たわごととかその辺
2000年の巻
ギミー・シェルター (2000年6月)
7連敗だと。しかし野球以外でも結構きつい一週間でありました。何せ6月下旬というと、音楽パッケージ流通業界にとっては刈り入れ時である。各社どっと強力盤をドロップしてくるわけで、供給仲介役としては大変ですよ。まじで。実は個人的にもかなり気になる作品がいくつかあって、ただでさえ激戦となっているルルルル3枚の行方は余計混乱。まあとりあえず来週3枚選んだら、その次は上半期語り漏れ編として10枚とか20枚とか一気に紹介しちゃうかもしれません。ほんと一時期はネタ切れだったのに、いつのまにかまた元気になってる。報われた証拠でしょうか。いい気になり過ぎちゃいけないね。
忙しい故に、ルル網更新関係は早々と片付けて(そのくせしてローテを保つとは潔すぎ、我ながら.....)しまったんですが、ふと空き時間にテレビを見るとはっとさせられることも多い。12日、あの加羽沢美濃先生が遂にバラエティ番組に登場、コンサートでの高嶋ちさ子さんとのやりとりを目にした者以外は絶対呆気にとられるだろうボケキャラを披露したと思ったら、そのちさ子さんが乱入してその場がエスカレート.....なんてのもありましたが、より衝撃的だったのはその前日のニュース番組。家庭内暴力がエスカレートして、このままじゃ何しでかすか解らないからと息子を殺害してしまった忌わしい事件に触れ、子育てについてもう一度見直してみようという主旨の特集を展開していた。今どきの若き親たちの半数以上が子育てに自信をなくしているという。悲しい事実であるが、それ以前に責任感とはっきりした恋愛観が伴わない奴らが多過ぎるんだと、何もないまま峠を過ぎた自分はついつい深刻になってしまったのだ。しかしその後、どうしたことか「子育てのノウハウはヤンママに学べ」という展開になってしまって、チャンネルをひねらずにいられなくなってしまった自分がいた。成りゆきで子供を作ってしまって、成りゆきで育てているヤンママに模範を求めていいのだろうか。貴重な子宝はたまごっちとかそんなものとは違うんだからね。しかも世の中には都合のいいマニュアルが溢れ過ぎてる。子供を泣き止ませるCDってのもめちゃくちゃ売れてるしね。マニュアル通りにやって、自分は今まで通り、そんなんをノウハウだなんてテレビ局も全く。でもやっぱ、あの姿態のままママになってしまう、一番情けないよね。ヤマンバばっかりじゃん。子供は素直に親を見て育つんだし、物心つかないうちにとんでもない奴になっちまうんじゃないんか。保育園では体操の代りにパラパラ踊りかよ。そんであと10年も経てば、小学校の教科書に「あなたのキスを数えましょう」とか載るんだろうなぁ。キス数える位なら兎追おうや。
これで日本が良くなると思うんですか。もっと弾圧する力をつけろよ、権力ある者は。
30年とちょっと前。GSっていう、当時不良の極みと思われた素晴らしい創造的文化は、結局権力に弾圧されて潰されたも同然だったんだよね。今、堂々と不良の文化として通用し、弾圧の対象にはっきりと指定されるようなものがあるか? 権力が情けなさすぎなんだよ、やっぱ。そうだよ、レコード会社とて同じだ。
列車に落書きしまくるB-BOY野郎たちが、国会議事堂を同種のグラフィティで埋めつくしたとしても、多分素通りするんだろうな。みんな、同類にのみ責任を押し付けたがるのだ。特に政治家の先生は。紙の国って正しい。確かに。自分に対する妙な信仰心が止まらない奴だらけの国だよ。みんな、親との連帯感位はちゃんと持つんだよ。情けない親だと思えばばーっと言ってやれ。もち、武器は持ち出すな。
等々勝手に書きまくったけど。それは自分のジェラシー故かもしれません。だって、やっぱり表面的な男女関係よりも、深く精神的に結ばれる関係の方がずっと素敵じゃない?
このニュースの前に放映されていた「サザエさん」が、珍しく殻に閉じこもって独りよがりになること、即ちキレる少年少女の誕生に警鐘を鳴らす内容だったから、余計に身にしみた。勉強ばっかりでテレビも見ず、外界とのコミュニケーションを断ってる所謂「できる奴」は、カツオ君にとっては「天然記念物」なんだと。そして彼なりの意地汚い(でも人情溢れる)手を使い、「できる奴」の心を開くのだ。まぁ、テレビとかが変な模範にならないためにも、まずは家庭をちゃんとしなきゃいけないんだけどね。ちびまる子に出てくる永山君あたりが一番理想的なんかもしれないな。
さよならソフトロック少年、ソフトロック少女。(2000年7月)
僕は1960年代、主に米国西海岸で生み出された、高度なハーモニーと洗練されたメロディをフィーチャーしたポップ・ミュージックが大好きである。
しかし、殻に閉じこもるのは嫌だ。
趣味がいいとは思うけど、それを邪悪な理論を使ってまで他人に押し付けることはしたくない。
「ペット・サウンズ」を初めて聴いて20年経った。
サジタリアスの"My World Fell Down"に初めて出会ったのはあの"Nuggets"を聴いた時で、それからも18年経った。
"Nuggets"に入っていた曲はガレージ・パンクやサイケデリックとして親しんだから、当然米国西海岸発高度な60sポップはサイケの延長として親しんだ。
サイケのレコードを集める延長で、アソシエイションやイエロー・バルーンやファン&ゲームス、そしてミレニウムのLPを手にしていた。
もちろんパイド通いはしていた。
ジャイアント・ジェリービーン・コップアウトのシングル盤"Awake In A Dream"は100円で投げ売りされているのを見て買った。それから14年。
パレードは当然城戸真亜子のイラスト・ジャケのを買った。発売から1ケ月品切れしていた。それから12年。
フリッパーズ・ギターが登場した年、自分は何故かヒップホップばっかり聴いていた。
しかし、荒廃する米国の情勢に怒りを感じ始めた頃、振り向くと、そこには西海岸発高度な60sポップの存在があった。
いつのまにか自分もソフトロック・ファンの一員になっていたようなものだ。
フリー・デザインやらRN&SCOFは、この時初めて認識したようなものだ。
だって、趣味のいいポップスはもっと聴いておくべきと思ったから。
それまではサイケとかロックというレッテルに呪縛されて、ポップ・ミュージックの王道を避けようとしていたのかもしれない。
今になってみれば、そんなこと即ちレッテルの呪縛は、ジョンはロック、ポールはそうではないとか、サイケは危険な化学物質に援助されない限り理解できないなどというセオリー同様
まったく意味を成さない事だったのである。
この高度な情報社会の下で、僕らはより柔軟に、悪く言えば無節操に音楽を楽しむことができる。
ギターポップだって、若いミュージシャンが60年代のいい音楽が好きだと言うのを聴いて関心を持ったようなものだし。
そこに何が偉大で何が粗悪かを論じ、それ故に一つの理論のもとで音楽観を成立させる行為を持ち込むなんて、人の崇拝対象を蹴ってるようなもので不愉快である。
例えば......西海岸発高度な60sポップといっても僕の最も好きな曲はニューヨークやシカゴやパリで生まれている。美メロは好きだけど、真の美メロはザッパの「アンクル・ミート」や「パーント・ウィニー・サンドウィッチ」や「いたち野郎」にこそあると思っている。僕はジェイムソンの"Color Him In"ってそんなに酷いアルバムだとは思わない。「シャット・ダウンVol.2」までのボーイズも大好きだ。スマイルと名の付くブートはCD1種、LP2種計5枚しか持っていない。ブライアン・ウィルソンとプリンスは同じように好きだ。心地好いメロがあれば野暮ったいサウンドでも抵抗なく聴ける。プログレにもハード・サイケにもフォークにも敵意は感じない。コピー商品だっていいものならば素直に認めてやる。
たった一つ、自分にはあの様な高度なメロディやアレンジを実践する能力がないというのは認める。自分のキャパに準じた変な音を作り続けているだけである。
好きなものに対してもっと創造的熱意を持たねばとは思う。しかし、そうした暁に第三者を傷つけることを避けねばと思う故にプライドが邪魔をしてしまう。
だから、今は自分で思う事をここにぶつけるのに精一杯。
