よりぬきルル網日誌 2007年1月〜2月の巻
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| 2007-01-01 | あけましておめでとうございます。 |
改めまして、今年もよろしくお願いします。ルル網10周年を記念した特別企画もばしばし行なおうと思っていますのでご期待下さい。
ライヴは「生もの」ですので、その記録を即時凝縮する意義は永遠に途絶えないはずですから。今年はしょっぱなからこれですよ。
[実演鑑賞記] (12/31〜1/1) 4ヶ所はしご! 2006年ライヴ納め&2007年ライヴ初め
気分転換も兼ねて、2006年大晦日〜2007年元旦をライヴ三昧で過ごすことに。いずれにもルル網絡みのアクトが関わっていて、お礼の気持ちを標さねばというのもあったし。実はもう一箇所行く候補があったのだが、場所的にちょっと距離があるのと、お目当てのアクトが出る時間帯が解らなかったため見送りということに。
まず新宿motionでの"SWAN SONG COUNCIL vol.6"。3日間に渡り、MARZとmotionという二つのライヴハウスに膨大な量のバンドが集まって展開したイベントの最終日。丁度着いた時にはcryvの演奏中。映像とシンクロしたトラックを用いた爆音ロックはなかなか刺激的だったが、その映像を映していたプロジェクターが危うく落下寸前というヤバい展開になり、バンドの演奏中スタッフが懸命にセッティングし直していたのが冷や汗ものだった。早くも莫大なエネルギーを使ってしまい、これじゃサマソニはおろかミナミホイールも無理だろうなと、限界を悟る寸前に。
それでも、続くOVUMのクールなインスト・ロック、そしてRECO.とschool food punishmentの二組で何とか持ち直す。女性メンバーをそれぞれ一名擁したこの2バンド、ただ単に昨今のインディ・ロックの枠に押し込みたくない魅力があり、特に前者は男女両者のヴォーカルをフィーチャーしているが、その女性メンバーの萌え声が印象に残った。この二組はモナレコ位の箱で観てみたいものである。
そうこうしているうちに、先日のルル網ライヴも含めて2006年精力的に活動しまくったゆやゆよんの煽りが、一刻一刻迫ってくるではないか。思わず前の方に乗り出して我を忘れました。最初に見たライヴは主役がエレポップ系でガールバンドあり歌姫あり、ルル網ライヴも決して100%ロックではなかったということで、今回こそこのバンドの底力を直接感じるまたとないチャンスだったんだな。前方のお客さんを中心に物凄い盛り上がり(ダイヴもありモッシュもあり)で、つくづく悔しさを感じる結果に。でも、それさえもエネルギーに転換できる結果となったのだから、万事休す、である。射ったばかりの銃の如く、汗だくの乙女ドラマーの掌こそ、至福の歓び。
アドレナリン10割増状態で、すかさずHOT SHOTまで全力疾走。2006年一年お世話になった恩返しも兼ねて、かんさんが主催する「うさぎごや。xHOT SHOT大忘年会」に。全10バンド出演のイベントだったが、観られたのは2組。もっとも、料金には飲み放題が含まれていたので、限られた時間で思わず飲ま飲まイェイ!(但しアルコールはまだ自粛)。まったりした雰囲気で客席もかなりグダグダ状態だったが、高テンションの後だといいチルアウトに。2007年新年は、無事HOT SHOTで迎えることに。丁度演奏中だったブッチマンが、JBに対する思い入れたっぷりのコメントを。「ゲロッパ!」と言われたら「ゲローナッ!」と返すつもりだったが、一度だけとは言えそれが出来たので満足した。
0時半近くになって惜しくも退席。いつものカレー屋さんの誘惑も振り切り(ゆやゆよんのウエノ氏のコメント「バンドやってたらメシ食えねーんだよ!」に反応した結果)、再度歌舞伎町に舞い戻り、この日をもって活動中止を宣言したmothercoatのライヴをMARZに観に行く。実は2004年、下北のハイラインで大量に買ったテープの中にこのバンドも含まれていて(言うまでもなく、shibata emicoとの巡り逢いもこの時である)、その当時は一番好意的な反応をしたお陰でバンドのメンバーに書き込みをしてもらったり。その後もCD発売や海外ツアーなどで大きくなっていったバンドだったが、結局一度もライヴを見たことがなかったので、ゆやゆよんの後押しもあり、この機会を見逃さないことに。MARZはmotionと裏腹に、本当のロック・ライヴと言える雰囲気だった。幕の向こうで行なわれるサウンドチェックに散々煽られ、やっとスタート。のっけから各メンバーがキレまくり、活動休止前とは思えないハイテンション。屈折しまくった曲作りに魅了されたのだが、ライヴではその屈折具合を狂気のエネルギーへと変換し、一体何が起こるか解らない。時たま観る煮え切らないバンドなんて到底お呼びではない。たった30分に凝縮されたカリスマ度、このまま葬り去るなんて勿体ない。あまりの狂乱に、HOT SHOTのお客さんから頂いたcryvへの伝言、伝え損ねてすみませぬ。
これでまだまだいけると確信した丸芽は、ささっと山手線に飛び乗り、喧騒ムードのセンター街を抜けて本日最後の目的地へ。渋谷J-POP CAFEでのカウントダウン・ライヴ。惜しくも、着いた時にはお目当ての松岡宮さんのライヴが、丁度終ったところだった。多少巻き気味だったらしく、思わぬ時の悪戯にため息をつくが、その後最後の一組として登場したinLayの優しい歌声に癒された。その後、始発待ちの宮さん+1名を交えてグダグダトークの宴。アイドル、映画などのマニアック話から介護、結婚に至るリアリスティックな話まで、色々とためになりました。やっと食物にもありつくことができ、宮さんどうもありがとうございます。
最近またiTunesの調子がおかしい。一旦再生が止まって、以前みたいに強制終了(これでHDDを相当痛めたようだ)せず5分程放置したら再度再生が始まり、しかし4秒後にまたストップなんてケースも頻発していて、なんだかなと思ってふとプレイリストを見たら、また何曲かにアラートがついている。そしてHDDをチェックしてみたら、またも作成日時が1904年1月1日となっている幽霊ファイルが。前はサイケのコンピだったから何とかなったが、今度はT.レックスとCCRがほぼ全曲! 泣く泣くCDから読み込み直しているが、どうやらHDDの一部が既に狂ってるようだ。昨年10月の初期化事件の際、iTunes要員とそれ以外でパーテーションを分けて、少しでも負担を軽くしたつもりだったが、今回はiTunes側ではないパーテーションがいかれているみたい。その影響がiTunes側に及んだのか。おじゃんになった例の某歌謡サイトのコピー(主に画像)ほどではないといえ、一部重要なファイルを格納してるから、早めにバックアップをとって再初期化せねばと意地を張ってはみたものの(現にあるファイルをiBookのHDDにコピーしようとしたらハングしたので、もうだめかと)、再度ディスクユーティリティを実行したら今度は「問題無し」、コピーできなかったファイルも無事でしたよ。一体どうなっているのか? やっぱ、一番いけないのは某SNSのプレイリスト晒しシステムだと思うのだが。昨年暮にアップグレードした際、その辺の不具合も解消されたかと思ったのだが、売りであるiPodを繋いだ時にかえって動作が不安定で重くなるのは考えものだ。いやぁ、いっそlast.fmに戻るか。
そんなわけで、大晦日に空き時間だれないようにと購入したものの、あまりの内容の濃さにその目的には使えず(空き時間もテンション下がらなかったし)、その分お正月にずるずるはまることとなってしまった本の感想を今日書こうと思っていたのだが、結局あきらめ。気が動転しててそれどころではありません。
まぁ、紅白のアレは、NHKが堂々と試されたんだということで。私としてはどっちの側に立とうとも思わないけど。いずれにせよ、今年も多分お世話になるのは9月(いや10月?)のある時期位だろうな。しかも数分程度。民放(特にテレ朝)の持ち上げ方には我慢ならないし、時々ちょーびみなえが現れることもあるだろうからさ(ムフフ)。
iTunes再構築、何とか完了。この貴重な三が日に朝も早よからこつこつドラッグ&ドロップの繰り返しですよ。とりあえず異常なしだった非iTunes側パーテーションに膨大な量のファイルを一旦回避させて、iTunes側を再度まっさら状態へと初期化。さらなる手間を省くため、パーテーション名を丸ごと交換して一応難を逃れる。お陰で現在は快調に走ってます。本当はそんなんじゃいられないんだけどね。自転車でちょっと出ようよモードを天気が許してくれません。もっとも、こないだのライヴの後なんかは、外の温度など全くお構い無し状態だったんですけどね。常にその位のテンションを保っていたいものです。いよいよ4月のライヴの具体的プラン練りに突入しなきゃ。
この三が日の間一番はまっていたのは、ジェフ・エメリック著「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」。久々に深入りしてしまった活字媒体でした。とりあえず大晦日にだれないようにとわざわざユニオンで買ったのですが、何せヴォリュームからしてただものではないし、気楽に読み始めたら他のものに介入されたくなくなる。それ程内容が濃くて魅力的な一冊でありました。
ビートルズ「リボルバー」のセッションで、若干19歳にしていきなりメインのエンジニアに大抜擢、その後「サージェント・ペパー」「アビイ・ロード」と名作誕生の場を支え続けた名人の自伝。ビートルズに音楽的神懸かり性を求めずにいられない者なら、ジョージ・マーティン著「耳こそはすべて」、マーク・ルイソン著「ビートルズ・レコーディング・セッション」と並ぶ三大必携の書にすべき一冊であるが、先の二冊では二の次となっている「人として」の面が、ここではあくまでも主役である。ビートルズそれぞれのメンバーが持つ人格と、ジョージ・マーティン、ジェフ自身の人格の絡み合い。年輪と共にその輪がいかに複雑な絡みを見せるに至るか、そのドキュメントが痛い程リアリティを書き出す。それを前提として、様々な名曲が生み出されていくドラマを目にすることができるのだからたまらない。随所に散りばめられた、テクニカルな面から語られる制作過程は興味深くて貴重ではあるけれど、それはあくまでもおまけのようなものだ。のっけから「リボルバー」では最初に録音され、その成果がポップ・ミュージックの世界を大胆に揺るがすこととなる、あの「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」の誕生秘話。これでぐいぐいと引き込まれ、ジェフ自身のEMIへの入社、ビートルズとの出会いから、その成長期、アシスタントとしての関わり合いに至る回想記を挟んで、いよいよクリエイティヴ絶頂期へ。ここからは息もつかせぬ展開となる。エプスタインという支柱を失い、葛藤だらけの「ホワイト・アルバム」での一時離脱をきっかけに、堅物なEMIから幻滅帝国アップルへの移籍、そして有終の美を飾る「アビイ・ロード」へ。解散後も特にポールとの関わり合いを中心に、あの名作「バンド・オン・ザ・ラン」誕生に至る凸凹劇も描かれる。
そんなわけで、ビートルズ・ファンであれば楽しめると同時に考えさせられずにいられないドラマ満載の一冊であると同時に、ビートルズ以外のポップ・ミュージック・ファンとして眺めてみれば、やはりEMIという企業の、訳の解らない独り善がりぶりに改めて呆れずにいられなくなる。ジェフを中心とした「若者組」の反乱がいくら続こうとも、たった40年程度の年月でいそいそ変わるわけがない(金をもたらしてくれるビートルズさえよければ、といういい加減な姿勢も助長したのは確かだけど)その体質には、東芝離脱などの激震が続く今読むと余計悲しくなってしまう。と同時に、発売当時の反響はそれほどでもなかったものの、その後のポップ界への影響を考えるともっともっと語られて当然と思うべきジェフの名仕事の一つ、ゾンビーズの「オデッセイ&オラクル」への言及がたった4行というのもまた残念である。仕事的にはいい成果が残せたといえ、アビイ・ロード録音ながら別のレーベル(当時フィリップス傘下だった英CBS)からリリースされた作品に関わったことで、それを凌ぐ悪い想い出がつきまとったのではと推測されるが。米国キャピトルから送られた杜撰なマスターの編集に関する下りを読んでも、よくこれでアンドリュー・オールダムが自分の金で「ペット・サウンズ」全面広告を出したなと呆れずにいられない。そんなもんだ、EMIって。
といえども、まぁ、大切なのは音楽そのものであって、商品の質や売り上げではないのだから。ビートルズに関しては英国オリジナル・モノ盤こそ本物だという説を助長し、その価値を無闇に高めるのを避けるためにも、これからのエンジニアの皆さんにはよりよい作品を作るようがんばって頂かねばならないわけで。そのための精神的な支柱になるには充分の価値がある一冊である。そして、すぐにマニア体質に走らずにいられなくなるファンは、これを読んでTHINK(! ! !←ポールのドラム@「ジョンとヨーコのバラード」)。あと、「新事実」も満載であるが、その内の幾つかは「有り得ない話」としか思えないのもあるので......まぁ、ルイソンの本も全てが真実とは限らなかったわけですけど。すみませんここだけはマニア体質になっちゃって。
吹きすさぶ風。挙句に武蔵野線以外の電車も止まってる。いざ活動再開というのに、自分の今後の動きもこうならなきゃいいんだけどな。そして聴取生活の方は、諸事情で5ヶ月も放置していたlast.fmを再び活用し始めました。純粋に音楽で繋がるSNSならば、こっちの方がグローバルだし、まだまだ可能性は感じるということで。改めて右のリンクに入れておきます。
しかし、あらゆる手段は尽くしてみたものの、止まるのは解消されないし、2日に一旦T.レックスを全曲読み込み直したはずなのに、なぜかアルバム2枚分だけ消えてしまい、これはやっぱHDDに根本的問題があるっつーよりも、HDDとiBookの連携に支障が生じたんだろうなぁ。何せHDD初期化とシステム再インストールは当然行ないましたので。幸い、Mac関係で色々と示唆を与えてくれる方も、ソーシャル繋がりで現れたわけで、そういう点ではmixiを蔑ろにはできません。5年前までは.....おっと、その話はなしですね。
まぁ、今の所31GB分の音楽があってこそ我が生活が活気づいてるわけで、あとは外に新鮮な空気を吸いにいくのと、グルーヴに身体を任せて衰弱を防ぐ、その二つのみです。夢がないねなんて仮想妹に詰られて自滅するなんて、まだまだ早いですから。ほんと、あの事件には色々と考えさせられます。
| 2007-01-08 | これから地球を0.5周くらいしてきます |
あまりでかい声では言えないですが、やり甲斐ありそなお仕事が入庫ですよ。これを弾みに、何とか好き者稼業も飛躍したいところ。別の所で思い切って遮断フィルタも導入したことですし、これでスッキリだね。
[実演鑑賞記] みねうち外科医院、他@新宿SACT!
