気ままな語り倒し過去記録。
Case 30:
1月31日朝放映の「めざましテレビ」の1コーナーで、違法コピー問題とCCCDについてちょっとした特集が組まれていた。普段どんな発言をしてもついつい納得させてしまう大らかな心の持ち主、小島奈津子(元)アナ(奇しくも前日、宝石の似合う著名人かなんかの30代部門大賞に選ばれたばかり)に対しても、この時ばかりは怒りが収まらず。いや、なっちゃんの考えなんかじゃないのは確かだが、テレビ局が伝えねばならないことの代弁者として、ちょっとそれはないだろうとストレートに怒ってしまったのは仕方ないことだ。まず、過去一年間のCD総売上枚数が3億5千万枚なのに対して、CD-Rを使った違法コピーの枚数は2億5千万枚とのこと。これを見て、本来なら6億枚音楽CDが売れている筈と思わせるような伝え方が間違っている。パソコン・データのバックアップやら何やら、CD-Rの使い道は本来買われるべき商品を買わずに済ますだけじゃないのは明確ではないか。街頭インタビューに答えた奴らもいかにも何も考えてないってような言い方してたし。顔映せって言いたい。街で見かけたら蹴らせてもらうからさ。
続いて何故売れないかという問題の具体的検証のために過去10年の年間売り上げデータが映されたのだが、これを見てもただただ95年前後が異常すぎたという考えしか思い浮かばない。まさにあの頃は歌われ捨てられる為に買われていたという凄まじい状況だった。おニャン子帝国だった85〜87年の方がまだ売上げ的に陰鬱だったと言い出さないところがさすがにCXという感じがした。結果的に中古CD店での買い取り拒否アイテムの増加に繋がるのだが、中古CD店の功罪ってのも考えようである。先頃ツタヤのバーゲン・ワゴンの前を通り縋って、物凄い数の人々がワゴン前で押し合いになっている光景を見ながら(いや、自分も参加したことは否定しないが)、これが音楽業界の敵だとしたら我々好き者はどうすればいいんだよと嘆きまくった。結局中古CDの話は出なかったものの、ヒッキー・ファーストのめちゃ売れ(あの時は「だんご3兄弟」という実に象徴的アイテムが併走していたから仕方ない)を境に、情報伝達社会も様変わりして、みんな手軽な方向に歩み始めたってことを語るべきだったと思うのだが。まぁ、自分が頑なにブロードバンドの誘惑を拒み続けてるってのはこの辺の事情が絡んでもいるんだけど。(ちなみにヒッキーの新曲は個人的に「Automatic」以来まじでいい曲と思ってるんだが買うとなるとなんかなぁ......そうだよ、そんな考えがいけないんだよっ! 自分のバカっ! といってもヤでも売れない訳がないヒッキーなんだからいいじゃん。「おさい銭」とかだったら話は別だけど。グッときたら買う。それ絶対。)
そういう問題の結論としてCCCDが登場したという話に至るのだが、これに対してもパソコンでコピーできないというだけで、その後どうなるかという技術的解説、音楽専門家からの分析もまるでなし。これじゃ正確な報道とは言えないだろう。せめても朝の情報番組なんだから、下劣なことまでしろとは言わないが、テレ朝の「やじうまプラス」位冷静な視点を持って報道してほしかったと思う。まぁしょうがない、スポンサーにエイベックスとソニー・ミュージックを迎えている限り。そしてCX帝国の中にポニーキャニオンというレコード会社を抱えている限り。(でもやっぱ、めざましは不滅である。高樹千佳子たんが過去2名のお天気お姉さんみたいな結末を迎えない限りね!)