ソフトロックとして括られることの多い、1960年代主に米国西海岸で生み出された、高度なハーモニーと洗練されたメロディをフィーチャーしたポップ・ミュージックを愛するという行為は、今後も自分の嗜好の一環として続けていくつもりである。
ただし、ソフトロックというレッテルの呪縛にはもうついていくつもりはないし、それを媒体に他人の発言や行為を邪魔したり曲解したりなどということには、今後一切関わらないことにする。
最後に僕は、高度なハーモニーと洗練されたメロディをフィーチャーしたポップ・ミュージックが好きで、かつこのコラムのタイトルの元ネタが判るという人となら、上手くやって行けるだろうと思う。
このちっぽけなスモール・サークル・オブ・フレンズの維持における陰なる君臨者、Ron氏に感謝します。
I Don't Believe In (Those Who Believe In) Beatles (2000年11月)
先週無理したせいかわからないが、体調が更に悪化してとうとう病院に行ってきた。なんと6年振り。大丈夫なんかなぁ。しかし、ちゃんとしたお薬はよく効くもので、いい気分になりたい時はしっかりといい気分が持続しました。来週あたり本業的に今年の山だから、今壊れててどーすんねん。サザンの「バラッド3」が出るし、クロニクルのクリスマス・コンピが出るし....そういう季節になるわけですね。寒さに負けずにがんばります。なんて言いつつ、病院の薬が切れたとたんにまた苦しみが.....じっと耐える。
いい気分をもたらしてくれた事項に関しては後で書きますが、ついにリリースされましたね、ザ・ビートルズの「1」が。20世紀の音楽遺産とはよく言ったものです。ビートルズの永遠性ってものは、遺産なんて言葉と無縁にしたいものなんですが。その辺は先週マニュエラでしっかりと痛感しましたが、要するに残されたものが深いほど解釈の道も多く芽生え、お陰で永遠に腐敗しないわけです。その代表がビートルズやバッハだと思うべきなんですよね。
で、予想通りその装丁についていろいろと物議呼んでますね。各国のシングル・ジャケを並べたオリジナル・ブックレットは楽しい(っつーか使える)けど、日本版にそれ以外の付加価値をつけてどーすんねんという意見が随所で暴れてます。特にビートルズを信仰の対象として奉り揚げ、排他的性格を露にしてるような方々の文章って、今後さらに狭い見解を持った人を増やしそうでやになりますね。まぁ、そういう奴らのケツに蹴りを入れたのが先週のマニュ・イベントだと思うんですが、けんそうさんデザインによるそのフライヤーの文句じゃないけど、「ビートルズを日本から叩き出せ」という文のどこかに「奉り揚げる者達」って語句を入れたい気分なんです。それこそNo.1ヒットの数が偉さの度合だなんて、その考えは止めてほしい。別のビで始まりズで終る、間にトとルがない人達がそれを証明してるじゃん。(「えっ、日本のバンドなんて関係ないでしょ」なんて言って反論するんか? それ自体がダメ行為だよな。あっそうか、間にチとボとイがある人達のNo.1ヒットの絶対的少なさってのもあるか.....)
ビートルズ解散と思春期の間に当る時期に彼等にどっぷりつかってしまった私のような世代が一番正しい接し方してるのかな。だからこそ、各国盤の勘違いなジャケを見て「感心」したり、ルイソーン・レポート以前に書かれた思い過ごしだらけの本何冊かを「楽しく」読むことができるんだよね。呆れたり、怒ったりすることなく。もちラトルズや「エキゾ・ビートルズ」シリーズは素直に楽しめないと。エンクミの「ヘイ・ジュード」聴いて「すべては気の持ちようさ」と頭を掻いたりとか。
というわけで、いい気分の部。まず10日〜11日未明にマニュカフェで行われた岸野雄一社長のアルバム発売記念パーティ。当日の朝になって、夜体調が良ければ行こうと決めたんですが、幸い日中絶好調だったので急遽ネタ選んで行きました。HOT AKAIとして念願のバカ・バブルガムばっかりのセットと、丸芽志悟としての和ものストレンジ・アイテムのセット各20分をプレイざさせてもらったんですが、その場の雰囲気の良さに圧倒されかえって緊張し上手く行かなかった気が。しかも先週のルル日和、花*花のところで名前が出た松前さんのセットを挟む形となったので余計畏れ多くて。それでもその間、店内でケロヨンの映像が流れていたので助けられたという感じです。4年振り御対面の吉田アミ嬢を始め、初対面の方も含めて御一緒した皆さん、そして社長に感謝します。
そして12日は、前々回ルルルル3枚で取り上げたフルート・クァルテット、リンクスのインストア・イベント。アルバム出る前からときめきまくっていたんですけど、さすが生演奏はただ者ではないです。フルート4本の自然な響きがここまで調和し、高揚していくとは。唇の魔法を見た思いです。4人各々のキャラクターも申し分なく、今後ますます人気上昇していきそうな予感であります。藤井香織さんの時に続いて、またもサイン会では先頭に。おかげでゆっくりとお話させていただきました(いぇい)。ポップ売場の方でも擦れ違っちゃうし、いい経験させて頂きました。
終幕そして芽ばえ (2000年12月)
日立バレー部廃部かぁ。あの、無敵の日本リーグ88連勝を飾った、日立バレー部が......
日本女子バレーも今年はオリンピック出場が叶わないというところまで来てしまったのだが、確かに他国の実力が上がってきたとか、そういう問題じゃなくて、日本選手に華がなくなったってことを一番嘆きたいんだよね。だからこそ実業団チームの母体としての企業も、彼女らのサポートに対する情熱を失ってしまうわけで。
1985年、「春の高校バレー」で初めて大林素子選手を見て、私は即座に恋に落ちてしまった。あのひたむきな純情さ、可憐な笑顔と長い足。彼女が憧れていた日立に入社したのは当然の成り行きだった。八王子実践高校の緑のユニフォームが愛しくてたまらなかった自分は、彼女が日立のユニフォームに身を包むという成行きにまだどこかしら複雑だった。だって無敵集団じゃないですか。巨人軍に対する自分のスタンスを考えると、強過ぎるチームってどこかしら好きになれないって思いはあった。で、もう一人のアイドル益子直美を擁し、脇役も豪華なイトーヨーカドーを応援しつつ、素子姫が行くことになった日立ウォッチングも熱心に行おうと、1986年度日本リーグ開始と共に決心した。
その年の1月24日の試合で、日立はダイエーに敗れ、連勝記録は88で止まった。この試合途中、ダイエーに助っ人として入部していたフロー・ハイマンが急死するという悲痛なアクシデントがあった。日本女子バレーの、あの「東洋の魔女」魂も、きっとフローと共にこの日、死んだのかもしれない。オリンピックでメダルを獲ることができなくなったのはあの後からだから。
愛しい素子姫や、90年度優勝チームであるヨーカドーの斉藤真由美や苗村郁代を擁した全日本チームが栄光を勝ち得ることがなかったなんて、そんな残念な話はないのだ。でも仕方ない、世界の中でのレベルが違ってきたんだから。
しかしまた、春高バレーを見てときめきを感じる事が少なくなった事も確かである。ここで「凄い」って閃きを感じたら、それがスター誕生の予感だから。でも残念ながら、86年以降では最大の逸材と感じた中野由紀でさえ、未だに全日本内で花開いていないのは惜しいとしか言い様がない。
その後、日本女子バレーのプロ化を巡る様々なゴタゴタ、また日立の山田重雄前監督の個人的問題に巻き込まれ、素子姫以下数人の選手は日立を解雇されてしまう。こんな形で結末を迎えた選手達にとってさえ、今回の廃部劇はきっと絶望的なものなんだろうなぁ。
実はモデルに憧れていた素子姫の写真集を見たいという夢が今世紀中に叶う事はなかった。現実となったのはこんな悪夢だった。現役選手の皆さんには、勇気を出して持続してほしいと願わずにはいられない。そして、いつか素子姫を遥かに越える、技色兼備のすごいプレイヤーが出現することも。
ね、Qちゃんを見ればわかるでしょ。
* * * * * * * * * * * *