厳密な意味で2007年開始されたライヴとしては、今年のライヴ初め。実は今週、ほぼ毎日のようにそそるライヴがあるのだけど、諸都合で二つだけに的を絞る事にした。今日の主役は、一昨年10月のHOT SHOTライヴ以来お世話になっているみねうち外科医院。フルメンバーでのライヴがかえって珍しく、こないだはドラマーのいない3人組編成だったが(その方が上質のグルーヴ.....と得体の知れない外野の声が!)、今回はギターの平間リョウ氏が欠席。ベン・フォールズ・ファイヴ編成とは言ってみるもんだが、ギターが欠けた分、メロディに掛かる負担は当然大きくなり、そしてドラムの存在もさらに重要になる。まぁその分、アットホームな演奏が聴けたからいいか。メンバー全員が歌えるという点では、今時のポップス系としては貴重なバンドであり、それぞれの天然な持ち味がバランスをとってるところも魅力。そんな意味で、今日の7曲は一番上手い並びだったのではないか。名物の鳴りもの配りがなかったのは、仕方ないけどね。
もちろん最後の曲はあの「愛は地球を5周する」。この曲を聴くと、まぁカルミルが回ってたせいもあるかもしれないけど、ついつい大胆な言動に走りたくなってしまう。それだけ、勇気分泌を助長してくれる曲である。初めて聴いてから15ヶ月の間、まだ0.000001周位しかできてないような。がんばります(社外秘)。
その前に登場した3組がいずれもギター弾き語りだっただけに、最後のみねうちの存在感が余計際立ったという感が。トップの斉藤麻里さんは、まっすぐな唄の内容に相応しくよく伸びる声で、まぁ今時の女の子っぽい曲調ではあるけど結構気に入った。二人目のウェルテル(4月から本名で活動するとか.....おっとそれも社外秘?)は、乗せ方が上手いね。そして笹尾実久さんは、先月かおりんの対バンで観た時と異なり、今回は一人のみ。といっても、ピアノの弾き語りがなかっただけでそんなに印象は変わってないけど、悲しみを押し殺すように歌った中島みゆきの「ファイト」は、やっぱり浮いてたという気がしなくもないな。
COMMENTS
おもちゃ@みねうち外科医院:
ご来場ありがとうございました!おもちゃ楽器配りをしなかったのは多分4、5年ぶりでございまして、私も大いに違和感がありました(笑)やっぱりタンバリン叩きながら客席を走り回ってるほうが自分らしい気がします。
丸芽:
確かに、ステージ降りてる間鳴ってるのがベースとドラムだけだと、かなり虚しいものがあるし、SACT!はある意味暴れにくいスペースですよね。雰囲気はめちゃくちゃいいと思うんですが。 |
昨年別れを惜しんだ三大サイトの内の一つだったはずのGlobal Dog Productionsですが、結局ただ単に.comドメインの都合でアクセスできなかったようで、サーバ毎消えたというのは誤解だったようです。まぁ、ああいう事態もあって5月以降更新は止まっちゃってますけど、とんでもなくためになるサイトなのは確実なので、さっさとリンク復活させました。右からどうぞ。まぁ、ドメイン取るのもかなりリスキーな行為みたいで、不慮の事態で消えたなんてことになったら、見る人にとっては想定外のダメージを与えるみたい。管理人も大変なんでしょうな。実は去年の赤坂ライヴの直後、かおりんのサイトも「アクセス拒否されました」みたいなアラートが出て閲覧不可になってたのだから......冷や汗ものでしたよ......
今日は特に目立った動きがないので(嵐の前の静けさ?)、いいチャンスかと思い、ルル網が辿ってきた10年の間に巡り会った数々の出来事を振り返るシリーズでも始めるかと。まだコンセプトとかは決めてないんですけどね。手始めに、これはいつか触れねばと思ってた、1999年7月31日開催されたイベント「A View From Her Room」のことを書いてみようと思います。今考えてみれば、かつては世紀末の決定的瞬間と怖れられていたこの日に、ある意味象徴的な体験をすることになるとはなぁ。
所謂DJイベントだったんですが、参加した回しやさんが全員女性、いや、乙女だったという、既にみそじ突入していたバチェラーにはある程度覚悟のいる催し物でした。ただ、DJの中の一人だった、あの伝説の文学乙女系サイト「Knock On Wood」を主宰していたもえぎさんと、ソフトロック談義で盛り上がる仲だったので、思い切って参加するのもいいじゃないかと。そして、会場に入ったとたん流れて来たのが、曲名は忘れたけど何とカンの曲。その後もブラジルものあり、ヒップホップあり、ソフトロックありと、乙女ならではの純なセンスが光る選曲が展開されていたのでした。テラスもある絶好の環境でまったりと音楽をききながら、初対面のお客さんとマニアックな話で盛り上がったり(しかも自分より年上の男性だったので何となく安心感が)、美味しいカレーを頂いたり。願わくば、乙女らしいショーアップがもっとあってもよかったとは思うのですが、やっぱその場の雰囲気をナイスに保つためには、度を超すのも考えものですよね。それにしても、そこにいた乙女達と同世代の男子達の大半とは、仲良くなる術もなかったな。やっぱ、趣味の良さだけじゃマグネットになりっこないんだし、趣味以上に性格が合わないと反撥しまくるに決まってるんだから。あと、今をときめく野中モモさんもDJの一人として参加してらっしゃったので貴重な体験でした。振り返ってみれば、WEB乙女という存在に開眼したきっかけは、他ならぬこのイベントだったという気がします。この後、リアルでもいろいろあったわけですが、歌姫達を集めてライヴをプレゼンテーションしてる身としては、今こそが2.0時代の絶頂期なのかも。そして、その間に西の方からさわやかな風が少しずつ吹き寄せてきたのです。
| 2007-01-10 | Local Anaesthetic |
今日も麻酔打たれた。但し、水曜日だったからか、流れてるBGMが普段と違うんだよね。NACK5で、こともあろうに「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が。麻酔打たれてる時に一番聴きたくない曲の類だよなぁ。ただでさえテンション下げねばならないのに。
そんなわけで今は麻酔が切れて、朦朧状態からがくがく状態へとシフトしております。ニルヴァーナ違い。
ジェフ・エメリック「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」ネタでまだも引っ張るけど、思うに今この本をを読むことができる中学生以下の世代の人って、本当恵まれてると思う。いくら日本のメジャー音楽制作現場がサラリーマン的世界になっていようとも、真の音楽職人を目指す若人が、多感世代を過ごしてる内にこれを読みインスパイヤされて、インテリジェンスに勝るセンスを手に入れて現場を牛耳っていく....なんて想像するとわくわくするではないか。
自分も小学生時代にビートルズに目覚めて、参考書としていろいろな本を読み漁ってきたのだが、それこそ初期の頃はというとハンター・デイヴィスの伝記以外に、立川直樹氏の「怪傑ビートルズの伝説」とか香月利一氏の「ビートルズ事典」とか、それこそヒストリー的なもの、資料的なものは充実していたといえ、ビートルズの内面をえぐってみせたような内容の本はほとんどなかったわけで。それこそ、「リボルバー」でエンジニアとして颯爽と台頭した時のエメリックが若干19歳だったなんて、誰も書いていなかったもの。精々ジョージ・マーティンがビートルズよりも一世代上でアドヴァイザー的役割を果たしていた、という程度の知識しか得られなかった。
中学時代、YMOとかを聴きかじって、制作現場に対する恋心が目覚めた頃、あらゆる側面からビートルズの音楽を解明してみせた「ザ・ビートルズ・サウンド」が登場。ジョージ・マーティンの自伝「耳こそはすべて」もその頃刊行され、丁度発展途上にあったデジタル・レコーディング時代への希望で結ばれている。それらの書籍を参考にしつつも「ロック・マガジン」を読みふけり、スタジオを建てたいからという一心で建築士を夢見た頃。結局何かの間違いで、文系志望へと駒を進めてしまったものだ(音楽嗜好とて同じ)。ただ単に数字と記号に弱かったからだ(時間計算は除く)。振り返ってみれば、進路なんかに振り回されてちゃおしまいなんだ。
エメリックやクリス・トーマスやケン・スコットらが、10代でその輝けるキャリアを、世界を代表するグループと共にスタートさせた栄光の60年代に対して、ただただ妄想心だけがでかくなって行った青春時代。その事実を「ビートルズ・レコーディング・セッション」を読んで知ったのは、やっと4トラックカセットMTR(!)へと進化することが出来た20代半ばの頃だった。もう少し生まれるのが早ければ、あるいはもう少し生まれるのが遅ければ。悔やみに悔やみきれない隙間世代の悲しみよ。隙間過ぎて、後続の面倒を見る気さえ削がれてしまう。
今は10代を通り過ぎても餓鬼を捨てきれない世代で溢れている。一昨日あたり、それを実感しまくったもの。だからこの国はよくならないんだよな。
今年のCD買い初めは渋谷のタワレコで新年クリアランス・セール。クラシックのフロアでまったりしてたら、地下のフロアでそれが開催中と知り、焦る。ライヴの時間が近づいてきてるのに。とんでもないネタも含めて8枚ピックアップしましたよ。但し、予告通り本年度から「音盤捕獲記」は廃としますので、これ以上は書きません。特に激安ネタの場合は書きづらい部分もありますし。
それにしても昨年11月発売された「LOVE」の後、まともな値段で買った新品CDといえば「ソフトロック・ドライヴィン(ソニー編)」だけだなぁ。情けない。
[実演鑑賞記] ニーハオ! presents LETS KIRA KIRA@渋谷LUSH
初カセットを入手したのが(6年前!)渋谷にあったインディーズ・ショップ、Cherry Cherry Recordsだったにも関わらず、関東地区でニーハオ! のライヴ観るのは初めて。昨年出た「New-Hao!」を京都のタワレコで買ったらイベント参加特典がついていて、泣く泣く諦めたのも記憶に新しい。そこに飛び込んだゆかり嬢の表(?)バンド、Limited Express (Has Gone?)の解散ニュース! 一度も観る事ができなかっただけに惜しすぎ。そんなわけで、前後1週間にそそるライヴがひしめく中、気合い入れてニーハオ! を観に行く事に決めた。
最初に出てきた2バンドが何れもグラインドコア系というか、煽るだけ煽られたのはいいのだけど、どうもグルーヴとリリシズム両方が欠けるバンドが続くと馴染めなくて、そんなわけでれお嬢がドラム・キットに手をかけた瞬間、アドレナリンが流出しまくり。赤と青が繰り出す2本のベースが唸り、三つの声が飛び交う。圧倒的なエネルギーと共に屈折したラブリーさがその場に充満する。改めて、自分は体育会系フェロモンに弱いんだなぁと再確認させてくれた。それにしても今日のゆかり嬢のぶっ飛びぶりは徒者ではなく、やっとニーハオ! を表の顔として存分に暴れまくろうという決心のようなものが感じられた。
そして、途中パート・チェンジして「New-Hao!」編成もしっかり魅せてくれる。ゆかり嬢がドラムに回って、ベースのグルーヴがポップなキーボードにとって代わられるだけで、ここまで乗りも変わってくるとは。裏側から覗く学芸会スピリットに晴れハレ気分。もちろんラストは本来のパートに戻って、新カヴァーネタ、「OPP」じゃなくてジャクソン5「ABC」を披露。原曲にあったイノセンスを摘出して歪ませまくった天晴ヴァージョン。アンコールの「ロックンロール・レディオ」は当然JBに捧げられてたに違いない。
もう一つ、今日のライヴで楽しみだったのは、ニーハオ! に先だって登場した大阪の壊れグルーヴ乙女、DODDODOだ。既に好き者の間ではかなりの話題を呼んでいて、まだ音も聴いていない状態ながら興味津々。サンプラー2台を高いテーブルに置いて、自らもそれと同じものの上に乗りあぐらをかいてそれを操作しながら、ラップとも叫びともつかないヴォイス・パフォーマンス。もしや、松岡宮さんに対する西からの挑戦か? しかし、スタイル的にはさらに壊れ度が高く、それを盛り立てるトラックもどっから集めたのかと思われる妙なサンプリングが満載。たまたま今日のパフォーマンスは練られ不足だったのか失敗が目立っていたけど、それをカヴァーするパワーはあると思うし、いい状況下ならばもっともっと凄いことをしでかしてしまいそうな気がする。くつしたにも教えてあげたいな。
COMMENTS
くつした:
おお、なんかよさげですね
サイトもすごいですね、見たいみたい
丸芽:
21日のMARZはなかなか凄いメンツみたいなのでどうでしょうか? アベンジャーズは観る機会あったんですが、一時的にHOT SHOTに逃げ込んでたんで観られませんでした。CDはブリッジが配給してるようなので、タワレコやユニオンでは買えるようですね。 |
| 2007-01-12 | あの娘ぼくがロングシュート決めたら以下略 |
今日はiTunesがとんでもなく不機嫌な模様。時間帯も左右するんですかね。というわけで影響を受けて、なかなか順調に筆が進みません。
昨日触れた「体育会系フェロモン」について一言二言。基本的に、我が人生でこれを身近に感じつつ生活した期間は、皆無である。というのも、思春期真っ盛りの時点で生活環境が360度シフトしたからだ。もっと具体的に言うと.....えへへ。共学だったのが中学で最後、なのですよ。要するに、いくら自分の将来について真剣に考えつつ、明るい青春を謳歌したい世代であっても、避けて通れないもの。気になるあのコと、そんなニュアンスで触れ合えるかもしれないチャンスって、体育祭とかそういう時に限られるわけです(体育の授業自体は別々だったし)。自分自身はまじで運動神経ゼロではあったけれど、体育祭が近づく毎に胸キュン状態が増すって経験は確かにあった。それを強引にフェロモンと呼んで振り返らねばならない悲しみ。
