TOO MANY SUMMERS....AND OUR DREAM CAME TRUE.
唐突ですが、丸芽が初めてそのアーティストのLPを買ってから初めて生演奏に接するまでに要した期間。(3年未満は省略。加羽沢美濃を始め「同時」も多数。3年以上でも省略したものもある)
3年-プリンス('86)。
4年-レニー・クラヴィッツ('93)。
6年-R.E.M. ('95)。
7年-クイーン('82)。
10年-ミック・ジャガー('88)。
11年-ピンク・フロイド('88)。
12年-ローリング・ストーンズ(ミック以外-'90)、キンクス('93)。
13年-トッド・ラングレン('90)。
14年-フェリックス・キャヴァリエ('95)。
15年-ジョン・エントウィッスル('95)。
16年-ジョージ・ハリスン('92)。
17年-ポール・マッカートニー('93)。
19年-リンゴ・スター('95)。
20年-ブライアン・ウィルソン('99)。
まさに「待ったこの日」。一ビーチ・ボーイズ・ファンとして、一ポップス愛好家として、しがない音の紡ぎ手として、待ち続けたこの日が遂にやってきた。ブライアン・ウィルソン来日公演。
厳密に言うとビーチ・ボーイズは1991年に一度来日(通算3回目)している。当時の日記によると、新聞発表にはブライアンも含むとあったとのことであるが、実際は彼抜きの核がないラインナップだった。そんなグループを、炎天下のセントラル・パークならまだしも日本武道館で見ようなんて夢にも思わなかった。案の定後日TV放映されたそのコンサートで聞けたボーイズの歌声は核心を欠いたものでがっかりしてしまったが、ブラウン管の前には彼等と一体となってヒット曲の連続を口づさんでいた自分がいた。たった一つ印象的だったのは、観客の反応が一番大きかったのが「ペット・サウンズ」の曲が演奏されたときだったことだ。ビーチ・ボーイズ・ファンの在り方も変わったんだなあ。(91年といえば「ネヴァーマインド」と「ヘッド博士」の年でもあった。) しかしこれらのヒット曲の心の在りかは、他でもない作者のブライアン自身なのだ。そんな彼が、ついに戻ってきた。旺盛な創作意欲とファンへの感謝の気持ちと共に。20年前、江の島に於ける「アメリカズ・バンド」のステージの片隅で置物同然にされてしまっていた天才は、奇跡的に「生きる天才」として我々にハローと言いにきたのだ。誰が責めることができようか。
客電が落ち、ブライアンの偉大な業績を濃縮したビデオ映画が約20分間上映される。ファンとしては散々解り切った展開であっても、高揚感を煽るに充分。そして音声が1965年のセッションの模様を克明に再現すると、いつしか「やり直し」のテイクはステージ上のバンドの演奏へと引き継がれるのだった。ついにスタート。ステージ中央にセットされたキーボードに向って、波長を放つブライアン・ウィルソンがそこにいる。
ギター・リフ一発でもののけを切り裂いてみせたキース・リチャーズも、「グッゴー」一発で腰を玉砕したJBも凄かった。しかしブライアンは、いるだけで凄いオーラを放っていた。地球上のあらゆる喜怒哀楽を背負って生き延びて来たこの男が、幸福感いっぱいの表情で客席に向かい合っている。ステージ上で鳴り響く楽しい音楽にもかかわらず、最初の数分間はただ呆然とその瞬間をかみしめるだけだったのだ。いきなり65年の地味な中ヒット曲"The Little Girl I Once Knew"。この始まり方はジョージ・ハリスンが"I Want To Tell You"でやって以来の意表の突き方。続く"This Whole World"は大好きな曲だけど、まだまだ熱くなれない。ブライアンの歌自体はまだ完璧の境地に行っていないし、キーボードも実際弾いているのかどうか。しかし、在る事。これの重要さは何事にも変え難い。そして彼の存在を支えるバック・メンの手腕と人柄の素晴しさ。およよ、もう大名曲"Don't Worry Baby"ではないか??? ぐわぁー。言葉にならない熱い感情が駆け巡る。"Kiss Me Baby"を経て、「昔弟たちとハモッた曲」との前振りでスタートしたのはあの"In My Room"。簡素化したバッキングに乗せて駆け巡る完璧なハーモニー。もちろんビーチ・ボーイズではない。彼等はもう戻ってこないのだ、悲しい事に。しかし彼等に迫らんという心意気は圧倒的だった。最初の「泣き場」だった。その調子で"Surfer Girl"へ雪崩込む。美しすぎる瞬間。エンディングのしめ方も心憎い。「もっと楽しいのいこう」の一言で"California Girls""Do It Again""I Get Around"とたたみかける。お客さんは手拍子の仕方とかちゃんと心得ていて、皆彼を暖かく見守っているという感じだった。「じゃここでバンドのみんなに演奏してもらおう」ということで始まったのはなんと、「ペット・サウンズ」の中のインスト曲"Let's Go Away For Awhile"だ! なんという魔術的な場面転換! ブライアンは観客に背を向け、バンドの演奏をじっくり監督している様子。その完璧な演奏技術により、我々は66年のウェスタン・スタジオとLAの木漏れ日へと連れて行かれる。ああ、ここで僕と彼女は運命的な別れへと導かれたんだっけ.....ちょっと出ようよってね.....あの時の犬は、まだここにいたまんまだ.....。インストのセットは更にアルバム・タイトル曲"Pet Sounds"で盛り上がる。ブライアンはあのアルバムの裏ジャケが撮られた場所に向かったのだろうか。そんな気分が頭を駆け巡る。やっと去年のアルバムの一曲"South American"を挟んで、おもむろに立ち上がって始まったのは"Surfin' U.S.A."。からっとしたアメリカでも、じめっとした日本でも、この曲は夏の絵日記である。最前列で握手してもらったファンは幸せそうだったな。第一部のラストは"Back Home"。ちょっと出ようよ。