今週一週間はまさに考えるばかりの日々でした。活発に体を動かしながら(そう、職場の状況も一変して大変だったわけよ)、これからの身の振り方についていろいろと考えたり、それ以前にこの20世紀最後の月にどこまで自分とその周辺を浄化するかコンセプト練ったり。しかしいくら考えても頭の中を黙って通り過ぎるばかりで、きっちりとプランがまとまらないのが困ったもの。でもこれだけは言える。今の自分はかつてない程の幸せに彩られているってこと。
過去何年、自分の日記の12月24日の欄に同じような愚痴を色とりどりのペンで書きなぐった事だろうか。今年はその必要がないのは確か。でもあんな人混みの中に交わろうって気は失せるよなぁ。12月だもんなぁ。
もう一つ劇的な変化があった。とうとう8トラック・デジタルMTR、フォステクスのVF08ってやつを購入した。Racco-1000を遠隔ユニット化するためにも、なくてはならない道具として選択したのだが、使いこなせるようになるのはいつだろう。とりあえず「習作」みたいなことを繰り返して、何とか刺激的なものを創りだせるようになれればいいと思う。
そんな中、1日には踏み込む勇気も失せる街渋谷に遠征してきた。待望のアルバムをリリースしたティンパンのインストア・イベント。アルバム自体に関しては今回のルルルル3枚の方でコメントしてるんですが、ここまで濃くかつ楽しめたイベントも久しぶりだったような気が。スタジオでの録音風景を隠し撮りしたビデオ上映から、3人の争奪によるクイズ大会まで。終始、細野さんのテンション高い姿を目に出来たのはとても嬉しかった。5日と10日にはまた渋谷に行く事になっている。居るだけで疲れるなんて気持を抱くのは良くないかなぁ。
(ALBUM MEMOの部)
繭の庭 「繭の庭」 Novel Cell Poem NCP-3 (99年発売) |
続いても乙女音楽だがこれは全く趣を異にしてる。女の子3人のほのぼのメルヘン・サイケ・バンド。浮遊感溢れるグルーヴとかキュートなおもちゃサウンドとか、私に買うことを強要しているようなフレーズが可愛いフォント(?)で帯に躍っている.....というわけで買ってしまったんですけど、なかなかよいです。期待したほどめちゃくちゃに壊れてはいないけど、例えばエンジェリン・ヘヴィ・シロップとかマディグラ・ブルウ・ヘヴンとか、そこら辺の音をよりふわふわ度上昇させたような感じ。ゆったりと進んでいく音の絡みに、天上でゆらゆらとたなびいていく歌声。よく聴くとかなり計算されているし、お茶目な部分もいい具合に顔を覗かせる。こういう音がレーベル盤面のようなキュートさと表裏一体となって出てくるところが、まさに世紀末でうれしくなってしまうのです。3曲目なんて一気に噴出するプログレ的屈折具合がかえって可愛らしくて。今後は隠されていた壊れ部分をより前面に出して、変な音ももっと沢山使って、もっともっと悩ませてほしいですな。(端的に言って贅沢しろってことか.....いやいや、リトルフジコの例もあるしさぁ) 絶対メンバーの誰かがクリンペライ好きだって読めますから。(2000年1月)
Steve Marcus "Tomorrow Never Knows" Vortex AMCY-1270 (99/12/10発売-オリジナル68年) |
所謂「ロック革命期」の入口と出口のそれぞれ隣には偉大なるジャズの名盤2枚、コルトレーン「至上の愛」とマイルス「ビッチェズ・ブリュー」が存在していたが、その間にジャズ側からのポップやロックへのアプローチは数多く行われていた。サイケどっぷり期に於いては「サージェント」の楽曲に果敢に挑んだウェス・モンゴメリーやガボール・サボ、グラント・グリーンの名演が有名だが、これらはどちらかというと今で言うフュージョンの元祖的な感じがあって、ポップ・イディオムを用いた耳当たりのいいジャズの媒介としてサージェントが使われたと言っていいか。そこに来るとこのスディーヴ・マーカスのアルバムなんかはジャズメンが堂々とサイケ側にアプローチした好例と見ていいかも。74年出版された「ビートルズ事典」にはB4の楽曲のカバー・リストが載っていたが、今でこそフィル・コリンズからダニエル・ダックスまでにカバーされ「定番B4曲」の一つとなっているこの実験的タイトル曲の項目に名を連ねていたのはこのスティーヴ一人だけだった。オリジナルの陶酔ビートをさらに拡大してインプロの海に流しこむトランス色の濃いサウンドは、ジャズでありつつサイケそのもの。他にもバーズ「霧の8マイル」、ドノヴァン「メロー・イエロー」といったサイケ・スタンダードが取り上げられ、後者に於いてはメロー・ムードを撹乱するような前衛プレイの嵐がジャンルの垣根を波状にうねらせる。当時「ジャズっぽいサイケ・ロック・バンド」の一員だったラリー・コリエルのギターが刺激いっぱい。サン・ラー的孤高世界とは別者ながら、60年代ならではの特殊サウンドを探究したい方にはまさに格好のリイシューがついに実現。あとはバド・シャンクが「マジカル」の曲(A面真ん中の2曲も!)を縦横無尽に料理したアルバムのCD化を待とう。(2000年1月)
Captain Beefheart & His Magic Band "Safe As Milk" Buddha BVCM-35051 (99/12/16発売-オリジナル67年) |
やっとキャプテン・ビーフハートにこの日本でもまともな光が当たり始めたようだ。実はザッパもそうなんだけど、このところ旧譜CDが活発な動きを見せていて。あの怪名盤「トラウト・マスク・レプリカ」にしたって、ここ数ヵ月に限れば「マシン・ヘッド」や「ホテル・カリフォルニア」以上に出荷枚数多い筈だ。ワーナーの人は否定しないはず。やはりジョンスペとか、壊れモダン・ブルースのルーツとして位置付けされるのか。ザッパの仲間としてのエキセントリック肌がノイズ派、前衛派に見直されてるのかなぁ。まあとにかく、これはいい事でっせ。BMG傘下に入ったブッダ・レーベル(なぜかAとHの位置が逆転した)からは、記念すべきファースト・アルバムである今作と、続くアルバム用のマテリアルとして制作されたものの発売が71年まで保留された「ミラー・マン」が、音質面でも資料面でも改善された形でリイシューされ、これも安定した売れ行きを示している。っつーわけでこの一枚をルルルルで紹介。さすが67年という感じの、ガレージ的R&Bの残り香漂うサウンド展開の中、怪人ならではの独自性溢れる表現が開花しまくる内容。今丁度音楽家人生で最良の時を迎えているライ・クーダーの若き日のプレイも充実しまくり。やはり演奏のクオリティが高いのはザッパ同様うなずける。しかしここで重要なのは時代性を拒否するキャプテンの突き抜け振り以外の何でもない。「エレクトリィシティ」は文句なしに電気ビリビリの怪演、素晴しすぎ。真っ当なR&B「アイム・グラッド」の歌心、屈折展開にくらくらの「ドロップアウト・ブギー」や「アバ・ザバ」、さすがサイケ時代って感じの「オータムズ・チャイルド」など一切捨て曲なし。ボーナス・トラックとして「ミラー・マン」から漏れた次作セッションのアウトテイク7曲追加。スタジオでの試行錯誤から既に漏れる毒ガス攻撃は油断を許しません。好きよキャプテン。(2000年1月)
Mami Chan "La Nuit De Pollen" A.P.C. [France] 014(99年発売) |
96年発売、97年入手、98年恋に落ちまくりのジェットコースター・桃源郷音盤「オトナモペー」から3年振りの新作が遂に登場。去年はドラジビュスの新作にちょっと参加した位で主だった活動がなくちょい淋しかったが、ここに力作を届けてくれて見事に帰還。ポポではないがサラヴァ絡みのレーベルみたい。今のとこ国内盤も出てなくてとりあえずフランス盤見つけ、舞い上がり購入。今回はジャケが写真、トレイ部分がイラストと、前作と逆転。音の感触もその通りなのだ。あの、乙女の匂いが染み着いたブランドもののスカートの裾をひっかけておもちゃ箱をひっくり返したような、美しくも激しい壊れサウンドから、ちょい内省的感触に溢れた音へとシフト・チェンジ。あと歌が大幅にフィーチャーされているところも前作と違う。表面的にダークな部分が出ていても、カラフルな部分は全く鳴りを潜めていないのは彼女らしい。随所に壊れた調べとはっとする様な美麗な旋律が浮かび上がる。様々な風景を見せてくれる中、彼女の歌声が可憐に色を添える。前作でちょっとしか聴けなかったのが惜しい、美しい声。実際ライヴで「どうもありがとう」って言ってくれた時の優しい声が忘れられない自分としては、いつまでも傍に置いておきたい一枚となりそう。12曲目のタイトル曲とか、日本語で歌われた曲は特に胸キュン度が高い。その不思議な旋律と相俟って実に繊細な印象。サウンド的神秘性が高まっているのは、あのSH&Wのアンドリュー・シャープリーが参加していることも一因なのかなぁ。70年代の乙女シンガー・ソングライターがドラムンベース仕掛けの罠にはまって迷い込んだソング・サイクル迷宮なんて言えそうな好盤。また来日しないかなぁ。あの壊れステージを再度体験したいもの。(2000/年2月)