と同時に、乙女に対する個人的な憧れの土台が、その時期に作られたというのも否定できない。いくらアイドルとかから距離を置いていたといえども。
成績が良くて憧れのマドンナ的存在だったコが、同時に運動神経も抜群で、部活に燃えまくってたという具体例はいくつも覚えてる。現に以前触れたピアノ娘のJ子さんは、バドミントン部の花形だったし。一人だけ、冬でも体育の授業でジャージを履かず、ブルマで通してた元気なコもいたなぁ。別にそのコに萌えたというわけではなかったけど。もし気になるコに放課後までそのスタイルで通されると、ただお喋りしてるだけでも甘酸っぱい気分になってしまったなぁ。一度、リコーダー吹きながらそばに寄って来られた時に至ってはもう......「ボクは危機一髪」状態でしたね(汗)。
そして高校時代。異性の気配を感じることなく、ただ運動神経は伸びなかったものの、持久力だけは驚く程育まれたというこの三年間。相変わらずアイドルを知ろうともしなかったけど(そのくせしてオリコン・ウィークリーは市場調査のため買ってたけど)、プラトニックな感情を抱き続けることで、妄想力も同時に育まれまくったというそんな時代である。再度「体育会系フェロモン」の重要性に目覚めたのは、その過程を終え、プラトニックな夢が砕け散った後、二十歳になるかならないかというその頃、TVでやってた「春の高校バレー」で八王子実践の星・大林素子嬢を見てからであった。
この頃は歌謡アイドルにも相当はまっていたのだが、未だにろくに唄も歌えないコには共感できなかったから、そのオルタナとしてスポーツっ娘を追いかけることにはまったっけ。その事を大っぴらに雑誌の投稿欄に書かれて詰られたこともあったし(その後遺症で、未だにヤクルトがセ・リーグの好きな球団ランクで5番目の定位置にある。2〜4番目はその都度変動しているが)。そしてそれは、88年に「プロ野球ニュース」で中井美穂にはまり、女子アナシンドロームにとって代わられるまで続くのだった。即ち、知性派(うわべだけ、かもしれないけど)への憧憬に回帰したのかもしれないな。その傾向がリアルに現れる兆候が未だにないのが、悲しすぎるのだけれど。
そんなわけで、忘れかけていた「体育会系フェロモン」をロックンロールという形で伝えてくれるニーハオ! は、ほんと憎めない存在なのである。大体ジャージがトレードマーク自体かなりの反則なのに、昨日は三人ともタンクトップにお飾り少々、そしてチェック模様のショートパンツという衣装でありました。自分もベストな体調を保つためには、常にこのグルーヴに包まれていなければと思う。
そして、最早歌なんて二の次と化したアイドル界にだって。美崎悠や山崎真実に惹かれる身としては、そのスレンダーさ以上に「体育会系フェロモン」の重要性が無視できないのかもね。スポーツ界からも浅尾美和という、格好のクロスオーバー逸材が現れたところだし。
| 2007-01-13 | 一、二週もあればもっと書けますよ |
不定期に浮上してくる「ビートル本の想い出」。
高校時代、上京してすぐの頃は、何せ「東京っぽいもの」が新鮮でしょうがなく、輸入・中古レコード屋さんと同じ程洋書店に行きまくったものだ。といっても、銀座の近藤書店の上の階にあったイエナ位だったのだが、何せ音楽関係の本が充実しまくっていて、ジョエル・ホイットバーンのビルボード・チャート本とか、かなり値が張ったにも関わらず、何とかお年玉シーズンにかこつけてせしめたものだ。無論、ビートルズ関係の本も漁っていたが、80年代前半はやたらディスコグラフィー本が沢山出版されていて、決定版一冊あれば充分なものを、品定めしつつも手探り状態で買っていた気がする。勿論英語の勉強のためという目的もあったんですけどね。
ネヴィル・スタナード著「ザ・ビートルズ大百科 (The Long And Winding Road)」は原本を入手してからかなり後に日本語版も刊行され、今となってもかなり重宝する充実した内容。マーク・ウォルグレン著「The Beatles On Record」は米国の三大業界紙のチャート順位を元にした分析がなされており、シングルのジャケ写など図版的にも見応えあった。この二冊に比べると、相対的にダメダメとしか言いようがないのが、ジェフ・ラッセル著「The Beatles Album File And Complete Discography」というものである。あまりにもアレなので日本語版が刊行されることもなかった一冊だ。
一昨日渋谷のタワレコに行った時、7階の本屋さんでこの本のアップデート版なるものが出ているのを見つけ、性懲りもなく覗き見してみたが、CD時代に対応した再編集が成されていたとはいえ、基本的部分は全く手つかず状態であった。全曲について、誰が何を演奏したかのデータが添付されているのだが、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」のドラムの処を見たらやはりリンゴのままであった。
要するに、色んな本などから適当に仕入れたデータを便宜上並べながら、単純なファン心理に基づく主観を加えすぎることにより、さらに薄っぺらな内容になってしまってるのがいけないと思う。勿論、各曲の演奏メンバーに関しては、ルイソーンの「レコーディング・セッション」やその後のメンバーのインタビューなんかで覆った事実もあるからしょうがないとしても、「ドント・パス・ミー・バイ」でヴァイオリンを弾いてるのがジョージだって断言するのはあまりにも勇み足だろうし、その手の妙な憶測を指摘していったらきりがない。
しかし、極めつけは「ビートルズが他人に提供した曲」の項に載せられた、こんな仮説だろう。
【ビーチ・ボーイズが68年発売したシングル「青空のブルーバード」はアーセル・ヒッキーの作曲によるとなっているが、このアーセル・ヒッキーこそポール・マッカートニーの変名であると思われる。67年の「ヴェジタブル」のセッションでポールとビーチ・ボーイズのコネクションは出来ているし、以前にもポールは「ウーマン」をバーナード・ウェッブという変名で書いてピーター&ゴードンにプレゼントしている。そしてこの曲の出版社はビートルズと同じノーザン・ソングスである。】
ちょwwwwwwwwww何これwwwwwwwwとしか言いようがないです。ダメダメですよ。もちろん真実は言うまでもないでしょう。アーセル・ヒッキー自身のヴァージョンは59年にヒットしてますから。こういう本を必要なとこだけアップデートして再販って、何考えてるのか。ついでに、著者は違うけど同じコンセプトでストーンズのディスコグラフィーを扱った本も出ていて(こちらは「ビガー・バン」まで対象)、これも決定的データに欠けるデッカ時代の部分に限ればダメダメだった。
おかしな妄想力がイマジネーションを沸き立てたロック・ジャーナリズムの時代はとっくに終った。今は正しくかつ優しい啓蒙が必要なんだよ。例え相手が誰であろうが。手口を選ばずに好き者に接近し、異議だけを裏でこそこそ唱えまくるという行為は、啓蒙の正しい一環なわけがあるまい。
ふとしたはずみで、8トラック・テープの権威的webサイトを発見、はまる。8トラックと言えば、昭和40年代にはカーステレオでの音楽再生メディアとして栄えまくったが、カセット・テープの性能向上に従って姿を消し始め、50年代に入ってもカラオケ用メディアとして生き残っていたものの、こちらもレーザーディスク等の映像メディアに押され、次第に絶滅した媒体である。一本のエンドレス・テープが銀箔によって4つのチャンネルに分けられ、それぞれにステレオ音声が記録されている(故に8トラック)もので、一つのチャンネルが終る毎にヘッドが銀箔に接し、次のチャンネルに切り替わる際に発する独特の音が脳裏に焼き付いている者も多いだろう(30代後半以上に限られるとしても)。それ故に、テープの幅などを考慮すると音質的にはかなり劣っていたのだが、どうせ車の中で聴く代物だからその辺はあまり深刻に考えなくてよかった。
個人的には、父の車のカーステレオがカセットに切り替わったのが、恐らく50年前後と記憶していて(以前、はてな時代に話題にした笑福亭鶴光のカセットがその頃のもの)、嬉々として自分で編集したテープ(主にビートルズとか)を持ち込んだり、出先で買ってもらったもの(ソウルとか)をかけたりして迷惑がられていたのを思い出すが、その前はやはり8トラックで、怪しげな歌謡曲のパチモンとか聴かされたのも覚えている。その頃には自分で録音できる8トラックのデッキも出回っていたのだけど、自分が年齢的にそこまで達する前に廃れてしまったのが、幸いだったのか残念だったのか。それでも、8トラックのソフト自体は80年頃まで発売され続けていたし、カラオケ用8トラックのソフトは少なくとも90年までカタログに載っていたと記憶する(ソフト識別記号は「E」がアサインされていた)。
上記サイトでは、米国での8トラック市場に関してよりマニアックに、より興味深く追求していて、ルー・リード「ベルリン」等8トラックでしか聴けないミックスについてとか、通信販売でしか手に入らなかったというジョージ・ハリスン「クラウド・ナイン」等の末期リリース、はたまたパチモンテープの怪しい世界など、目から鱗話が満載。何と現在でもしこしこと作ってるとんでもない奴らも存在するのだ。ビートルズ関係に限定するならば、こちらもなかなか興味深い。8トラック以外にも怪しいメディアでリリースされたアイテムとか、世界中のリリース事情など、視覚的にも楽しめる。「サージェント」なんて非常識な程曲順がいじられているけれど、メカニズムの関係でそうならざるを得なかったことを考えると仕方ない。こういったアイテムの制作裏話を、エメリック氏並に真剣に語れる現場経験者なんて、恐らくいないだろうと思われるけど。
そして、こういう屈折した愛情溢れるサイトに付き物なのが、「あんたら何考えてんねん」という外野の声。ご丁寧にも、その手のメールがまとめて晒されているコーナーもある。わざわざこういう事を言わずにいられないヤシに限ってバ◯だというセオリーを強調するように、スペルミスの後にいちいち「(sic)」(原文ママ)を挿入する徹底振りも、また正しい好き者道である(しかし、そこまで詰られてる可哀想な者のメアドが、カンのアルバム・タイトルから採られている事実はとても悲しい。そして、同様のスペルミスが目立つ讃辞メールに対しては、これらのツッコミは全くなされていない.......)。
日本の8トラック事情に対しては、今の所ここまで突っ込んだ分析はなされていない。勿論ビートルズの国内盤8トラは赤盤・青盤に至るまで存在してるし、GSとかアポロン系のレコードでは聴けない音源が収録されてるものとか、まだまだ解析の余地を残す分野ではある。大滝詠一のコロムビア版8トラ未開封なんて、もし存在したら物凄いことになってただろう(幸い、当時のカタログによるとLPとカセット以外のリリースはないはずなのだが)。
| 2007-01-15 | ゲイリー・ウィルソンとの出会い |
11日に渋谷タワレコのクリアランス・セールで入手した305円ネタの中には、驚くべきアイテムがいくつか含まれていた。
例えばライノ・ハンドメイドから2000枚限定で出されたマスクト・マローダーズの69年のアルバムの再発盤。これはそもそも、一昨日少々触れた「おかしな妄想力がイマジネーションを沸き立てた」ロック・ジャーナリズムの黎明期の妄想を無理矢理具体化したような作品で、ローリング・ストーン誌のライターが「ジョン・レノンとポール・マッカートニーとミック・ジャガーとボブ・ディランが密かにセッションしたアルバム」のレビューをでっち上げ、それを面白がった友人のミュージシャンがそれっぽい曲を作って地元のFM局で流したところ、とんでもない反響が沸き上がり、レコード会社も真に受けて発売してしまったというものである。音楽的にはそれほどのものではないけれど、さすがハンドメイドというべきこだわりの品質は、例え別のメーカーが紙ジャケでこれを再発しようとも、敵うものではないだろう。305円で売る方も売る方だ。他にもコレクターズ・チョイスとかFUEL 2000などのレーベルのものが所々に混ざっていて、凄いのが出てくるのではと切羽詰まった時間の中必死に探したが、そっち方面はやはりいまいち。しかし、最大の収穫といえば、なんといってもゲイリー・ウィルソンの"Mary Had Brown Hair"だ。まさか、こんなところで遭遇できるとは。しかも3枚も。
この人は77年の自主制作盤"You Think You Really Know Me"でまさに知る人ぞ知る存在となったアウトサイダー・ミュージシャンで、その魅力に覚醒した者の一人であるベックが、96年の「ホエア・イッツ・アット」でその名を歌い込み、多少知名度がアップした。その後、"You Think...."のCD再発等を経て、2004年に突如ライヴ活動を再開、と同時にこの"Mary....."を27年振りの新作としてリリース。ストーンズ・スロウ・レーベルの主宰者であるピーナッツ・バター・ウルフがエグゼクティヴ・プロデューサーを買って出た。現在はこの2作に加え、70年代に録音された未発表トラックを集めた"Forgotten Lovers"の計3作が、iTunes Storeからダウンロード販売までされるに至っている(何と言う時代!)