自分も実は最前列にいたのだ。といっても2階のだけど。2階といっても実質的には6階に等しい。しかしその分、遠くて近い不思議な距離感("Nearest Faraway Place"?)でブライアンを眺めることが出来た。幸せである。さあ第2部はいきなり「ペット・サウンズ」曲2連発、"Wouldn't It Be Nice""Sloop John B."。幸福感をめいっぱい身体に授かったという感じでスタート。そして"Darlin'"。元々は去年亡くなった弟カールの名唱で知られたナンバーが遂にブライアンの手に戻ってきた。「毎日、何らかの形で音楽と接していると幸せだね」というメッセージを含んだ"Add Some Music To Your Day"と、夢のような曲の応酬は続く。新作からの"Lay Down Burden"は亡きカールへの想いが充満した名曲で、再度泣きモードへと突入。「タイトルに神と入れるのは勇気がいったけど、自分が書いた中でもっとも素晴しい曲」との紹介で始まった名曲"God Only Knows"ときて、33年経っても全く色あせない"Good Vibrations"へ。ここまで来ると最早夢中モード。ああ名曲の紡ぎ手が今自分と同じ時を過ごしてくれているんだ.....再度新作からの"Your Imagination"を続けてくれたことで、今のブライアンの好調さを思い知らせてくれたのもうれしい。もう一つ大ヒット"Help Me Rhonda"を挟んで本編のラストは.....な、なんと"Be My Baby"だ! ブライアン自身越えることができないハードルと認めているこの曲を、死が間近に迫っていたゲイリー・アッシャーの手を握りながら繰り返し聴いたというこの曲を、そして丸芽にとっても今後何が起ころうが初めて自分の存在を公なものにする媒介となったということで超重要なこの曲を、この崇高な体験でみんなに贈ってくれたのだ。ポップ・ヘヴンとはまさにこのことである。ありがとう、ありがとうブライアン!!!! 泣けまくりました。ほんと。
一旦引っ込んだあと、ブライアンは東京読売巨人軍のハッピを来て登場。上等な演出だよね(横浜アリーナでこれをやったらいくらブライアンでも......許すだろ。) アンコールの1曲目はこの泣きモードにさらにギアを入れてくれる名曲"Caroline No"である。ブライアンにとって最大限の痛みを音楽として昇華したこの重要な曲は、去年の冬頃の自分にとって身にしみすぎていた。そんな事を思い出すとまた涙......。ブライアンの力が入った歌声は感動的すぎた。私ゃ今にも2階の最前列とその下を遮る敷居から落ちる寸前まで行きました。そして"All Summer Long"。「夏の間中楽しかったね」。でも僕達の夏はこれからだ。充分勇気をインプットされました。ラストは"Barbara Ann""Fun Fun Fun"連発でスパーク状態。炎天下、水着のおねえちゃんを肩車してなくても、充分永遠のビーチ・ボーイズになれたそんな瞬間だった。
この余韻を残したままバンドとブライアンは一旦引っ込んで、そして熱い拍手に応えて再々度登場。「君達に愛の歌を捧げるよ」で歌い出した崇高な歌は.....そう、11年前LAの空の下で初めて聴いて心をキュンとしてくれたあの曲、"Love And Mercy"。「君と君の友達に今宵愛と慈悲を」。もはや愛も慈悲もない痛んだ世紀末をそっと癒してくれるのは、ブライアンのこの歌しかない。またも落下寸前。しばらく平伏し状態。ありがとう。本当にありがとう。ブライアンと一夜を過ごせた歓びは何事にも変え難いだろう。
というわけで振り返ってみたら、ビーチ・ボーイズをテレビで見た時と同様ずーっと一緒に歌ってる自分がいたのでした。しかしあの時の、欠けてる何かを補おうと必死に歌ってた自分ではもちろんない。ステージ上でメッセージを伝える役に徹していたそれらの曲の紡ぎ手に対する最大限のリスペクトを唇の動きに反映させ、皆で名曲群を共有するために。彼に対して幻滅したとかしっかりしろとかそういう言葉を浴びせる輩なんていてたまるか。ここはブライアンの心意気をちゃんと理解してあげないと。もちろんポール・モーリアみたいな「 ブランド」と彼の世界は異質だし、バート・バカラックみたいに優秀な表現者がいてこそ引き立つ夕べでもない。20世紀のアメリカ大衆音楽の色を決定づけた男の「今」と、「今」に対する気合いが導いた「名曲」の宴である。オープニング・ビデオが終盤に差し掛かるころ小汚いヤジを飛ばした奴、お前解ってないよ全然。
永遠に忘れられない日、1999年7月14日。

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