TAGES "Tages, 1964-68!" Parlophone [Sweden] 4750292 (1992年発売) |
満を持してついにルルルル登場の60'sスウェディッシュ・ビート・グループ代表格、TAGES(トーグスと読むのが正しいらしい)。GS再発見に伴って世界各国のビート・グループの活躍も見直されるようになり、このTAGESもネットの随所で話題になる事が多くなってきた。去年うちでも大プッシュしたLes Irresistiblesに続き、密かに人気盛り上がり中なのである。このベストCDは去年関西旅行の際フォーエヴァー・レコードで入手したもので、微妙にルルルル・タイミングを逃し続けていたが、周囲の盛り上がりに促されてついに登場。本国では3枚組のBOXセットもリリースされ、然るべき場所には入荷してかなり話題になっているとか。まあとにかくHitomiさんの"Cutie Morning Moon"やオレンジさんの"POP-SIKE"でその一推しぶりを是非チェックしてみて下さい。このCDにはタイトル通り5年間に放ったヒット曲、レアなトラック等がてんこ盛り。ライナーが原語のため理解しきれてないのが玉に傷だが、ネット情報がそれを充分補ってくれるのでいいとすっか。初期の頃はマージー・ビート色濃い素朴なサウンド、次第にフーの影響が加わってカラフルなサウンドに染まっていくのだが、サイケ期に突入するといきなり開花。名曲"Every Raindrop Means A Lot"(Ronテープで聴いて、感動した曲)に始まる後半の流れは見事。ブリティッシュでもアメリカンでもない、陰りと躍動感を一体化して消化した独自のサイケ・ポップ。北欧らしく古代の楽器をサイケ的に使用したり、偏執狂的テープ編集をさりげなく生かしたり、それでいてメロディがすごく暖かい。そしてかっこいい。ポップでカラフルなサイケが好きな人は是非とも見つけてほしいと思います。"Fuzzy Patterns"という超名曲が入ってないのはちょい残念ですが......。(2000年2月)
荒澤文香 "Boxing Bubble Bubble" Good Music Records GMR-6 (2000/2/19発売) |
今月の即はまりガールもの。元キャンディ☆アイスラッガーの女子一名による暖かくて清らかなポップ・アルバム。何せ裏ジャケを見て外れな訳ないじゃんと勇んで購入したら、当たりまくり。GSとジョン・レノンに挟まれるというのが実にもったいない、快作ですこれ。もちろろんグループ時代のアカペラを期待するわけないじゃないですか、この裏ジャケで。不思議なエレクトロ音に導かれてスタートする浮遊感溢れるポップ・ワールド。手短に言えば、乙女ハイ・ラマズ。確かに音の組み立て方や選び方はハイ・ラマズ風としか言い様がないのだが、彼女の箱庭には乙女にしか醸し出せない香りが充満していて、それは言葉に、歌声に、メロディに確かに染み着いてる。所どころに乙女好きの胸をキュンとさせる罠が仕掛けられていて、それが実にタイミング的にも巧妙で。結露現象が起りやすい季節にはとても罪ものだが、この雫、とても癖になりそうでたまんないです。Racco-1000にもこの位リリシズムが完備されていればなぁ。で、どうなんでしょうか、ライヴは。2曲でエクレール(「春はもうすぐ」は名曲)の二人がゲスト参加しております。いい繋がり。やっぱ、空気公団に行かないでこっち行くんだ、屈折者としては。(2000年2月)
John Lennon "Imagine" (Digitally Remastered & Remixed) Parlophone TOCP-65522 (2000/2/16発売-オリジナル71年) |
ジョン・レノンの「イマジン」が20世紀を代表する名曲としてメディアで語られまくるという現象がいよいよ世紀末の今多発しているが、この曲ほど意味が曲解されてしまってる曲も他にないのではなかろうか。例えば、ジョンが生前にやったこと全てを美化しようとする一部の人々の間では、これは絶対的理想社会を表現した名曲ということになっているはず。しかし世の中、そう簡単に「想像」した通りにならないのは常なんだ。「僕を夢想家だと言っても構わないよ、でも僕一人じゃないんだ」との歌詞の通り、世の中には自分勝手な夢想が溢れ、その横行は時に破滅を招き兼ねない。ジョンが凶弾に倒れて早くも20年が経とうとしているが、理想だけで物事が解決する社会なんて、まだまだ遠いのだ。20年なんて大した時の流れじゃないって思い知る。一方この「イマジン」は然るべき人達にとっては好ましからぬ存在だったのも確かである。彼等は現実の破滅的側面だけを直視しすぎて、ポップ・ミュージシャンの戯言で世界が変わるわけないと、全く前向きでない思想を展開するような人種であった。そんな人達が支配する国家に生きるってのにも何の面白味も感じないのであるが。所詮歌は歌なのである。歌い継がれる事にそのメッセージは美化されていくのだが、その大元は道楽に過ぎない。
そんなわけで人間ジョン・レノンの心の内を描いた名盤「イマジン」がリミックス、リマスター作業を経てリニューアルされ登場。前作「ジョンの魂」の赤裸々さを幾分か抑えつつ、さらなる辛辣さと優しさを加えた夢想者の告白10遍。例の「イエロー・サブマリン」で敏腕をふるったピーター・コビンによるリミックスで、オリジナルにあったフィル・スペクター色は8割程拭い去られた。ジョンのボーカルがよりくっきりと全面に出て、各々の音に深みが加わった印象。遼友への強烈な皮肉から妻へのストレートな愛に至るまで、人間ジョンを形成した様々な要素が20世紀の末を優しく照らす。今夜ばかりは夢想者としていい夢を見たいものである。(2000年2月)
Eels "Daisies Of The Galaxy" Dreamworks MVCA-24039 (2000/3/16発売) |
Dr.D、大正九年と、無邪気で屈折した壊れ音楽が続いたから、締めはイールズです。彼等のサウンドは確かに屈折して壊れてる要素もありつつ、その徹底的な心情描写で聞き手を同化せずにはいられない。だから面白ものと並べるといいコントラストだったりする。前々作は奇形の美学について歌い、前作は随所から病気と死の香りが漂う極端な心情裏返し作品であったが、その制作前後リーダーのEは様々な形で「喪失」を経験することになった。落ちるところまで落ちたら、後は始めるだけ。っつーことで今作に溢れているのは希望と生きる歓び。ジャケのほのぼのとした絵はどう解釈していいか困るが、この作品のカラーをうまく表現しているものなのは確か。サウンド的にも従来のごった煮的分裂風味が後退して、ソロとしてのEのデビュー作(名盤!!)に近いものになっているのが嬉しい。何しろクレジットからして"A Man Called E"と、その1stアルバムのタイトルと同じになっている。元プリ様が最新作でプリンスを引っぱり出したのに近いか? 後半の穏やかな楽曲の連なりには、ランディ・ニューマンを歌うニルソンの影もちらつく。全体的に輪郭のはっきりした作りで歌の持つストーリーが伝わってきやすく、これで日本でも本格人気爆発か。全米で話題沸騰しているシークレット・トラックの中でEは「チクショウ、今日は気分がいい」と繰り返す。寅さんなき今、こういうフレーズが似合う男は彼だけだろう。そんな歌がある限り、我が音楽人生は安泰である。(2000年3月)