70年代末期にして、キーボードを中心にした無機的グルーヴに乗せて、エキセントリックな節回しで妄想に満ちた詞世界を歌い、所々にアヴァンギャルドな味付けを施して、この世のものとは思えないポップ・ミュージックを創造していたゲイリーだが、この2004年作品でも基本的な部分は全く変っていない。寧ろ、年輪と共にエキセントリックさが余計エスカレートしているのがたまらない。洗練されているのか、それともどこかおかしいのか、どうでもよくさせてしまう投げやりなメロディとヴォーカル。そのうしろで前頭葉をくすぐらずにいられないストレンジな感触。一度触れたら病みつきになりそうでこわい。
残念ながら原本の刊行が再評価が始まる以前の2000年ということで、ゲイリーに関してはわずかに名前だけが載せられるに留まった怪著"Songs In The Key Of Z"の日本語版がやっと刊行されたばかり。アウトサイダー・ミュージックに関する興味はこれからさらに広がっていくに違いない。バッケージ黙示録の中、敢えてパッケージという形の中に歪んだ自我をいやというほど刻み込んだ異才の偉業を、我々は忘れてはならない。そんなアイテムが305円コーナーからいつひょっこり姿を現すかわからないし。
本当は一昨日書くべきことだったのだけど、これを避けて通るわけにいかなかったのですよ。
丸芽がガレージ/サイケ・コンピの教典中の教典「ナゲッツ」(注: オリジナルのLP2枚組はリンク先の4枚組CDのDisc 1に該当する)を入手して、丁度25年が経過した記念すべき日が、一昨日だったのであります。そう、我が"Psyrchlez"人生のスタートと言っても過言ではない、あの日。
何せ「成人の日」が15日で固定していた頃の話だけに、そう簡単に日付を忘れられるものではありません。この時、友人Kと共に訪れた老舗輸入盤屋さん・新宿レコードで、以前取り寄せをお願いしていたこの2枚組LPのサイアー再発盤を手にしたのでした。カット盤だけあり値段的にはそんなに行ってなかったと記憶してます。
以前から、ミュージック・マガジンやロック・マガジンに載っていたサイケ特集を読んで、60年代サイケに対する興味を抱いていたわけですが(この頃には、輸入レコード屋さんにぽつぼつ置いてあった幻のポップス・ファンジン「ポップシクル」の影響ももろ受けていた)、決定的になったのは、頻繁に通っていた新宿レコードでたまたま買った怪しげなオールディーズのコンピ盤に、カウント・ファイヴの「サイコティック・リアクション」とシーズの「プッシン・トゥ・ハード」が収録されていたことでした。何か既聴感があるなぁと思ったら、他でもない、レジデンツの「サード・ライヒンロール」の元ネタだったわけですよ。これでピンと来ました。つーわけで、以前から評判だけ聞いていた「ナゲッツ」を買おうと思い立ったわけです。しかし、既に廃盤とのことで、なかなか手に入らない。といってもウルトラ・レア盤ではないだろうと読んだので(何せ再発盤が出たのはそのたった6年前だ!)、思い切って取り寄せをお願いした次第。
勿論痺れまくりですよ。エレクトリック・プルーンズ「今夜は眠れない」の神秘性、リメインズ「ドント・ルック・バック」の躍動感。そして、サイド4にさりげなく配されたモジョ・メンとサジタリアスの偏執狂的ポップにもやられまくりました。これがあったこそ、ソフトロックにも一足先に深入りできたんですよ。悔やまれまくるのは、この音に触発されて具体的な演奏活動を行なうまでの勇気が芽生えなかった事(もちろん当時の年齢だからこそ意義があるのだ!)と、より深みに突入するための土壌が未だ整っていなかった事の二つ。実は多重録音ユニット、たかとその一味で60年代ポップをカヴァーしたテープを作ってはいたのですが、個人的には楽しく振り返れるものの、人前に晒すとなるとやはり勇気が要ります(もちろん著作権の部分もあるし)。
そして、60年代に憧れを抱きつつも、ベストヒットU.S.A.世代の悲しみか、目先の流行を追うので精一杯だった(そして、音楽的愉しみを共有できる異性に恵まれなかった)日々が2年程続き、いざ進路をはっきりさせねばと真剣にならざるを得なかったある日、明大前のモダーン・ミュージックで、恐るべきサイケ商品の山と対面することになるのです。その中から、まずは豪華ブックレット(60年代にフランスで発売されていたEPの写真を大量に掲載!)に惹かれて買ってみた2枚組のコンピLP"Sounds Of The Sixties"。その中に入っていた一曲に、まさに電気ビリビリの衝撃を受けてしまうのでした。これで一旦進路とかはどうでもよくなりましたね。その曲とは、ウィ・ザ・ピープルの"You Burn Me Up And Down"。資料を見ても、全米チャートに入った形跡もないし。一体60年代サイケ/ガレージってどこまで深いのだろう?
この話の続きはいつかどこかで。
| 2007-01-18 | 寿司! 鳥! ブログ! 寝ろ! |
解放感で満ち足りたと安心して、ついついYouTubeで空耳アワー映像にはまってしまい、こんな時間に。手許のビデオ・ライブラリーには、これとこれとこれしか残ってなかったので......かなり古いものも含めて、想像を絶する量があがってましたが、他の放送マテリアルと違って、容易に消されにくいのも事情があるんでしょうな。音楽の著作権的に考えると、使われているのは大抵曲の極一部にすぎないから、そこまでとやかく言う位のものではないと思うし、レコード会社としても、空耳ネタを「商売」に利用するのはどう考えても不可能だと解りきってるという理由で、そんなうるさく言わないのでしょう。大体みんな好きなんだろうなぁ。当事者も含めて(といっても具体例はマーティ・フリードマン位しか思い浮かばないが)。海外の日本通と思われるユーザーから寄せられているコメントを読むのも楽しいですし。誰ですか、外国語の勉強に対する障害になるなんて言ってるのは。むしろ、好奇心を煽るという点では、これは立派な日本製カルチャーだと思ってますよ。自分的にも、デスメタルとかワールド系とか、これのおかげでつまみ聴きできてるようなものですからね。興味ある方、各自お探り下さい。あえて直リンは避けときます(皆やってるからね)。
本当の事を言うと、我が空耳スピリットは空耳アワーが始まる遥か前に育まれていたのですけど、それに関してはヒ・ミ・ツということで。はてな時代にちょっとばらしたけどね。ヒントとして、サバスのネタに既聴感があったと(いや、これだけで充分やばいか)。
空耳に影響されてつまみ聴きなんて言うと、それは間違ってるぜなんて激昂しそうなのもまたデスメタルとかワールド・ミュージックのファン気質だったり。それを言うならソフ......おっと、いけね。でも、特に渋谷系隆盛の頃から、先日書いた乙女ナイトの頃までに関して言えば、愛好する音楽の優美さに決して比例しない性格を持つリスナーがあまりにも多すぎたなという感もあり。趣味がいいのと優越感を持つのってのは次元が違うよ、というわけであの頃は一部の好き者達にまじで悩まされたのも事実。そうか、乙女ナイトが開催された年に、某巨大掲示板もスタートしたんだっけ。関係ないようであるんだな。
その話は別として、その時期の誤解体質を引き摺ってる者達が、今時の裏ポップ・カルチャーを牽引し、表舞台で起こってる曖昧な流行にカウンターを叩き付けてる中心層になっている現実って、まじで健康的と言い切っていいのだろうか。本気で突き進むのなら、あえてメインストリームに迎合する位の度胸を持たないとって、つくづく思います。もうね、レッテル貼ってそれだけで拒絶反応なんて、馬鹿げてるよ。ついていきますよ、その気にさせる者にならば。たとえAで始まる会社だろうが何だろうが。あ、もちろん己の信仰心を撹乱するとなれば話は別ですけど。
それにしても、last.fmで海外の妄信的J-popファンを見かける毎に、観察対象として興味深いとは思うけど、いくらなんで歌姫AとバンドB(別に固有名詞の頭文字に特化してるわけではないですよ)を共に好きだなんて、日本人として理解に苦しむ.......なんて到底言ってられないなと感じるのも、また空耳効果。音楽の坩堝は決して間違ってはいないのです。
そんなこんなで、夜は早稲田JERRY JEFFへ「バックグラウンドミュージック#4」。前回イベントで丸芽が招かれた、クドウハルヲ氏のふたり会の次の回。毎回毎回はっとさせる啓示がいっぱいで、前何気なく発した「大いなる学習魂」というフレーズが最早キャッチと化してるという感があるが、今回のは凄かったですよ。どう凄いのかは具体的には言えないんですけどね、訳ありで。品質保証ブタマークがくっきり浮かび上がった、コピーというよりゼロックス印刷と言った方が似合いそうな(しかもブルー)、そんな色がする音の向こうから、辛うじてリアルタイムで掠った程度の、失われし日出る処の滾石浪漫が覘いてくるのですよ。はい。まいったなぁという感じです。
次回の緩音夕やライヴのみならず、様々な形のイベントにルル網としても対応していかねばという可能性を思い知らされました。さてと、明日は勇気を出していろいろと。代々木も行ければなぁ......
