登場、ロック界に静かな嵐を巻き起したエミット・ローズ。その業績がまともに賛えられるようになったのは、少なくとも80年代中期より後のことであった。ロックが多角形に屈折しつつ前進していた70年代には、マルチ・ミュージシャンとしての存在は重宝されたものの、そのピュアな音楽が正当に評価されたことは殆どなかった。トッド・ラングレン程世渡りが上手くなかったせいだろうか。それともラズベリーズ解散後のエリック・カルメンの様に、一般受けするイメージに迎合するほど柔軟じゃなかったのがいけなかったのか。とにかくアルバム3枚を発表したあと、70年代中期から彼は長い沈黙に入ってしまったのである。もちろん曲作りなどはしていたのだが、それを発表するチャンスがなかなか巡ってこなかった、あるいは不運な巡り合わせによってチャンスを逸した、そんな不遇な時代が続いた。
そんな状況がまず変ったのが、1984年。女性バンド、バングルズのメジャー・デビュー盤「気分はモノクローム」の中で、エミットの60年代後期のグループ、メリー・ゴー・ラウンドの"Live"がカバーされたのだ。これを境に、ピュアなポップを追求する西海岸界隈のミュージシャンの間で、MGR及びエミットのソロ作品の再評価が高まった。85年にはライノからMGRのベスト盤がリリースされた。これはA&Mから発表されたMGRのアルバム、シングル曲に加え、後で詳しく述べる「アメリカン・ドリーム」というアルバムの中の曲も選ばれた優れもので、このLPをきっかけにエミットの音楽に魅せられた人が急増した、と思われる。さらに翌年にはイギリスのSee For Milesよりエミットのソロ・アルバムからの曲を集めたコンピ"Fresh As A Daisy"が登場。コンピといっても、内容はファースト・アルバム全曲プラスセカンドから4曲、サードから2曲というもので、ファースト・アルバムの歴史的重要度を物語るにすぎない。最近MSIから出たCDも同じ様にファースト全曲を中心とした構成となっていた。
90年代になると、宅録、インドア・ポップ、パワー・ポップなどの文脈からエミットへの再評価がさらに高まり、遂に本国アメリカでリリースされたのが今回紹介するベスト盤。再発プロのヴァレーズだけに冴えまくった仕事ぶりで、A&MのMGR音源を6曲収録。残る15曲中ソロ・アルバム収録曲は13曲で、あとアルバム未収録シングル1曲、そして「不遇の時期」に作られていた幻の未発表曲1曲まで収録というまさにエミットのキャリア集大成というべきアイテムである。
まずは初盤を固めるMGR関連作品。(1)"Live"は67年発表、LAローカルではかなりのヒットを記録したデビュー曲。フォーク・ロックを基調にしつつ独自のポップ色がすでに花開いている名曲。そのB面(2)"Time Will Show The Wiser"はフェアポート・コンヴェンションがカバーしたことでも知られる。テープ操作や凝ったアレンジをさりげなく使ってみせるところが、サイケと一味違うポップ感覚を漂わせる。第2弾シングル(3)"You're A Very Lovely Woman"は穏やかなバラードで、ポール・マッカートニー的センスの良さが発揮されている。と思えば(4)"She Laughed Loud"や(5)"Listen Listen"はかなりタフなロック。といってもサイケの様に屈折せずまっすぐな印象で、これぞパワー・ポップの萌芽というべきもの。この2曲は先のライノのベストLPで初めてアルバム化されたシングル曲。(6)"'Til The Day After"は71年リリースされたアルバム「アメリカン・ドリーム」に収録されていた曲。これはMGRの未発表マテリアルやA&M時代にソロで録音したデモなどに手を加え、ダンヒルからのソロ・アルバムの成功に便乗してリリースされたいわくつきのアルバムで、MGRのセカンドといっても違和感ないもの。日本では90年にMGRのファーストがポニーキャニオンからCDでリイシューされ、そのままの形でポリドールからリイシューしたものが今でも手に入るが、出来ることなら「アメリカン・ドリーム」全曲と未収録シングルを全部足してコンプリート盤にしてほしかったものである。ビル・リヴェンソンなら絶対それを望むだろうが。
さて話を元に戻して、(7)から(13)までの7曲がファースト・ソロ・アルバム「Emitt Rhodes」からの収録。このアルバムは4トラックのマシンを使って彼一人が何から何まで手がけて録音したもので、最後の仕上げをカート・ベッチャーとキース・オルセンが担当。自家製のサウンドに深みを加えるミックスに仕上がった。シングル・ヒットした(7)"Fresh As A Daisy"(「恋はひな菊」)以下、ポップ・メロディが最大限に活かされた楽曲が並び、決して飽きさせない。元々プロとしてのスタートがパレス・ガードというグループのドラマーとしてだけあり、ドラムから組み立てたと思われるサウンドがかっちりしてる。ローファイさを醸し出しているピアノの音、そしてハーモニーの渦と、混沌の60年代から美味な部分を取り出しつつも、「俺流」のポップで突き進むエミットの心意気をめいっぱい感じることができる。
しかし、これがちょっと成功したことで彼はショウビズの厳しさを知ってしまう。並のポップ・スターの様にアルバム年2枚発売という契約は、何せ全てをこなしてしまうアーティストには相当きつい。のしかかるプレッシャーのためアルバム制作にかかる時間はさらに増してしまう。そんな状況の中作られたのが71年発表のセカンド・アルバム「Mirror」で、ここでは(14)〜(17)の4曲が選ばれている。ファーストの素朴さは後退したものの、さらに練られたタイトなサウンドが聴ける作品。と同時に70年代ならではの内省的感触も少しづつ顔を見せ始める。決定的名曲に欠けるものの、彼らしさが味わえるアルバムとしては捨てたものではない。
3枚目のアルバム、73年の「Farewell To Paradise」になると、増大するプレッシャーのせいか作風はより分裂したものになる。純粋なポップとして楽しめる曲が数えるほどしかなくなっているのだ。SFM盤同様、たった2曲だけしか選ばれていない(ただし2曲とも違う曲)というのも不思議ではないが、個人的にはこの手の焦点を欠くアルバムにかえって魅力を見い出してしまうから今後もちょくちょく聴きそう。このベストに選ばれた2曲、(18)"Warm Self Sacrifice"、(19)"Shoot The Moon"ってのはどっちもそそらない方なんだけどなぁ。このアルバムに先駆けてリリースされたが、アルバムに収録されなかったシングルが(20)"Tame The Lion"で、ベトナム戦争への露骨な反感を歌った曲。曲調はどっちかというと冴えない方だが。いずれにせよ初アルバム化でうれしい。後に出たMSI盤CDにも収録されている。
このアルバムの後、長い沈黙に入るわけだが、ブライアン・ウィルソンの様に完全破滅の道に足を踏み入れなかったのは幸いであり、この時期彼はエレクトラのA&Rとして地味に仕事をこなしていたのである。そして80年、重役の勧めで再びスタジオ入りして3曲をレコーディングする。その内の一曲(21)"Isn't It So"がこのベスト・アルバムを締めくくる。ありがちなAOR系の曲ではあるが、背景を考えると心を動かさずにはいられない。しかしその重役の異動が災いして、エミットのカムバックはまたも実現せず、さらに長い沈黙に入る。
そして、このベスト・アルバム発表などを経てさらに盛り上がる再評価の嵐の中、97年遂に久々のライヴを敢行。そしていよいよニュー・アルバム発売という噂もぼちぼち伝わっている。20世紀の終わり、このポップのルネサンス・マンが何か特別な事を起してくれるのはまず間違いなさそうだ。