荒木一郎 「荒木一郎の世界@涙の風景〜空に星があるように」 Victor/P-Vine PCD-1566 (2000/3/25発売-オリジナル71年) |
音楽活動再開が伝えられる荒木一郎の幻の名盤群が、次々とPヴァインからリイシューされることとなった。青春歌謡の異端としてのイメージが大きい人だけに、その先鋭性が再度クローズアップされるのはまことに嬉しい。本作は69年にある事件に巻き込まれ芸能活動休止状態が続いた後、沈黙を破ってリリースしたオリジナル・アルバム。彼の先鋭的側面が最も過激な形で表現されている作品として、好き者の間では語り継がれていたものである。その音楽的分裂性はハプニングス・フォーの「アウトサイダーの世界」と肩を並べるものだが、日常の矛盾感をあざ笑うようなコンセプトがかえって無力感を醸し出していたそのアルバムと比較すると、ここには荒木一郎の歌謡メロディの紡ぎ手としての力量、そして比類なき役者魂によって全編を貫く疎外感をかえって心地よく展開することにより、いい意味でのまとまりが芽生えている。奇しくも今作にもクニ河内がアレンジャーとして参加しているが、随所に顔を出すファズ音はサイケ感というより場末のさびれたイメージを醸し出している。突起の多い歪な青春歌謡・ニューロック編とでもいうべき世界。最新鋭の24トラックを駆使した斬新なサウンド。それなのに嫌味のない歌声のおかげですんなり入っていける。何よりギンズバーグの詩を基にした前衛作から始まる後半の展開は圧巻である。ボーナス・トラックとして誰でも知っているあの曲やあの曲も含む初期のシングルがプラスされているが、これは8トラ・ミュージック・テープ(!)の段階で既に行われていたコンセプトだったようだ。ダイナマイツ参加と言われている「ブルー・レター」も追加してほしかったところ。(2000年3月)
ほぶらきん 「こっぷらきん/キングホブラ/インドの虎狩り/ゴースンの一生」 Alchemy ARCD-029 (1991年発売: オリジナル1979〜81年) |
紹介する必然性がある(その上、入手が困難ではない)旧譜をピックアップしようという、このルルルル3枚のポリシー変更に必然的にひっかかった最初の一枚こそ、このほぶらきん! 彼等との出会いは、1980年手にしたあの阿木譲氏の「ロック・マガジン」の付録フォノシートだった。屈折した前衛を追い求めてた当時のロック・マガジンから、何故にこの音が.....。不思議と思いつつ、その変さにたちまち取り付かれてしまったレジデンツ大好き15才。同じ滋賀県の人達という事実がまたやけに親近感を覚えさせたものだ。それから11年、JOJO広重氏のアルケミー・レコードから、必然的にCDでリイシューされたのを見た時は感涙。入手困難となっていた4枚の自主制作EPの音をコンパイルしたこのCD。91年の段階に於いてもその不条理さはまだまだぶっとんでいた。しかし何回か聴いていくにつれて、この中の最低5曲を「日常の愛唱歌」にせずにいられなくなった自分が現れるのであった。このぶっ飛び様こそ前衛の極みであり、かつ究極の衝動音楽としてロック史に刻み込まれるべきものなんだ。で、2000年の今。ディスクユニオンお茶の水インディーズ館で推薦盤として試聴コーナーに入り、湯浅学氏のFM番組で日本の前衛代表としてマジカル・パワー・マコと共にプレイされる。やっと時代が追い付いたというべきか。したたかな計算術に基づいて生み出された無意識狂気は、まさにローファイ、ノイズの源泉。全員教師だったというメンバーのアカデミズムの屈折した裏返しは、昨今の荒廃した教育現場を考えながら聴くと痛快すぎ(ついでにライナーに載せられた、原稿用紙に書かれた「真実」考察の数々も) それより先に、やっぱり関西の人の乗りはええなぁと個人的感情が暴走。これもまたルルルル哲学の根底に流れるものだ。これらの内何曲かを日常の愛唱歌とする輩の増加を切実に望む。最高やで。(2000年3月)
XTC "Wasp Star (Apple Venus Volume 2)" Idea PCCY-1449 (2000/5/17発売) |
昨年、7年振りの新作として発表され万人の心に花を植え付けたアルバム「アップル・ヴィーナスVol.1」の登場段階で、既にこの「Vol.2」は80年の傑作「ブラック・シー」に通じるギター・ヘヴィなロック・アルバムというあらすじとともに予告されていた。99年中に発売されることはなかったが、やはり7年待った身にはあまりインターバルが短いと戸惑うだけだろう。途中デモ・テイクを集めた作品「ホームスパン」を挟んで、ちょうどいいタイミングで訪れた2度目の奇蹟。果たして一体その心は。静と動、陰と陽、表と裏、一と二、蜜柑と檸檬、英雄と悪漢、アンディとコリン。はたまた対比を拒絶する永遠の連続。これと前作を二枚組として考えた場合、こちらはやはり二枚目の性格を有する。あの前作の意表を付いた静寂と混沌が、XTCらしいひねりと計算の繰り返しで緻密に演出されたポップのパッチワークだとしたら、こちらは彼等の憧れがストレートに現れたポップの彫刻。「ブラック・シー」の毒的感覚が復活しているとは思わないが、ポップ・メロディはより前面に。ひねり的に聞こえる部分が少なくなっている錯覚は、これまたしたたかな計算の賜物か。そしてまた、内省的で赤裸々だった部分もあった前作に比べると、積極的表現が目立つ歌詞。人生の歓楽についてここまで無邪気に歌うアンディのお茶目さに拍手を禁じずに得ない。えっ、俺の茶色のギターをプレイしなって? これぞ潔さ過ぎる、ロックンロールだよ。前作を沈黙を噛み締めつつ聴いて、「傑作誕生!」と手放しで喜んだ自分は、またも降伏せずにいられない。これこそX・T・C。必要なもの。フランス語でいうところの「知らんわ」に等しいもの。最高。(2000年5月)
Various "Laguna Tunes" Blackheart/Mercury [US] 483 371 821-2 (2000年発売: オリジナル1968〜97年) |
去年、ある事件がきっかけで再度脚光を浴びた「アイ・ラヴ・ロックンロール」を始めとするジョーン・ジェットの諸作品のプロデューサーとしてロック史に名を刻むことになる男、ケニー・ラグーナの軌跡を辿ったコンピレーション。元々はブッダのスタッフとしてバブルガムの成功を影で支えていたのだが、70年代に突入すると奇抜なアイディアを活かしてプロデューサーの道に突入。ヒットには恵まれなかったものの、彼の冴えた仕事ぶりは改めてまとめられるに値するものだ。例えばあのダーレン・ラヴが熱唱するモハメッド・アリ賛歌とか、未使用に終ったアンディ・ウォーホールの映画のテーマとか。その極みが78年リリースされた"Stairway To Gilligan's Island"。「天国への階段」に合わせて人気テレビ番組「ギリガンの島」のテーマを歌っているという、考えてみれば他愛無いものだが、発売直後ツェッペリンからクレームがつき回収されたといういわくつきの一枚。それが再びこのCDで聴けるということで喜び勇んでこれを買ったのだった。ジミー・ペイジによって再び回収されるかもしれないから急いだが、ライナーによると以前の彼の仕事仲間が最近ペイジ・プラントと仕事していて、ロバートに聞かせたら結構受けていたとか.....。そんなユーモアのセンス、また「アイディアを他人に盗まれ、それがヒットした」という例が見受けられることもあって、UK(国及びレーベルの名)のジョナサン・キングの同類という見方も出来るかも。一方ではブッダ的センスでB面の穴埋め曲として作ったインスト"Groovin' With Mr. Bloe"が、誤ってイギリスで火が付き大ヒットという信じられない運にも恵まれていたが、80年代ジョーン・ジェットの大成功でやっと軌道に乗って、以降ずっと彼女と二人三脚で活躍を続けている。そのジョーン関係のレア・トラックも2曲。97年映画のテーマとしてグレッグ・グラフィン(バッド・レリジョン)と録音したが、事情により没になった"Let's Do It"と、バックにビーチ・ボーイズ(主にカール)とダーレン・ラヴが参加という豪華曲"Good Music"だ。理屈抜きにポップ・ソングとして楽しめる22曲、しかしその裏に流れるヒネクレ加減はさすがLA的であっけらかんだ。(2000年5月)