申し訳ない、今日はダウンしちゃいました。といってもダウナーなダウンじゃなくて、前向きに心が揺れすぎた結果、訳がわかんない状態になっちゃったもので。ちゃんとしないとね。来週から対外営業もがんばってやるつもりだし(打ち合わせにも一度行かないと)、その他の事もちゃんとコンセプトを練って、身体が鈍らないようにしておかないといけないんで。
それにしても、こういう風にポジティヴに心が揺れ動いてる時って、かえってときめく対象以外のものを先入観だけで撥ね除ける傾向になりがちだなぁ。こういう時こそ積極的に外に出て行って新しい波をチェックすべきなんだろうけど。あいにく何よりも先に、昨日で燃料が切れた(これはでかい)。まずは、動き回るに必要な燃料を確保することだな。
去年はそれを最優先に考えた結果、心も身体も消費精神も壊れ果てたわけで、敢えてそっち方面に戻る必要はもうないと考えている。それだけ、今の自分の波長を信用してるってことです。とにかく、4月はあらゆる意味で大転換シーズンになると思われるので、それまでに何とか壊れないようにがんばります。そして、しばらくようつべは自粛。昨夜帰宅後、すぐ寝りゃいいのに局部的に見まくっちゃってね。ローカルに落とせないと辛いなぁ。
| 2007-01-22 | セッ、セッ、セック、セック.....おっとあぶない |
かつてルル網がHappy 45tistというwebサイトを粧っていた頃、「Thoughts Playback」というタイトルで、web開設に至る丸芽の12年間(!)に及ぶ奇跡を、当時の日記から再構築したコンテンツを掲載していたことがある。さすがに、今となれば若気の至り的イメージがありすぎて、恥ずかしくて引っ込めてる部分もあるのだけれど、いつかめちゃくちゃクローズドなコンテンツとして密かに復活させたりして。
まぁ、そんな見方もあるけれど、1984年という年が今振り返ってみるととんでもなく重要だった年だったのに気付く。その1984年は、ぎりぎりで「Thoughts Playback」の対象外だった年でもあり、まともに日記(レコード購入記も含む)を書き始めたのは次の年からだったということで、その年の記録としては創作ノートの類い以外、殆ど残されていない。そして、たった一つの痛手のせいで、自分の人生の中でも一番なかった事にしたい年の一つとして記憶しておきたいと、ずーっと思い続けていたのである(但し、何故か21世紀初めの極僅かな期間にだけ、その思いが消え去っていたのだが)。
しかし、そのネガティヴな想い出とか、あと自分の家族周りでもその後の人生を左右することとなる激震があったのを別にすると、84年という年が自分に与えてくれたものがいかに大きかったか、今改めていい意味で考えさせられるのだ。
前述のように、日記の類いが残されていないので、何月にどんなことをしたとか振り返るには、自分の記憶だけを頼りにするしかないのだが、少なくとも最近の日記で触れた「ナゲッツ」がキーの一つとなるのは間違いない。もうひとつあるんだけどね。
とにかく、空虚な少年時代だったことは確か。行動力を高揚させてくれるようなものは、レコードとして形作られた音楽を除いて全くなかったし、自分が将来どっち方面に進めばいいかをポジティヴに啓示してくれるものもなかった。つまり、時代とそりが合わなかったというわけである。皮肉にも、今までずっと変りなく偏愛を注いでいる事柄の一つ=プリンスが「パープル・レイン」で大ブレイクしたのがこの年であったにも関わらず。
そんなわけで、今週はあまり深刻に考えずに、1984年が自分に何を与えてくれたかを淡々と語っていく事にします。
※: タイトルはユーリズミックスのシングル「1984のテーマ (Sexcrime)」のジャケットに実際記載されていた文章です。危なかったんだなぁ。確かに。
(17日の日記から続く) さて、83年11月、モダーン・ミュージックで買った「Sound Of The Sixties」に収録されていたウィ・ザ・ピープルの"You Burn Me Up And Down"に痺れた丸芽は、この調子で60sサイケ/ガレージに本格的にはまっていく事を決心し、目の前に迫った重要課題など一旦はどうでも良くなる。ほんと、タイミングが悪すぎたのか、はたまた自分の限界を楽観しすぎたのか。そもそも上京したタイミングからして間違いすぎてたわけだけど、これは大人の都合だから、仕方ないわけですよ。拗ねられない世代だったんだから(まぁ、兄弟とかいれば話は違ってきたかもしれないけど)。
「Sound Of The Sixties」はフランスのEvaレーベルから出ていたのだが、その裏ジャケットを見ると、同レーベルから発売されていたLPのカタログがずらっと載せられている。「ナゲッツ」で聴いていたリメインズやマウス&ザ・トラップスもあるし、件のウィ・ザ・ピープルも。あと米国のライノからスタンデルズやチョコレート・ウォッチバンドのベストが出ていたり、ドイツのライン・レーベルからもミュージック・マシーンとかカウント・ファイヴのアルバムが再発されたりしていて、比較的手に入りやすい状況にあった。そんなわけで、不本意な結果ながらも一旦重圧から解放されると、間もなくウッドストックやUKエジソン巡りが始まるのだ。サイケ系のコンピを手に入れるには、その辺のお店に限られていたわけで。
そして84年の春、これでしばらく来ることないかもと訪れていた京都の十字屋にて「ペブルズ」のコンピLP群に遭遇する。以前から、その店にあるのが解ってはいたのだが、60sパンクという括りがよく理解できなかったのと、あまりにもわけが解らないバンドばかりだったので、手を出さずにいたのだ。しかし、丁度リーズナブルな値段だったこともあって、そこにあったVol.5と7〜10までの計5枚に、一挙に手を出してしまったのである。これで見事にやられた。こうなったらもう一直線である。独ラインの"Mindrocker"シリーズ(今のブログのURLの元ネタも実は、これなんだよなぁ)やらEvaの再発盤やら、はたまた時々入荷してきた"Acid Dreams"などの限定コンピ盤やら、手当たり次第?みまくり。世は「フットルース」やらヒューイ・ルイスの「スポーツ」やら、そういう時代。全米ヒット曲も主にシングル盤で補給しつつ、内面的にはもうサイケ/ガレージ一辺倒であった。間違った時代にはまってしまったものだ。西新宿やら神保町の古書街やら、その辺をごろごろしつつ、いっぱいいっぱいの日々を送りながらも、曲は作り続けるという、辛うじて表面的には明日を見据えていたつもりのダメダメ人間だった。今の若人の方が、パソコンがある分まだ幸せ.......なのか不幸なのか。よく解らないんだけど。
この年の夏、プリンス「パープル・レイン」発売。久々に同時代音楽にわくわくしつつ、積極性を植え付けられた自分に、突如鉛のような夜が訪れる。
| 2007-01-25 | ライフ・ビギンズ・アット以下散々言ってきたので略 |
昔、ある娘を好きになった。
共に歌える歌がある娘はそんなにいなかった。
12月10日には一緒に泣いた。(※注)
でもその三ヶ月後にはもう離れ離れになった。
あの娘の優しさを受け止めながら
それを好きという言葉に変えるチャンスに結局恵まれぬまま。
あれから、三度の夏休み。
その度に逢ってた。楽しかったけど
お互いに煮え切れぬまま。
それもきっと青春時代の悪戯。
距離に勝てる本気なんて、まだまだ出せなかった。
そして四年目の春。
一つ下の彼女はこれからが正念場なのに
みっともない所を見せるなんて悲しすぎだけど
結局交すのは音楽の話ばかり。
ふと入ったお店で彼女は「彼氏?」と突っ込まれてた。
いや、と不意に出してしまった彼女。
その時、口を塞いでやる勇気もなかったのが
悔しくて。
その後、セルフタイマーで写真を撮った。
これがただ一枚だけの二人の写真。
結局それっきりだった、離れ離れの二人。
あの夏に訪れた、電話線越しの冷たい結末。
それが、僕の1984年
時間は何も解決してくれない。
(※注: ジョン・レノン暗殺が伝えられたのは日本時間で12月9日の午後。大抵下校後家で知らされるというパターンであり、学校でその話題を共有するのは10日のことになる。体育の授業で校庭を走ってる時、ロック好きのI先生がその話題を振ってきたのが今でも忘れられないが、まじでビートルズはおろか洋楽を聴いてる者が同学年に全くいなかったからなぁ。)
そして、その後少なくとも16年間は、空虚な心で満たされなかった恋の面影を引きずって生きていくことになるのだ。幸い、時と共に自分が本当にやりたいことに対する情熱がそれを上回りはじめるのだけど、その行程が新たな種を撒いてくれなかったのは悔やまれる。ほんと、そこまで好きだったんだ。
好きになった人(アイドルとか、その辺も含めて)の誕生日を忘れることは殆どないのだけど、この日付にもどかしさを感じるのも今年で最後にできればなと思う。いい淑女になってらっしゃってほしいな。
ほんと、今日に限ってはめちゃ余田話でどうもすみません。以下略が「ザ・ホップ」でないことだけは明らかにしておきます。
| 2007-01-26 | 1984年って、脱線編 (前の年の話) |
まぁ、そんなこんなでコミュニケーションに関しては煮え切れない青春を送っていた十代末期の丸芽ではありましたが、さすがにそれじゃだめだと感じたのか、父が結構気を遣ってくれまして。
仕事でお世話になってた某生命保険会社の役職クラスの人の娘さん(三つ年下)が、どうやらビートルズに興味を持ち始めたらしく、アルバムをプレゼントしたいので3枚程選んでくれとある日言われた。確か83年秋のことだったと思うのだが、こういうチャンスとなれば自分の立場も弁えず、以下のものを選出。
「アビイ・ロード」-とりあえずオリジナルの代表作としてまずこれ。初めての人に「サージェント」はある意味リスキーであるな。
「20グレイテスト・ヒッツ」-82年にアナログ盤でリリースされた、全米No.1曲だけ集めたコンピ。「1」の前身のようなアルバムで、基本としては妥当な線。
「ビートルズ・バラード・ベスト20」-80年、ジョンの死の直前にリリースされたバラード・コンピ。異性への贈り物としてはこれが最適か。ちなみにこの3枚全てに「サムシング」が収録されているが、ご愛嬌ですね。
かなり喜んでくれたようで、一度親子揃って我が家を訪ねて来た時には、ちゃんと子供同士放っといてくれて、おかげで普通の若人っぽい話題で盛り上がれた。結局「ビートルズ復活祭」(所謂フィルム・コンサートってやつですね)に二人で行く段階にまで至ったのだ。でもそれ止まり。自分には大切な人がいると解りきってたせいで、ある程度自制してたんだろうな。でも、父としてはもっと先に行ってほしかったのではないかと読んでいる。大切な取引先との関係を保つためにも。
結局、2年後に父の葬儀で顔を合わせたのが最後になった。彼女もきっといいお母さんになっていることを願う。保険会社の方は.......ちょっと言い辛い結末になってしまったけど(ヒント:尾崎)。
もう、こういう甘酸っぱい話は沢山ですよね。つーわけで明日はまた音楽の話に戻ります。例の、重要な出来事について書くのを忘れたら困る。
1984年と言えば、忘れてはならない教授デモ・テープの話。丸芽はもろYMO直撃世代だっただけあり、火曜夜のNHK-FMサウンド・ストリート、坂本龍一の回を、欠かさずとはいかないまでも愛聴していた。「戦メリ」の公開前後の時期だけあって、坂本氏への傾倒もただものではなかった(と言っても、音楽的シンパシーを感じるところまではいってなかったと記憶してるが)故であるが、中でも時折放送されるデモテープ特集が楽しみでしょうがなかった。ここで聴かれるアマチュアリズムのかけら達に同胞意識を感じ、しかもその一部には萌え心を抱かずにいられなかった。まさに現在まで受け継がれるスモール・サークル・オブ・好き者スピリットが、教授デモテープ特集によって育まれたといっても過言ではない。