その「めざましテレビ」放映の前夜、久々にゆっくりした時間がとれたので、買ってからしばらく放置してあった「ハイ・フィデリティ」のDVDをやっと観賞した。劇場公開時はとても見られる状況じゃなかったし、サントラ盤を聴いて満足するしかなかったのである。そのサントラの日本盤につけられたライナーは、執筆者の「ハイ・フィデリティ」体験をストレートに綴ったもので、肝心の曲&アーティスト紹介がしょぼいものだったにも関わらず、共感すべき内容で気に入っていた(ストーンズの『ヴードゥー・ラウンジ』みたいに決してライナーで書いてはいけない文と違うしね!) 主人公のロブ・ゴードンは30歳でレコード・ショップ経営。自分の恋愛妄想を音楽好きに託さずにいられないタイプで、過去の痛い恋愛トップ5をあからさまに語りはじめる。そのトップ5に現在進行している恋が食い込もうとしていたその時、ロブは過去の痛みが何に起因しているか悟り始め、相手のローラも愛する父を失った事で心の拠り所が何であるかを発見する。そしてトップ5は幻と化して.....という、カップルで観賞するラブコメディとしては結構ハードな内容のストーリーであるが、好き者としては随所に登場する細かい音楽ネタにニヤリとしながら(特にF.P.M.のジャケが飾られていたり、ハイ・ラマズのコーネリアス・リミックスが流れたりという些細な日本ネタとか、ペーパー・レースの「ザ・ナイト・シカゴ・ダイド」の一節がパロられるところが個人的にツボ!)、ストーリーそのものに痛い所を突かれて両方向から啓示を得る事ができるという映画である。何たってロブの想う相手にコンピレーション・テープを作るという哲学には一時期の自分を重ね合わせずにいられなかったし(私はそれを「寄せ鍋哲学」と呼んでいた)、ライナーの個人的体験談でもその話が出て来た。ライナー執筆者の友人二人は「ハイ・フィデリティ」を観るやいなや、彼に向って「あれはオマエ」と言ったというのである。
そう、「あれはオマエ」と言われるのは好き者の宿命なのかもしれない。一つ違うのは、アメリカの音楽ヲタってまだ健康的だと思うのだ。ロブの店で万引きを働いた二人のスケボー少年がシャツの中から「ほら、これ」と出したのは坂本龍一とセルジュ・ゲーンズブール、そして「自宅録音の手引き」という本だった。盗んだレコードを家でダビングするのが目的ではなかったということは、ストーリーが進むにつれて明確になる。まるでウィーンの如く、この二人組はコツコツと自宅で妙なサウンド作りに勤しんでいたのだった。(この部分の音楽はロイヤル・トラックスによるものが使われて、見事にはまっている) ああ、オープンだなぁって思った。もう一つは男に対していまいち煮え切らない態度を見せ続けるローラの実の職業が、頭の切れる敏腕弁護士ということで.....まぁ、こんな筋は日本に置き換えると決定的幻想でしかないのであるが。中糸色までしつつ最後には彼の元に収まってしまうローラには苛立ってしまったなぁ。『アイ・アム・サム』でもそうだったが、こんな二人のラブ・ロマンスは観てて落ち着かないけど最後には納得せざるをえないのだ。日本のテレビ・ドラマではできない現実的ファンタジーの極みとでも言いたい。
それに対して自分のあまりの不健康さときたら......。一つの恋愛妄想の結末をレフト・バンク「デザリー」一曲で片付けようとするなんて。その曲を入れた寄せ鍋をさり気なく誰かさんの鞄に忍び込ませる事しかできないなんて。そしてそんな体験を決して自分の進歩の肥にできないなんて。ああ、こんな物語を一つや二つ書いてみたくなってきた。ドラマ化は無理と思いつつも勝手に配役決めて膨らませたくなってきた。でも、それなら曲を書いた方が手っ取り早い。一つのいい実りが終ると、過去実りに至らなかった蕾や様々なトラウマが具体的なものとしてイマジネーションに重くのしかかってくるんだから。いい事ばかり起こっても、人間は進歩しないというわけだ。
そんな「寄せ鍋幻想」に火を付けた映画「ハイ・フィデリティ」のサントラをリリースしたハリウッド・レコード(ディズニー・グループの一部門で、当然日本ではエイベックスが配給)が、最早CCCDの巣窟と化している冷酷な現実をどうとらえろというのか。ライナーも「今なら(テープじゃなくて)コンピレーションCD」と締めくくっているってのに。そう。もう寄せ鍋幻想は終ったのである。でもやるんだよ私は。想いを商品にこめてそのまま進呈するような淡白なやり方で成就するようなそんな関係にだけは、どうしても憧れられないからさ。自分の主張がこもったコピーはばしばしやり続けられるべきだと思います。そういえばミュージック・マガジン読んでないな (買うに至っては94年9月号=プリンス表紙=以来御無沙汰! まぁね、色々あるしさぁ)