水中ショウ 「二度寝」 わかT WTD-120199 (1999/12発売) |
今週はライヴも含めて関西インディ・モードになっていますが、ここでまた名盤を一枚紹介することにします。これはまじで収穫でっせ。きっかけはまたもWeb Jungleでの試聴だったんですが(ここで買ったものをはじめとする、より自主流通色濃いテープ達に関しては、改めてまとめて紹介する機会を作りたいもんです!)、一発で気に入って。で、Webで情報を探すと、なんとベティカーニバルと対バンしてたり。当然ゆっきーさんの所にも気になるとカキコしに行きました。すると御本人さんからメールが。そしてやっとCD入手です。ボビーズと比べると置いてる場所がかなり限られますが、この辺は今後の「いい音楽・楽しい生活 わかT」さんの営業に期待しましょう。さて、帯の言葉を借りると「深海のような不思議な音空間」な彼等の音楽。サイケやトラッドの要素も交えつつ、消え入りそうな風景を基本的にはポップに聴かせます。けだるい女性ボーカルを、ギターとキーボード中心の音作りでサポート。で、何が心地良いかというと、並のエセサイケならシンセやギターのノイズで隙間を埋める役割を、ここではアコーディオン、ピアニカ、ハーモニカといった生楽器の奔放な響きが賄っていること。その響きの音空間への溶け込み方が正に快感なんです。特にいいのが、RAファイルで試聴できた「ゼンマイロケット」。ちょっとシンセっぽい浮遊感溢れるその響きはなんとリコーダーによるものなのでした。笛好き胸キュン。これら生楽器を一手に引き受けている栗田咲子さんって、とても気になる人であります。曲も詞もいい。次作ではより大胆な冒険を....期待したりしてます。それよりやっぱライヴかなぁ。地球人&ゆっきーさんとパッケージ・ツアーで来てくれれば....... (2000年6月)
Chunky, Novi & Ernie "Chunky, Novi & Ernie" Warner Bros. WPCR-10744 (2000/6/21発売:オリジナル73年) |
ワーナーの「AOR名盤シリーズ」の一枚として世界初CD化された、ハッとさせる一枚。丁度チャンキーことローレン・ウッドの初ソロがリリースされた頃、あのポップシクル第7号で紹介されたのを見て以来気になっていた一枚。ヴィオラ担当のノヴィは、後にセッション・プレイヤーとして大活躍、特にプリンスの「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」でのプレイが印象に残ってるし、メンバー3人とも60年代にはレベッカ&サニーブルック・ファーマーズという訳わかんないサイケ・グループにいたり、今作のプロデュースは元ハーパーズ・ビザールと元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというとんでもないコンビがやってて、さらにザッパ大先生がスピリチュアル・アドバイザーだったり(ジャケはカルヴィン仕事)と、そそる要素いっぱい。当然ただのAORなわけない。チャンキーのアンニュイな歌声と、ノスタルジックながら強烈なひねりの効きまくったアレンジで、これぞセンスのいいニッチ・ワールド。AORなんてって方に絶対聴いて欲しい。突如ピーターと羊(?)が乱入する痛快な(5)を聴いて、ベン・フォールズ・ファイヴが出て来た時にこのグループを思い出した人もいたんだろうなと想像。次はエスラ・モホーク(同じくザッパ絡みの女性シンガー・ライター)がリイシューされる番かな。(2000年7月)
Devo "Anthology: Pioneers Who Got Scalped" Rhino/Warner Bros. WPCR-10682~3 (2000/6/7発売) |
私がリアル・タイムで最も大きな衝撃を受けたデビューといえば、やっぱディーヴォじゃないかという結論に達してしまう。イメージ、音楽、とにかく全てが型破りで新鮮。79年の伝説の武道館公演は、YMOの登場と並ぶ日本ロックの新たな局面の始まりだと思って止まない。残念ながらそれを目にすることは出来なかったけど、無垢な中学生同志も啓発された程のでかいショック、それは何も知らない友達が校内放送で流れたビートルズの「抱きしめたい」に「これってディーヴォ違うん?」と反応するほどのものだったのだ(実話です) このライノから出た決定版アンソロジーを聴くと、その辺の話も甦って来て深い感動に襲われてしまうんです。勢いが落ちたと言われている後期作品群だって今聴けば捨てたもんじゃない、かなりいい線いってる。しかしやっぱファースト収録曲は未だに衝撃です。未だに一字一句歌えるもの。サントラ盤に収められていたレア曲やシングル・ヴァージョンなど、ライノならではのこだわりが効いた編集もナイス。さらに写真の数々が素晴らしすぎ。欲を言えばライノの詳細な解説もいいけど、日本のファンとしては賢崇さんの独自ライナーも読みたかったって気が。(2000年7月)
マキシマム 「マキシマム・ホット」 Show Boat SWAX-36 (2000/7/15発売: 75年作品) |
日本でもポップス幻の名盤がいつのまに復活してたりして嬉しい日々が続くんであるが、こんな美味なものまで出ちゃうとは。ショーボートのシリーズ、荒木和作といい柴紀美子といい、ニッチなんだけど通り過ごせないアルバムばっかりで、うっかりしてるうちになくなると大後悔ものになりそう。そしてこのマキシマムも。「ファンキー・モンキー・ベイビー」とか「ヘイ・ユー・ブルース」などをやってるということで、相当前から気になっていた人達なんですが、フタを開けてびっくり。かっこよさすぎ。ミッキー・カーティスがプロデュース、深町純がアレンジで、名人たちがしっかりバックを固める。そして主役マキシマム、適度に場末感を仕込みつつ、ファンキーな空気を充満させてくれるのだ。この謎の二人の正体が、実はあの「バザズ天国」のキューピッツだった姉妹と知ってまたびっくり。思えば彼女たちのキャリアのスタートはビートルズのカヴァーだった。ここでまた、カヴァーの達人振りを遺憾なく発揮してくれるのだ。「氷の世界」もはっぴいえんどの「あしたてんきになあれ」もばっちり決まっているが、圧巻なのは2曲の語り物、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と「マキシマムのヘイ・ユー・ブルース」。前者の大胆すぎるアレンジは痛快だし、アンサー・ソングを通り越して別曲になってしまった後者は、7年後発売されたヴァニティ6の「イフ・ア・ガール・アンサーズ」と繋げてみたいものです。素晴らしい。(2000年8月)
Various "Caroline Now! The Songs Of Brian Wilson & The Beach Boys" Marina [GER] MA-50 (2000年発売) |