そんなわけだから、丸芽が「たかとその一味」の音源をサンストに送付せずにいられなくなったのも当然の成行きである。手許にある、教授デモテープ特集のエッセンスを凝縮した名盤「DEMO TAPE 1」のライナーと照らし合わせると、1984年2月14日の放送分を皮切りに(そんなことしてていいのか、という時期である!)、毎回エアチェックをして傾向を分析。そして、恐らく同年の末あたりに、莫大(?)な音源の中から8曲を選んでコンパイルし、教授の元へと送ることとなった。当然、84年には殆ど「新作」の制作は行なわれていず、同年の録音は一曲、60年代のサイケ曲を選んだのみで、あとは小学校の時に作った変なテープとかを適当に組み合わせたわけ。いずれにせよ、自分でもユニークだと思うものを選曲した跡は伺える。
そして、翌年5月14日の放送の冒頭、「第一次予選に通過」した者の一組として、その一味の名前が呼ばれた。それだけでも実に名誉なことに感じたのだ。少なくとも、左足の親指程度位は陽の当る場所に足を踏み入れられたと思った。
但し、その興奮を共有できる同志は、相変わらず側にはいなかったし、探す術もやはりなかった。渋谷CSV界隈で盛り上がっていたとんがった新しい波さえ、自分にはまだまだ遠いものに感じた。大体サイケとテクノが交わるなんて想像もつかなかったもの。
その後、教授デモテープ特集と丸芽の関わり合いは、意外な形で進展することになるが、その辺は1997年、ルル網の極初期に初出となったこのコンテンツに詳しい。他にどんなミュージシャンがここを拠点に巣立っていったか等も記してありますよ(追記として、当然10年前には知る術もなかったが、平原綾香の「Jupiter」等のアレンジを手がけた坂本昌之氏の作品も、85年6月4日の放送で流されていた)。このコンテンツをアップしたことがきっかけで、さらなる奇跡へと邂逅し、インターネットの底力を思い知らされることになったのだが、結局それはルル網黒歴史の一つへと転じた故、言及を避けておくこととする。大体、その素自体撤去されているし。
まず訂正から。一昨日触れた保険会社の娘さんの年齢、実は同い年ではありませんでした。思いがけず、彼女直筆(!)の資料を発見してしまいまして。3年後には「ヴィーナス」とか「ロック・ミー・アマデウス」(!)が好きな活発なお嬢さんになってたようです。まぁ、フツーでいいよなぁ。人生とかリアタイで聴いてた人達には、絶対怖くて近寄れなかったと思う。当時の年齢では。大体ナゴムが解るようになったのも、第一次ルル網最盛期になってからのことだからね。
まぁ、「おとなしい字」を書く女の子は、好きですよ。
さて、強引に「甘酸っぱい話」に戻るとしますか。昨日教授デモ・テープの話題で昔のルル網コンテンツに貼ったリンク、たまたまその下に「ロックお姉ちゃんとの出会い」の話題が。これはもっともっとガキの頃の話なのだけど、これがなければ今の丸芽は絶対ないという程重要な経験であった。その約十年後、舞台となった大津市の民宿に、再度お邪魔することになる。
奇しくも、電話線越しに冷たい結末を迎えたのが、その前の夜のこと。その日は父も大津に来ていて、かつての仕事仲間達と麻雀に熱中していた。で、その間自分は何をすればいいのか。勿論、ロックお姉ちゃんはきっと結婚したか何かでそこを離れており、レコード・コレクションも当然なく、ただ空き部屋が残っていたのみ。傷ついた心を何とか癒したいと、喧騒の中手に取ったのは、たまたまそこにあった「まんがタイム」等の4コマまんが雑誌であった。
確かに、音楽に熱中するようになってからは、テレビの特撮ものとかは見てたものの、「少年マガジン」の類を熱心に読むことは殆どなくなったわけで、その点同世代の輩とのギャップが明白になってしまうのだけど、たまたま手に取った「まんがタイム」は新鮮に読めた。特に大洋ファンだったせいか「がんばれイガワ君!」が面白く、それに引き込まれて他のコンテンツも自然と笑いを誘う。おかげでちょっとはいい気分になれたな。結局その後、赤座ひではる「愛妻くん」とか窪田まり子「はりきりさよちゃん」とか、単行本を集めるにまで至ったのだが、自然に尻すぼみ。音楽程熱中できる対象では当然なかったし、大体自分に画才が全くないからなぁ。
そして、傷ついた心は自然と新たな活路を自分の前に開いてくれた。アイドル、である。はっきり言って、特に高校時代は殆どアイドルなんて無縁の生活を送ってきた。市場調査のためオリコン・ウィークリーを毎週読んでいたから、名前と顔が一致するコは大勢いたけれど、レコードを買うとかそこまで深入りするのは無意味だと思っていた。僅かな例外が、つちやかおり(現布川敏和夫人)と原田知世である。もちろん、そこまでブレーキをかけた一因にも、進行中だった遠距離故のプラトニックな妄想が含まれていたのだが。
しかし、84年になると、さすがに空虚な青春を悟ったせいか、アンテナにひっかかるコがぼちぼち現れ始める。それが故・岡田有希子であり、菊池桃子だった。サイケ一色の音楽嗜好生活があまりに危険と悟ったせいか、それとも虚しさへの反動の賜物か、自分のレコード収集対象にこれらアイドルが堂々と交わり始めた、それが84年夏のことなのである。
当然イベントに行く程の行動力などある術もないが、翌年にはそんな気恥ずかしさも解消され、積極的に握手会とかに足を運び始めるのだ。そして、オリコンの読者投稿欄にも頻繁に投稿し、読者集会でも目立ち始める。そういう所にいた方が、ずっと気持ちよかったんだよ、あの頃は。当時のアイドル・ファンの音楽嗜好って結構なめられなかったんだよ。極めて少数ながら、趣味のいい女の子と話せるチャンスもあったし。まぁ、その位にしておこう。今は84年の話をしているのだから。
あと、まだしていない話といえば......全米ヒットものとかに関しては、今更振り返る必要ないと思うからやめとくか。たかとその一味に関しても、昨日触れたので充分だし.....具体的にどんな感じで音楽を作っていたか位は触れておきたいと思うけど、別に84年を軸にしなくてもいいだろうし。あ、18日の日記で「ヒ・ミ・ツ」としたことに関しては.....ヒ・ミ・ツのままにしておくのがベストなのかな.....
last.fmを再び活用し始めて約3週間。あるものの影響で、プレイリストの傾向が大幅にシフトすることとなったが、相変わらず興味深い発見が多い。
今日はBUZZの「ケンとメリー〜愛と風のように」が流れたのでそのページに行ってみたら、ちょっとした荒れ状態になっていた。まずwiki文章を見てみると、「Buzzは韓国のポップグループ、及びドイツのドラムンベース・ユニット」とあり、そのあと韓国のバンドだけについて詳細な説明が書いてある。それを受けてか、どっかの欧州の人がシャウトボックスで「く◯◯国のバンドなんかじゃねーよ」とまじ切れ。彼によると、BUZZはまずフランスのコールドウェーヴ・バンド(何?)なのだとのこと。それをドイツのムンベ・ユニットのファンが更に煽る。そんなに煽られたら韓国の人もキレるに決まってます。「バックストリート・ボーイズと一緒にしないでよ」とかなんとか必死。そこに北欧の優等生っぽい人(しかし聴いてるのは800チェリーズとかパンケークスとか。正しい)が「仲良くしようよ」と割り込んで......さらに英国の伝説的なMCこそBUZZだと言う者まで現れて。もうほんと混線状態です。誰かが日本の、しかも70年代のデュオであるBUZZについて書かないと決着付かないでしょ、というわけであとは各自確かめてね。ついでに曲目チャートには"You're Holding Me Down"という曲があるが、それは60年代の英国フリークビート・グループであるThe Buzzの曲だ。まぁ、The付きは別物ということで......。ここまで国際的になると、まじでフォローするのも大変だろうが、わざわざ括弧内に国名入れてタグ付けするほどの神経はないだろう皆さんには。ニルヴァーナとは事情が違うわけで(でも"Nirvana UK"でプレイした曲はlast.fm側で自動的に"Nirvana"に統一されてしまう非情なシステム。まぁ、早い方を優先という理論が正しければ、この件はもっとややこしくなるのだけど)。
まぁ、国家間で感情擦り付けという行為は、なるべく避けていただきたいのだけど。そんな、ジャンル的にも人種的にも坩堝であるこのネット音楽コミュニティで、堂々と自己主張できる幸せ。それにしても新たな送信システム(Tiger版)は「"」と「ソ」と「圭」と「噂」の字に対して冷酷すぎ。他にもありそう。いや、見た目は大した事ないけど、新たにディレクトリを作るという行為はある意味荷が重すぎでしょ。
そして今日は、別方面で可能性を探るべく、新境地にアカウントをこしらえてしまいました。これもまた「あるものの影響」かつ昨日に続き、Thanks、U!
結局1984年回顧記は自然にフェイド・アウトです。曖昧で空虚だった時代を積極的に懐かしみ続けてもしょうがないし、まぁ書きたいことは書き尽くしたと思うので、さっさと先に進みましょう。と言っても、4/8ライヴに関する吉報を伝えられる段階にまだ行っていないし、それ以外の話題となると一昨日申した通り。なんか心境的には空中にふわふわ浮いているという感がありますね。
そういえば、音盤捕獲記を書かなくなって1ヶ月が過ぎたのですが、この2ヶ月間まともな値段で買った新品CDといえば、ちばゆきのシングル「沈丁花」一枚だけ。ルル網とも所縁があるちばさんだけに、随所でプッシュしてるのですが、うーむ。まだ盛り上がりに欠けるという感じですな。それでも、遠方からの検索で中られたりすると、なんか嬉しい。バックアップしていきますよ、当然。あとエメリックの本だけだな、まともな買い物は。他は壊れ値とかバーゲン品ばかりだし、行った回数もそんな多くない。やっぱ決心の固さが逆効果となったんだろうか。それでも、おかげで1月は一つ義務を全うすることが出来たし、今後もしばらく好き者一筋で突き進んでいく事とします。少なくとも6月までは。
本当はまじで欲しいDVDや書籍が幾つかあるのだけど....今日も第一希望を求めて書店に行ったのに、みんななめてるよまじで。
そして、昨日触れた「あるものの影響」が、最近私を再びiTunesダウンロード及びブックオフ詣でへと駆り立てているのも確かなのです。その種が蒔かれたのも、実は1984年のこと、とだけ言ってI have come to one conclusion(早く来んとワンタン来るじゃん)ということにします。
YMO「RYDEEN 79/07」を早速iTunes Storeでダウンロード。これで残高なくなった。それにしても、今回のは複雑な気持ちにさせる出来だなぁ。実際YMOを生で見て、しかも「BGM」に当初は否定的な見解を示した(今はそうでもないけれど)立場として余計に。結局、その後「来たるべき世界」を再生して、気を取り直した。
テクノロジーを使った音楽は、明確な明日が見えない分リスキーである。よって、ライヴを見る立場としては、直球ロックンロールもしくは直線形歌ものじゃないと安心できないってこと。今日は後者の極致というべきライヴに行ってきた。
[実演鑑賞記] OraNoa 「はなびらとカンマ」@ROBA ROBA Cafe (経堂)
OraNoaさんのライヴに初めて伺ったのが2002年の秋。それ以来、まるで媚薬を求める如く、引き寄せられ続けているわけだが。本人曰く、大して変化のないライヴを続けているとのことなのに、聴く側としては限りない変化を感じずにいられない。それだけ磁場が強い歌世界を維持している人なのだ。今時稀な存在である。
昨年は恒例のクリスマス・ライヴが行なわれなかったので、その代りとして開かれた桜前線前哨戦コンサート。3年前以来お世話になってるROBA ROBA Cafeのこじんまりした空間が、今回は隙間の殆どない状態に。やっと時代が追いついたのか。ずっと見守ってきてよかったという気がした。
今回のライヴは、いきなりトッド・ラングレンの「夢は果てしなく」(カーネーション・ヴァージョンのカヴァーだそう)で始まり、そこから王道曲が繰り出されていく。曲が進む度に、それを最初に体験したライヴの様子がフラッシュバックしてくる。それなのに目の前で展開される歌声はあくまでも最新型で、繊細且つ力強い。恒例のリコーダー・コーナーも今回はアルト一本のみ持参。「休憩したい方はどうぞ」と言っておきながら、演奏の方はとても密度が濃かった。特に「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、もしのだめがピアニカではなくリコーダーを持ったらと妄想させてしまうお茶目なヴァージョン。セッションしたくなったよぅ。そういえば今日は乙女隊の皆さんに逢わなかったなぁ.......