前回に続き、今回のトップもビーチ・ボーイズ。しかし今度はトリビュート盤。今までにも何枚かこの種のものが出ているが、今作はこれらの中でも間違いなく抜きん出ている上、トリビュート盤史上に残る傑作と言ってしまってもいいだろう。いやぁ、気軽にビーチ・ボーイズ・カヴァー集ってことで買ったら、あまりの凄さに腰抜かしますよ。ドイツのレーベルからリリースされた本盤は、ユージニアス、アレックス・チルトン、ハイ・ラマズ、BMXバンディッツ、ベルセバ、セイント・エティエンヌ、エリック・マシューズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、アルミナム・グループ、キム・フォウリー(!)といった面々(及びその構成員)が、各々のビーチ・ボーイズに対する愛情を綴った24曲で構成。ストレートな愛情もどこか屈折してしまうのは対象の性格故、えっと思うような選曲が殆ど、しかもブライアンのみならずマイク、デニス、ブルースの名曲も選ばれているのがミソ。その上、ほぼ全曲出来がいい。元曲の良さを摘出して拡大しつつ、各々のアーティストが持つ個人的感情が複雑な色合いを醸し出し、新たな感動を呼び起こす。パステルズの二人による「ウィンド・チャイムズ」、マルコム・ロスの「英雄と悪漢」はスマイル・ヴァージョンへと全然寄り道していない解釈が新鮮だし、逆にピーター・トーマスの「ペット・サウンズ」の屈折加減は素敵。何と幻の"Sweet Insanity"収録曲"Rainbow Eyes"を歌うクリーの純粋な歌声、ジャド・フェアのぶっとんだ歌声のバックで聞こえる日本人の女の子のコーラスがこそばゆい(しかし日本人アーティストも入れて欲しかったってのは高望みか...○ー○○アスとまでは言わないが....)ハニーズ曲"Do Ya"に心うきうき、そしてチップ・テイラー&エヴィ・サンズという大ベテランによる「心を一つに」、あのフリー・デザイン27年振りの新録音「エンドレス・ハーモニー」にただただ涙。しかし究極の一曲はTFCのノーマン・ブレイクによるデニス・ナンバー「君だけに」。涙腺うるみっ放し。ミュージシャンがミュージシャンに向けて放つ愛の深みに、改めて愛という言葉の意義を考えさせられる。Mike Love, not war! (2000年9月)
架空舎 "K'cou Chat Vol.1" BENTEN BNTN-050 (2000/9発売) |
今年聴いた乙女ものの中では最も衝撃的な一枚、と、試聴した途端即感じてレジ直行となったアルバム。朴訥ピュア系乙女ポップの行く先を指し示す作品って言ってしまおう、この際。この乙女二人組がガールズものの総本山、ベンテンから出てしまうってだけでも万々歳なのに。ベンテンもの大好きって人達の期待を爽やかに裏切ることは間違いないでしょう。あまりにも潔過ぎて、まだ形容する言葉が浮かばない。でも確かなのはピュアすぎるってことだけだろうなぁ。アルヴァロをまっ先に思い起こさせる、まっすぐなピアノの響き。飾りっ気全くなしの乙女声。その絡みは、昔教授デモ・テープ特集で聴いた矢野顕子好きなお嬢さんたちに感じたほんのり恋心を再び呼び覚ます。そして歌われるのは純白な日常そのもの。曲の合間にちりばめられた数々のノイズがさらに日常性を煽る。潔白すぎてかえって実像が浮かんでこないところにたまらない恋しさを感じる。このスタイルが97年に既に完成されていたということは.....かまぼこやコケッシーズは何だったんだってことに成り兼ねなかったのか? ああ、ライヴ見たいなぁ。しかし一緒に出る方々が可哀想だろうなぁ。ううううっ。裏にビーチ・ボーイズが確実にいる「月と風景画」は名曲だ。とどめの一曲、スライ&ファミリー・ストーンの「M'Lady」のカヴァーに泣いてくれっ。花花とキロロの区別が付かないっていう人にはこれを絶対おすすめします。これからの純粋乙女のあるべき姿はこれだ。"Caroline Now"で「サーフズ・アップ」を歌っても、このコ達だったら許せたと思う。(2000年9月)
マルカート 「虹のむこうへ」 Gemmatika RSCG-1013 (2000/10/4発売) |
最近の女性ポップス界は一体どこに向って動いているのだろう。赤裸々なのがかっこいいのか、はたまた素直なのが美しいのか。赤裸々で素直で、かつ無色な音楽があればいいのに。ふと手を伸ばすと、そこにマルカート。優しい歌声と素直なメロディに癒されながら、嫌な日常にちりばめられた素敵のかけらを拾い集める。歌と向き合うことの純粋さを教えてくれるこの二人。花*花に続いて売れなきゃいけないのは彼女たちなのだ。(えっ、すず? 何それ?) ということでサード・アルバム登場。ソリッド・ブラスの村田陽一氏をプロデューサーとして迎え、初めてカラフルな広がりを見せたサウンドを展開。開かれた音ではあるものの、そこに広がるのは柔和な箱庭。心地よい歌声とハートにずしんとくる歌詞にはさらに磨きがかかる。あれ? タテヤマユキさんの生歌をフー*タオで散々吟味したあとだと、スピーカーから聞こえる声にちょっと違和感。フジモトマミさんが声であまり活躍してないな。そういえばアコーディオンもあまり聴こえてこないぞ.....なんてのはマイナス要素と考えないこと。完成品としては悔しい程よく出来てる。外部プロデューサー起用の成果は大あり。曲としては2曲目「電話のあとで」が見事に涙腺を直撃してくれるが、コンサートでもノリノリで盛り上がるタイトル曲や「わたしの時間」も捨て難い。インスト「逃避行」ではさすがフジモトさんだけあってクィーカの使い方が上手い! そしてラストに超名曲「月の丘」が。管弦楽の伴奏入りで重厚度アップ。捨て曲一切なし。最後に、ステレオラブやハイ・ラマズの新作同様、演奏時間的にも価格的にもLPの一番良かった時代に近いってのはいいことです。頑張れよぅ。よいしょよいしょ。(2000年10月)
ピコ(樋口康雄) 「ABC/ピコ・ファースト」 Vertigo UMCK-3501 (2000/10/25発売; 1972年作品) |
日本のポップス史に残る隠れ秘宝が、遂にCD化実現。これは通り過ごしてはいけない名盤なのですよまじで。90年代半ばの和製レア・グルーヴ再発見の波の中で、突如再発見されたこのアルバム。特に「I LOVE YOU」は「ソフトロック・ドライヴィン」への収録等を通して若い層へのアピールを繰り返していた。そして色々あった末、遂にリイシュー。そんな今作の主役、樋口康雄は、60年代末にピース・ロックの旗手、シング・アウトの一員としてシーンに登場。若々しさと才気溢れるポップ・センスにさらに磨きをかけて作り出したのが72年出たこのソロ・アルバム。和製ポップスを見守ってきた本城和治ディレクターなど、解っていらっしゃる方々のバックアップがあってこそ、最高の土壌で花開いたのは納得なんだけど、72年の日本のポップ・シーンでここまで高度で洗練されたものが仕上がったって事実自体感動的過ぎる。芸能界体質と無縁のところに、こんなまでにも素敵な音楽が存在していたとは。孤高感という意味ではマジカル・パワー・マコと双璧。それ故に全く色褪せない永遠感がある。とにかく全ポップス・ファン必聴。捨て曲一切なしなのは確かだけど、目玉曲「I LOVE YOU」以下独特のグルーヴ感に引き込まれる「人間」「マリー」、無垢なんだけどサイケ好きなら思わずニヤリの「魔法使いに恋をして」、お茶目なキッズもののタイトル曲等が特に耳を捕まえる。このリイシュー、本人のロング・インタビュー掲載ってのも素晴らし過ぎ。やっぱこうじゃなきゃ。語る気まんまんなところがさすがいい音の紡ぎ手って気がするね。実は丸芽志悟が初めて樋口氏の名を知ったのが、79年、初期の上田知華に深く関わった時(その時でさえまだ26歳だよ!)なんだけど、後の上田さんがこんな素晴らしい音楽家との経験をばっさり捨て切ったのにはかなり幻滅したな。素敵な女性と職業肌の音楽家は同じ躰に宿らないんかな。(や、これには実は別の事情も絡んでて......) 初期の上田知華も素晴らしいです、ちなみに。(2000年10月)
Paul McCartney etc. "Liverpool Sound Collage" Hydra TOCP-65599 (2000/11/13発売) |
「サージェント・ペパー」のあの恐ろしいジャケットで知られるデザイナー、ピーター・ブレイクの個展のために制作された、ポール・マッカートニーの問題作。既に英国盤を9月に入手していたのだが、「THE BEATLES 1」の発売に強引にタイミングを合わせ、やっと国内盤出るということになったんで満を持してここに登場。ビートルズの未発表録音が素材として使われているということで、早々から大きな話題を呼び、一部輸入盤店では「ビートルズの新曲登場!」と大仰なキャプションまで付けられていたが、果たして真価は.....ポールって人の素性が解らないとまず理解できない作品なのは間違いないね。ビートルズ時代から保守派というイメージが付きまとっていたけど、ところがどっこい。フランク・ザッパにも負けない多面性こそポールの持ち味の一つなのだ。特に最近はロックンロールからクラシックまで、とことん極端に走ってるというイメージがあるから、この種の作品に挑んでもおかしくないって予感はあった。ビートルズの未発表音源(主に会話)と、リヴァプールで街頭録音した人々の声を素材に、前衛的表現に相応しい手法でコラージュしたこの作品は、まさに67年、同様の前衛的イベントの為にビートルズが作った"Carnival Of Light"の2000年版再現。もしくはザップル・レーベルの遅過ぎた再生である。スーパー・ファーリー・アニマルズとの接近も、まさに起るべくして起った出来事。それこそビートルズが続いていたら...という幻想を、極端に屈折した形で現代に投影してみせるのがこのアルバムである。幻想は美しいまま葬れというならそれでいいじゃないか。私はポールの姿勢に大いに賛同する。きっと幸せなんだろうなぁ.....。Racco-1000の新作「るちやよ」も密かにこの作品に影響を受けたのは、言うまでもないです。(2000年11月)