その後、変則チューニングを生かした最近の新曲が続けて披露されたが、その直前に弦が切れるという思いもよらないハプニング。力みすぎてギターの弦が切れる光景は今まで何度も見たが、無理気味のアップチューニングとなれば衝撃もかなりでかい.....おかげで、お茶目度がさらに露呈する結果となったが、なんとか持ち直し、トリッピーな響きで最後まで押し通してくれた。
客席の密度が濃かった分、フレンドリーさは薄れたかもしれないが、その分彼女の集大成といっても過言ではないライヴになったと思う。新世代のほほん歌姫にも彼女のことを教えてあげないとね。もちろんその逆も。
| 2007-02-05 | レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ |
「リカ」か。AV界に贋者が出現したら、人気が本物であるという証しである。日本中に存在する殆どの書店は、完全になめてたというわけですね。何度も書いた通りじゃないですか。つーわけで敢えて書きませんよ、苗字は。
[実演鑑賞記] shibata emico、他@mona records (下北沢)
いよいよ一ヶ月後に初の非自主制作CDリリースを控える新世代のほほん歌姫。今回のライヴはギター(おなじみ三輪さん)、ベース、ドラムを従えてのバンド編成。レイドバックした乗りに支えられて、浮遊度高い歌世界はさらに舞い上がると思いきや、しっかり地面についているのが凄い。陸空両用ヴォイスですな、まさに。バンドの演奏に途中何度かアクシデントがあったものの、笑顔と共にいつのまにか軌道へと戻すスキル。何が起ころうともハッピーにさせてしまう人格。よくここまで来ました。3年間、見守ってきて本当によかったという気がします。
今日のライヴは、前半は殆ど寡黙の宴といった赴き。最初のアクトは「音で聴く映画」をテーマとする二人組Soul Tune factory。「プランクトン」を課題に、インプロというよりはかなり計算された音世界を展開。心の中に何かを投影しようとしてもなかなかできない、音楽そのものがイメージだと訴えてるのか。まぁ、個人的にはプランクトンをイメージしようとすると真っ先に「レイラ」が鳴り響くので(謎)。やはり同系統といえども、moEmiの方がずっとハート直撃度高いですね。
そして二組目はAnna Yamadaさん。キーボードスタンドにサンプラー他いろいろな機材とMacBook(!)を並べ、マイク2本を従えた乙女が一人。これはきっといつか恋い焦がれた乙女トロニカの類かと期待して聴き始めたら、ロマンと幻想に満ちた音世界の影から繊細な歌が。この「歌」の感触がいかにも70年代のシンガー・ソングライターに通じるものがあり、とても新鮮であった。ヴォーカル用と別のマイクはディレイにフィードされており、絶妙のアンサンブルを織り成すという仕掛け。これはまじで新鮮な体験であった。エレクトロ系に関してちょっと辛口の意見を書いたその翌日に、こんな素敵なアクトに出会うことができるとは。いとうまさみさんのファンの方にも是非お勧めしたいと思う。
emicoさんのステージの後もう一組登場したが、諸事情により切り上げ。終ってみれば、最後までいるべきであった。それでも、このライヴがきっかけでまた新しいときめきが始まりそうな予感がする。
| 2007-02-08 | ちゃんとほうれ! ピッチャー! |
外部HDDの動きに相変わらずひやひやさせられてます。iTunes Storeで買ったネタとか、こまめにCD-Rにバックアップするようにはしているのだが、それでスムーズに事が運ぶとは限らないし。遅まきながら、昨日512MBのフラッシュメモリを買ったので、データの受け渡し(何せ画像処理に関しては、未だiMacにお世話になっているし、事によってはパフォーマも使わざるを得ない)はそれで何とかするつもりだけど。とにかく、ジュークボックスの中枢としてのHDD(いや、中枢はiTunesだからHDDは.....運動神経か?)が安定してくれないと落ち着かないわけで。今更2000曲とかに戻す位思のいっきりのよさが今の自分にあるわけないし。
そんなわけで、過去2年間の私とiTunesの付き合いに関して、改めてまとめてみることにしました。
2005年1月8日 iBookG4を購入。遅まきながらOSXデビュー。
2月11日 iTunes登録曲数、2000曲を越える。なのにこの段階で全曲登録したアルバムはたった3枚のみ。しかもまだiBookをネット接続する環境が整っていなかったので、全てのトラック情報を手打ちしていた。その副産物として、サイモン&ガーファンクル「Ceclila」等の珍トラック再生履歴がのちにネット上に晒される結果となる。この頃はモンキーズの曲の登録数がビートルズやプリンスを上回っていた。
2月18日 iBookをネット接続する環境が整う。これ以降、トラック情報は勿論CDDBから取得することになるが、そこにもまたどうしようもない情報が沢山......
2月21日 Audioscrobbler(現last.fm)に登録。
3月5日 iPod(30GB、ビデオ未対応)を購入。
5月1日 iTunesの登録曲が一時4000曲にまで達したが、この日再度2500曲にまで落とす。プロジェクト「あだ」のために導入したGarageBand Jam Packをインストールするため、大量の空き領域が必要になったので。但しiPodはまだまだ余裕があったのでそのままの状態であった。この後もしばらく増やしたり削ったり(iPodは増やすのみ)、曖昧な状態が続く。また、翌月、篠原理華さんの急逝に面してしばらくの間は、iTunesよりもRecorder-Radioを聴く頻度の方が高くなる。
9月10日 外付けHDD(160GB、USB接続のみ)をとうとう購入。きっかけは、某映像捕獲シェアウェアの副作用と思われるシステム不調で、これを契機にOSもTigerにアップデートし、クリーンインストールした。あまりの錯乱に、この直前にiBook内に残していたiTunes用ファイルは何と4曲(! 内3曲はかおりんの曲)だけとなっていた。早速、iPodに貯まっていた7800曲ものファイルを、某ソフトを使って外付けHDDに戻す。
9月29日 iTunes登録曲がとうとう10000曲を越える。この頃、90年代のある時期に発売されたワーナー系のCD何枚かが、iBookで読み込めないことが判明。「天然CCCD」と呼ばれる。
10月24日 ついに15000曲越える。iPodの登録曲数は9600曲で打ち止め。
2006年1月10日 iPod壊れる。保証期間中だったため、アップルストアで無償交換。ついでにiTunes Storeのカードを初めて買い、翌日何曲かダウンロード(ウルフルズ、ガンズの空耳曲など)。メインストリームから出た60年代のサイケ・アルバムなど、凄いラインナップに興奮する。
4月7日 この頃から、外付けHDDが時々不審な動作を起すようになり、当初はただ単にライブラリが肥大しすぎたのが原因と思ったため、17500曲にまで膨れ上がっていたライブラリを15000曲まで落とす。削除したファイルはHDD上の「廃Tunes」フォルダに隔離しておいた。
6月2日 last.fmに対してある理由から絶望感を抱く。この裏には、同月末に正式サービスを開始するmixiミュージックへの期待感も含まれていた。
6月30日 mixiミュージックを利用開始。しばらくの間はlast.fmと併用していた。
8月6日 外部HDDの不機嫌がますます強まり、last.fmもサーバの不調があまりにも続くので、結局同所と訣別を決意。
10月11日 外部HDD、遂に完全へそ曲げ状態に至る。この段階で、iTunes用が15000曲、「廃Tunes」が3000曲程入っていたが、もう終末的解決策以外方法はないと悟り、初期化せざるを得なくなる。改めて、iTunes用とそれ以外をパーテーション区別。iPodの9600曲を戻し(この段階で、iPodにはかおりんの曲を除き、洋楽しか入っていなかった)、それ以外の曲はぼちぼちCDから戻し始める(主に月曜の夜「のだめ」を見ながら)。これで約8000曲分のファイルが、8月に閉鎖した某サイトから落とした貴重なライブラリー(現在はWayback Machineのお陰で、大半を取り戻せた)等と共に水の泡。
11月4日 大阪滞在中、不注意によりiPodの中身が全部消える。仕方なく、iBookに残っていたバックアップファイル幾つかと、現地で買ったCDを入れてその場をしのぐ。帰埼後、何とか9200曲に戻す。
2007年1月8日 パーテーション分けの効果も虚しく、外付けHDDの調子がますますダウン。この段階で、その原因がmixiミュージックのプログラムにあると一方的に悟り(実はそれを導入する以前からおかしかったのだが)、last.fm再利用を決定。mixiミュージックはiPod再生記録のみ対応とする。そして、現在に至る......
そして今、過去の日記を参照に複雑な面持ちでこれらの記録をしたためている間、iTunesはやはり一度もこけることなかった......。機械は人の心を読むのが上手過ぎ。そしてジョブズの発言にまたも天晴な気持ちを抱くのだった。
| 2007-02-09 | 朝起きてからメチャクチャ寒いし |
いや、まだ朝なのだけど、夢の中で啓示を受け、書かずにいられなくなったので。
昨日の回想録、一昨年5月あたりの動きを振り返ってみて、改めて反省。あの時は本気で「あだ」をやる気満々だったんだな。自分の士気を高めるために、普段聴く音楽の量を敢えて減らすとか。しかし、これを間接的原因とした人間関係のもつれとか、或いは理華さんの悲報とかが重なって、どうしようもなくなっていたのも確かで、それが再び「音楽嗜好整理モード」へと自分を向わせたのであろう。皮肉にも、その後のルル網に光を与えてくれた歌姫との出会いも、その頃に起こっていたにも関わらず。
要するに、コンセプトが整理されていない状態で、あまりにも沢山の人を取り込もうとする心意気の空回りが全ての元凶なのだろう。その辺は、幼少期から自分について回ってたものなので、そう簡単に消えるものではない。独り善がりになるとどうしようもないと確信しているから、自然とそういう指向へと陥る。まぁ、上出来な独り善がりは寧ろ屈折した同情を産む、のでありますが、私自身がそういう屈折した感情の持ち主でもある故なのか?
今ちょっとそういう状態に再度陥っているのですよ。詳しくは書かないとしますが、いくつもの「都合」を整理するのも大変なものなんだと感じる。そして、ソーシャルネットワーキングサービスを、単なるまとめツールとして以上の意味で使いこなすスキルは、やっぱこういう空回りコンセプターの自分が持っていてはいけないものなんだろうな。確かに、ログインしてる時は殆ど「顔の見える繋がり」に近づいてるわけだから、実際に顔を合わせる機会を特別と感じる度合は薄れて当然なのだ。まぁ、ライヴの準備でいっぱいいっぱいなので、それ以外のものを言い出すのも時期的に無理があったんだなと。
寧ろ、こういう空回りコンセプターの自分のような者にとって、はてなは最も有効な手段だったのかもしれない。確かに、ある意味では有意義と言える「曖昧な横の繋がり」が、はてな時代には何度も見受けられた。でも敢えて自分はそこを脱出した。良い趣味に基づく「曖昧な横の繋がり」なんて、全体から見れば殆ど塵みたいなものである。その全体が示す傾向に、幻滅せずにいられなかったのだ。一体、自分に一番向いているwebサービスって何なんだろう。いや、webサービス自体不向きと言ってしまえばおしまいだが、それ無しではとてもやっていけない。こんな時代であれど、今後何が起こるか解らないからな。
ルル網を始めて三年目あたり。webを軸として幾つかの「顔の見える繋がり」が出来、さらにいい仕事を始められるきっかけさえ生まれたその時期の輝きって、一体何だったんだろう。もっとも、それを基に最もインティメイトなひととひととの関係へと繋がると、どうしようもない事を教えられる結果にもなったのだけど。思い出してみれば、はてなを辞めてしばらく経った後、一度だけルル網と「曖昧な横の繋がり」を産んだこともある、とある「アルファダイアラー」が某はてなダイアリーに言及したエントリーを見て、悔しくて幻滅した。その時、自分には他の好き者を魅了する良質な音楽系ブログなんて書く資格はないと悟ったのだ。これさえも「顔の見える繋がり」の副産物だ。
いや、だからこそ今はプラトニックな妄想じゃいけないんだと思う。こんな時代だからこそ。好き者は再度奮起します。そして実は「あだ」のコンセプトはまだ捨てていません。デモ欲しい方は差し上げますよ(特に歌姫さん希望)。
今夜は「空耳アワード2007」だな。久々にHDDレコーダーにがんばってもらわないと。
「お前何で悩んでんだよ」ってとこでしょうか。ナパーム・デスの秒殺ソング。なんか最近そっち方面の衝動に走りたくなるのも、おいしい癒しに飢えてるからなんかなぁ。昨日朝日記を書いてから今日の夕方に至るまで、そんなことを考えながらかなりダメモードに入っていた丸芽です。
昨年の最後の日に「Add Some Music To Your Day」(曲の方)を聴いて不覚にも大粒の涙を流してしまった私でありますが(理由は雲のみぞ知る)、そこから受け取ったのは、いつまでも未練タラタラでいるな、音楽的ボキャブラリーをもっと広げろというメッセージでは決してなく、もっと音楽を実践する精神を持てと肩を叩かれたのかもしれません。大切な仲間達とはずっと繋がっていたいし、その繋がりから何かいいことを始めねばと改めて思わされました。というわけで、2年前に持った「あだ」のコンセプトに囚われる事なく、ルル網なりの音楽実践心を今後はより広げていこうと決心。それがライヴ敢行の際にプラスになれば、言う事無しです。去年六本木でやったあれは、自分なりの意地っ張りに過ぎなかった。今年は意地を捨てて、天然でいきたいと思います。
はりきって準備再開と意気込んだものの今日一日気が抜ける。サファー疲れなのかなぁ。とにかく、一つ決まれば大きく前進となるわけですが、その状態は待つものではありませんよ。こっちから仕掛けないとね。ハコ側との話し合いもあるし、これからも油断はできません。でもなんか、一つ冬が抜けたという感もあって、ちょい悲しい。