岸野雄一 「A to 2」 OZ disc OZD-080 (2000/11/15発売) |
ここ一年の丸芽志悟とルル網(H45)にとって二つの重要な動きといえば、一つは中村俊夫氏とクロニクル・レーベルとの接近。そしてもう一つは岸野雄一・京浜兄弟社社長との接近。つくづく、web上での地道な活動が身を結ぶこともあるって自分自身に感謝したくなってしまうのでした。岸野社長の存在に関しては、妙な音盤集め趣味が高まりつつあった頃、京浜兄弟社を母体として誕生したマニュアル・オブ・エラーズに足を運ぶようになってから認識しまして、「モンド・ミュージック」での文章やレジデンツのライナー等を興味深く吟味させて頂いてたんですが、ロフトプラスワンでのテクノ歌謡・コアトークで初めてお話することができまして。その「スタディスト」という肩書きこそ我々が音楽を楽しみ咀嚼する際の姿勢の母ではないかという気持ち、それは実際マニュエラ・カフェのイベントなどで御一緒する機会が増えてからますます高まったわけです。ここに届けられた初CDは、最近のヒゲの未亡人などのステージでお馴染みの楽曲も多数含まれた歌曲集。といってもびっくりなのが、大半が80年代に録音されたデモ及びライヴ音源であるという事実。従ってマニュエラ以前の音源であるからして、自分にとっては初体験に等しいわけです。ここでは時代の先を行き過ぎたなんて月並みな感想よりも、時代性と関わらない音楽という印象が遥かに大きいんです。先に出たスペースポンチのアルバムもそうだったけど、時代性と関わらない音楽は今後何十年を経ても色褪せる事は無いはずで、これは実に貴重な一枚と言えましょう。詳細な楽曲解説、完成版に至っていないという理由で歌詞が掲載されていないことも含めて、岸野社長の哲学ここにあり。我々は手を打ちながらハムになるしかないわけですよ。OZ DISCらしい一枚なのは言うまでも無く。一ファンより。(2000年11月)
Various 「GSア・ゴー・ゴー〜熱狂のレア・グルーヴ」 Chronicle TECN-25686 (2000/11/22発売) |
一人GSって言葉があるのなら、0人GSがあってもおかしくはないではないか。厳密には石油ショック到来の頃までリリースされ続けていた、所謂営業ものインストLPに残されたGS楽曲カヴァーの数々を、リード・シンガー不在という理由から「0人GS」と呼ぶといつのまにか我が仲間内で定義されてしまったんであるが、遂にそんな「0人GS」もののコンピレーションがリリースされる運びとなった。やるなぁクロニクル。ところで営業グルーヴものとなると、東芝が乱発したジミー竹内のドラムものに代表される、素晴らしい図版と不釣り合いな営業臭さ、その隙間からにじみ出るかっこよさがまさに近年「レア・グルーヴ」として取り沙汰されていたわけだが、ここに集められたテイチク音源群においては「場末感」というのが重要なキーワードになっているようだ。テイチクの一人GSや歌謡曲で聴けるのと同じ空気が全体に充満していて、例えば最先端のクラブよりも9月半ばのひっそりしたプールサイドがお似合い。ネタとして楽しむより、その空気を吸って快感を味わおうという主旨を感じさせるコンピである。もち、カラオケとしてもナイス! アウト・キャストの「愛なき夜明け」まで歌えちゃうぞ。全28曲中18曲にアレンジャーとして関わっている鬼才・山倉たかし氏の慌ただしい仕事振りもじっくり味わいたいもの。もしや、あと10曲中9曲の無記名アレンジャーも山倉氏では? ただザ・サンダース名儀の作品は音の感じが小畑ミキっぽい(しかもアウト・キャストがバックをやっているとされている曲の感じに近い)のだが.....。こうなったら山倉先生の歌謡曲仕事もまとめてコンピ化したいもの。個人的には「夕陽が泣いている」を真っ黒なフルートで犯し尽したヴァージョンに参っちゃった。この営業魂が生き続けている場所は、最早有線440チャンネルのどこか一角位である。この現状に泣きながら、しっかり吟味したいコンピレーション。もち、美味なオリジナルLP群のジャケ写も満載! (2000年11月)
Young Marble Giants "Colossal Youth" Crepuscule KKCP-197 (2000/11/22発売:1980年作品) |
1980年リリースされた、ポスト・パンクにしてミニマル・ポップの超絶的名盤がついに日本初CD化だ。今までラフ・トレードを扱っていた徳間やビクターやTDKは、これをCD化していなかったってことか。何か悲しいなぁ。熱心なロック・マガジン愛読者であった(いけない中学生時代の)私は、ラフ・トレード周辺も熱心に追い掛けていたんだけど、彼等の特異な音楽性にはどこか惹かれるものがあった。ドラムを排除したというそのスタイルが、ロックに対する反撥の極端な裏返しだったこと、そして何よりもアリソン・スタットンの歌声に魅了されたのだ。今こうして20年ぶりに聴いても、全然古びていない。ビートやグルーヴを拒絶してるのではなく、最小限の音群による、ビートやグルーヴと別種の「動き」が作り出されているのが未だに新鮮である。それ故に、この音が持っている多大なインパクトは、いろいろな形で最近のポップに直結していくのである。「アフター・アワーズ」と架空舎やかまぼこを結ぶ赤い糸の数ある中継点の中で、最も高く聳え立つ金字塔。ネオアコやギターポップが林立してもかなわない孤高の世界。そしてアリソンの歌声は未だに我が心を揺さぶる。ここにもまた乙女ものの重要な鏡が一つ。今回は2枚のEP収録曲をプラスしての全25曲というほぼ完全版の実現となったのが嬉しい。私情もかなり交えつつ18000字(!)に及ぶ力作ライナーも参考になる。(2000年12月)
久美かおり 「星のプリンス」 Parade SPW-10007 (2000/12/5発売) |
ザ・タイガースの映画のヒロインとして颯爽とデビュー、68年度レコード大賞新人賞を堂々と受賞した久美かおりの全音源を集めたコンピレーションが遂にリリース。新星堂と渡辺音楽出版の提供による新シリーズからの登場である。GS映画のヒロインということで、グルーヴ系の楽曲が期待できると思っちゃいけない。シングルA面曲は今聴くと地味な曲が多くて、本来はシャイなお嬢様だったという面が伺える。歌い方にしろ当時の歌謡曲王道に比べても堅くなりがちで。しかしB面曲になるとそんな彼女の特性が開花した佳曲が続く。その決定版が、ガールポップ史上に残る超名曲「愛のディンガリン」だ。清楚な児童合唱をバックに純情が全開するこの曲の初CD化というだけでもこのコンピの焦点であるのに、さらに進むと、ラスト・シングルとなった名曲「髪がゆれている」の「一人二重唱ヴァージョン」の初開帳で失神! 発売されたヴァージョンでは村井邦彦氏が歌っていたパートを彼女自身が可憐に歌っている、至福のジェントル・ポップ天国。レココレの96年10月号で仄めかされて以来気になっていた録音だが、まさかここまで凄かったとは....。そしてとどめに、先にクラウンのコンピで初リリースされたCMソング「ワンサカ娘」が登場するが、このクールなガレージGS度にも打ちのめされる。この最後の2曲が核心中の核心と言えましょう! このレーベルには今後も期待したいものであります。シルビーMy Love! (2000年12月)
おまけ:妄想スペシャルはこちらより!