昨日外出した目的には、かおりんのストリート・ライヴを視察するというのも含まれていました。というのも、YouTubeで日本のストリート・パフォーマーの奮闘ぶりをまとめて公開しているチャンネルがあって、それを見ながらいろいろと感慨を深くしてしまったわけですが(海外の方から寄せられているコメントもさまざまで興味深い)、一体そんな原石達がYouTubeという媒体を経て大化けするチャンスはあるのだろうか、その辺を研究してみようと思い、まずは身近かつ本気な存在であるかおりんのストリート・ライヴを見なきゃ始まらないというわけで。何せ、今までもチャンスはあったとはいえ、川口の商店街ライヴしか行ってなかったので。
諸都合により、夕方の錦糸町ライヴに間に合わなかったので、意地でも吉祥寺に足を運ぶ事にしたのだが、結局権力の掟に勝てず。でも、そんな中、いくらスケールを抑えられようとサービス精神を捨てようともしないかおりんに感動した。ここまで純真な歌い手が草の根でファン層を広げるチャンスなんて、まだまだ残されているはず。今週土曜には、ルル網ライヴのリベンジを果たすべく、L@N赤坂に戻ってきますよ。
| 2007-02-14 | iBookが言う「こういうHDDは変だと」 死のう!! |
果たしてその変なHDDは円満に死ねたのか? というわけで、昨日予定通りの行動=何とか資金を確保できたので、ニュー外付けHDDの品定め=を行なって帰ってきたのはいいものの、肝心のデータ移行の為に旧HDDに最後の一踏ん張りをしてもらわねばならぬのに、何と最後の抵抗をかまされた。4時間位念を送り続けたというのに、うんともすんとも言わない。ニューHDDを買うと決心した直後の数日間は、1、2度再起動が必要になった位でかなり上機嫌に走ってくれてたのに。ぷんぷん。
結局このレイニー・ブルー・ヴァレンタイン・デイにこつこつと再構築作業をする羽目になってしまいましたが、iTunesのファイルに関しては、何と1時間半程で移行終了。流石にFireWire接続だと、早い早い。殆ど動いてる実感がしない。だからこそ、今度のに急死されると絶対ショック大きいだろう。慎重に使い続けることにします。iBook内HDDに空いた10GB(たった!)の貴重なスペースは、今後創作活動だけのために確保することに決定。完成品を外部HDDに次々とストレージして、必要とならばCD-Rに焼けばいいというわけ。これでその気になれればなぁ。
そして旧HDDは死ぬに死にきれなかったようで、初期化したら当然の如く瞬時認識。今までは160GBという広大なスペースの意味を直視することなく、色んな方向から痛めつけていたからいけなかったんだな。今後は単なるストレージ装置として、使うチャンスを見計らいつつ使ってきます。OS9とOSXの間で奔放に走ってもらうなんてことを強いない限り大丈夫でしょう。
ちなみにうちにはあと外部記憶メディアにSCSI接続する形の4trデジタル・レコーダーがあるが、「GRIN」制作のために少々使った程度なので、これをもっと活用できればと思うのだけど、今更SCSIなんてなぁ......と思ったのだが、昨日ビックを覗いた限りだと、SCSIだってMOだってまだまだ健在だからな。まぁとにかく、一番重要なのは場所であり環境なのです。その辺を思いきって変革していきたいですね。ただ、やっぱ何千枚も持ってたCDを全部MP3としてバックアップして売って場所を確保なんて方法論には、到底賛成し難いのである。やはり、形が基本です。
チョコレートも同様です、とは言わないけどね。気持ちは見えないけど確かに、届いてる。
COMMENTS
にゃんこ:
こんばんはー。
タモリ倶楽部のBGM解読のコメントありがとうございました! どうやら、深くて広い世界にいらっしゃるんですね。
記事のタイトルは、母さんが言う「こういうパーマは変だ」と 死のう!、ですね。これはわかりました。
丸芽:
こんばんは、ご来訪ありがとうございます。
ここ一ヶ月間、YouTubeの影響で改めて空耳アワーにはまってしまいました。過去のネタも洗いざらししてます。
かねてからタモリ倶楽部のBGMのセンスは鋭いと思ってただけに、バーズを聴いた時は思わず目から鱗。こういう心憎い選曲業に憧れます。解る人だけでいいから卒倒してほしいという。今後もぼちぼち覗いて下さいませ。 |
| 2007-02-16 | カセット・テープ・イズ・ノット・デッド |
空耳アワーシンドロームの間接的副産物として、カセット・テープの存在感にぼちぼち再脚光が浴びせられている(理由は察して知るべし)。何せ、93年から使い始めたMDからして、未整理のまま放置されているブツが相当溜っているのであるが(確かに、CD以上にデリケートなメディアであるからして、バックアップすべきものはしっかりしないと後が怖いのだが)、重箱の隅から予期せぬ刺激を発見するスリルとなると、やはりカセットに軍配が上がるのである。
丁度渋谷のタワレコでサーストン・ムーアが編纂したこの本を手にとって(買うまでには至らなかった)、大いなる共感を抱いたわけで。テクノ・カルチャーに先導されて、カセット=ガジェットという図式がキマってた時代を通り抜けた自分にとっては、「ハイ・フィデリティ」的手段というよりも、完全なるおもちゃの一種でしかなかったのだ。だからこそ、カセット時代に残された音が今愛しい。
レコードからMP3に直接エンコードできるプレイヤーの話を知ったときは、これのカセット版も是非必要と感じたものである。512MBのUSBメモリを使用したら、120分テープが4本位エンコードできるのかな。勿論、レベルとスピードとイコライザーの調整は、アナログ側で行なえる方がベストだし、ものによって最良の音質をキャプチャし分けるためには、ヘッドのアジマス調整も当然必要だろう。カセットならではのローファイ・クォリティを、全ての音源に同様に適用するわけにはいかないしね。そして、メモリにキャプチャした音はパソコンで更に細工してストレージ。テープが切れたりワカメ状態になる前にこれさえやっておけば、後で泣く事はないだろう。あとうちには4トラックのマルチ・テープも大量にあるので、それ対応のモデルもあればもっと嬉しい。
そして、そのマシンのデザインは、Weltron 2005を再現なんてしてくれれば、感動のあまり即死するでしょう。
そんなわけで、今後ルル網日誌では、我がカセット・ライブラリーに焦点を当てた回顧記が、ぼちぼち登場することになると思われます。仕方ないので、今唯一使えるカセット再生機であるCD/MDラジカセ(一時期はCCCD再生機としても活躍。もっとも、MD部は壊れてしまい、ディスクを入れただけで内容を抹殺してしまう)に再度登場してもらわないと。
YouTubeで空耳アワー映像をまとめて発見しはまったと書いてから丁度1ヶ月経ちましたが、その後のフォローを殆どしてなかったですな。色々と複雑な思いがありまして。でもまぁ、昨日(日付的には)の放送で2007年度空耳アワード大賞が決定したので、タイミングよくおさらいするのもありでしょう。まぁ、アワードの内容については、地方在住の方のことも考慮して、書かずにおくとしておきますか(まぁ、他のとこみれば解るんですけどね)。
昨年も空耳アワード放送の直後、メタリカのCD2枚を中古で買ったり、ガンズン・ローゼズの空耳曲をiTunes Storeからダウンロードしたり(しかし「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」は7インチで持ってたことを忘れてたなぁ)という行動に出て、空耳好きであることを再確認したが、ここ数年おさらいしていなかった分をYouTubeで見せられると、やはり気持ちが高まらずにいられません。
「音盤収穫記」を廃止した理由は、そんな動きを察知したからでは決してないのだが、何せ限られた予算の中でいい音楽を見つける意欲が薄れている現状を、空耳ネタをライブラリーに追加することで打開するという大胆な決心。結果として、チャンスがあれば中古CD店を覗いて、格安で入手できるネタがあればすかさず?んだり、またiTunes Storeでバラで買えるA級空耳ネタがあればすかさずゲット。そんなわけで聴取生活も最早空耳を中心に回ってるという感じになってまいりました。多分その結果は、明日あたりlast.fmの週間プレイ・チャートに現れるのではないかと思います。えっアレとかアレとか? いけない。いけないのか?
前にもデスメタルやワールド音楽とかを真剣に聴くチャンスなんて、これ以外のファクターには決してもたらすことができないなんて書いたけれど、結局は音楽の宇宙ってやっぱり広大なんだなと思い知るのです。それは、ある種のこだわりや括りによって、個人的嗜好を主観的な「趣味の良さ」へと変換し、他の者を見下ろさずにいられない体質へのアンチテーゼなのかもしれない。確かに、過去数年間はその種の人達の言動や行動に悩まされることも多かったから。いい意味で解放された気がする。
そしてこれは、今年になってから潤いをひとつ失った自分への警鐘かもしれない。何かいいことを始めるとするならば、自力でなんとかしないと。雪が降らないのは一種の啓示かも。雪を見るときっと自己内解決に走らずにいられなくなると(謎)。
それにしても2001年暮放映された「空耳アワー名作100連発」、偶然当時の掲示板ログ発見して「思いっきり裏番組を録画していた」と書いてあって、今更ながら悔しい。個人的にはめちゃくちゃ揺れてた時期だったにも関わらず(オフライン日記も書かなくなってしまっていた)、掲示板だけはアクティヴにしてたんだな。SNSもなかった頃だし、それしか活路がなかったんだろうな。
| 2007-02-23 | ルル網プレゼンツ・ライヴVol.7に関する重要なお知らせ |
4月8日開催予定にて準備進行しておりました、ルル網プレゼンツ・ライヴVol.7 「恋のひな菊大作戦」は、諸都合により開催中止とさせていただくことと相成りました。
理由については、色々と交錯しているのですが、曖昧な状況の元準備を進行させている段階で、たとえプラスにせよマイナスにせよ、決定的ファクターが入庫した場合は、潔くイベント全体をそっち側に持っていくのが当然の在り方であると言っておきます。
当初の企画意図は、「結果的には良かったものの、12月の赤坂ライヴの準備があまりにも慌ただしいものとなったため、その反省を兼ねてより効率よい準備を心掛ける」、「L@Nの上の階にあるNOTEで開催するに相応しいカラーを持ったイベントを敢行する」、そして「今度こそルル網ライヴに出演を確約したいアクトの説得を成功させる」というものでした。その内最初の項に関しては、早々と頓挫してしまうことになったのですが、これは丸芽の呼び屋としての威力の決定的欠如に加え、曖昧な態度が災いしてありもしない方向へと妄想神経が走り、余計目前のゴールをぼやけさせてしまったという事実もあり、それを反省すると共に、その妄想神経をしっかりとしたヴィジョンに変換し、改めて企画し直すイベントのための肥とせねばいけないのです。そのためにも、赤坂NOTEの担当者としっかり話し合い、今後同所でイベントを開催することを確実なものとし、改めて同所に相応しい最良のアクトを集めると誓うこととなりました。そのためには、4月8日じゃあまりにも時間がなさ過ぎなのです。
そして三つ目の項に関してですが、この件が今回の中止に関するもっとも直接的な理由へと結びついたのは仕方ありません。しかし、それに関しては、昨年5月の六本木ライヴにおけるアクト出演辞退の時のような後ろめたさは全くなく、むしろプラス・ファクターとして受けとめています。お互いにベストな状態で何かをすることができないのなら、やらないことこそ最良の解決法なのです。
今回のライヴを楽しみにして頂いた皆様、そして勝手ながら出演交渉させて頂いたアクトの皆様に、改めて多大なる謝罪の意を申し上げます。
まっさらな心で準備を進めつつ、近い将来必ずルル網ライヴVol.7をベストな形で提供することができるよう、最大の努力を惜しまぬつもりでおりますので、是非ともよろしくお願いします。
日に日に正常な感覚を取り戻しつつある丸芽です。といっても、時々襲ってくる頭痛は困り者で、特に脳内シチュエーションや姿勢に関係なく、平常心をぐらつかせてしまう。それでも、脳内の声を聴いているうちに、今後のルル網活動に関する希望的意欲もいろいろと沸いてきたりして、このまま円満に春に突入できればと思わずにいられません(そうか、明日からもう3月なんだな)。
その一つが、いつの間にか構想が宙ぶらりんになってしまっている乙女歌ものプロジェクト「あだ」なのですが、思う所あってかつて録りなぐったラフなデモを聞き返してみたら、えっこんなのも作ってたっけ? というような、今の我が耳にかえって新鮮だったものが幾つか見つかり、これらの未研磨の原石をなんとかするのも義務だと思い始めました。そうですよ、自分は曲作ってる時が一番幸せだったと思えた、そんな時代もあったんですから。ただ単に、表現するための腕と、「輪」に恵まれていなかったからです。主に1988年から92年までの4年間がそれにあたり、その頃は気ままにテープを回して適当にフレーズやコードを探りながら、唐突にアリスの「チャンピオン」を歌い始めたり、当時好きだったアイドルについてコメントしていたり......恥ずかしいけど、なんかそこから実を作りたくてしょうがなかった。
そんな、適当で自己内完結ながらも快感だった創作活動に、突然鉛の玉のように襲いかかったのが、そう、アレ。アレを前にしてしまうと、音楽を作る事なんて生半端ではないのだ、そして消費させることも同じと、自分の曖昧さが瞬時玉砕されてしまう。そして、逆説的衝動のもと、怒涛の歌謡曲シングル収集が始まるわけだ。イデオロギーを享受する意欲だけが高まる一方で、吐き出すためのパワーは時代の経過と共に縮小していく。もちろん、Racco-1000名義でのノイズ活動はあったけれど、今はまた歌に向いたい気分である。
さあ、レジスタンスを取り戻そう。奇しくも、アックス誌の最新号(去年はエプロン・ペペ絡みで結構手にとる頻度が高かったな)は、アレの特集を大々的に組んでいる。早めに?まないと、何が起こるか解らないから。