たわごととかその辺

1999年の巻
SPECIAL ESSAY (1999年1月)
あなたは天使の調べを耳にしたことがありますか

「丸芽志悟の概要」ページの「好きなアルバム」の欄に記されていた一枚、ソノコの「ラ・デビュタントゥ」について、これはどんなアルバムなのだ、ソノコって一体誰なのかと思われた方も沢山おられると思います。実はこのアルバムが丸芽志悟にとってはあまりにも崇高すぎるので、かえって多くを語らなかったのです。但し、Fields Of Peopleで、「推薦カバー」の欄にそのアルバムに入っているスーサイドの「シェリ・シェリ」について書いたり、その中の一曲が「所さんの目がテン!」でBGMに使われたことなどを記したりして、決してこのアルバムを忘れてはいないという意思表示は続けていました。それを察知してくれた45tist仲間のさりゅさんが、「ソノコさんはどうしているのでしょうか?」という書き込みをF.O.P.にしてくれて、「ああ彼女を覚えている人は他にもいるんだなあ」と胸を撫で下ろしたりしました。
その書き込みの翌日のことです、我がメールBOXに当のソノコさんからのメールが到着していました。
きっと彼女は天使にふさわしくどっか遠くの手の届かない場所にひっそりと住んで、密かに聖なる調べを発信し続けていると信じていました。こうしてささやかなファンの気持ちを察知してくれて、Eメールまで送って下さるとは。遠くに行っていなかったので安心したって気持ちが、興奮とオーバーラップして、その夜はずっと暖かでした。
このアルバム「ラ・デビュタントゥ」がベルギーのクラムド・レーベルからひっそりと世に出たのは、今から数えて干支一周近く前のことでした。(「天使時間」に明確な数字は無意味である) 当時徳間から国内盤が出たとき、ジャケの醸し出す一種独特の雰囲気と、日本人の女の子が海外で作った作品という特異性に飛びつかずにいられなかったのを覚えています。何しろアイドルやシンガー・ソングライターものは聴いていたものの、純粋な意味での「女の子のペルソナとしての音楽」に接することは、80年代初期のニュー・ウェイヴの全盛期を除いてまるでなく、ましてや全米チャートに昇る女性ボーカルものにも魅力を感じなかった自分は、坂本龍一のサウンド・ストリートで時折流れる、女の子たちが自分の部屋でこさえた
デモ・テープに淡い恋心を感じるのみでありました。しかしこのアルバムとの出逢いをきっかけに、自分にとって「女の子のペルソナとしての音楽」がいかなるものかという定義がはっきりなされ、現在もなお続くそれへの果てなき探究心はその時植え付けられたのでありました。
あれから干支一周近く経っているので、この作品を入手すること自体がかなり困難になってしまいました。よって改めて天使の迷路に足を踏み入れ、概要をとらえることとしましょう。もう何度目かわからないけど、非常にドキドキします。
LP(そう、LPです。しかしこの作品の頃には、丸芽志悟が新譜を買う際はごくわずかなアイドルものを除き大概CDで入手するようになっていました)ではA面にあたる前半の9曲は「ヘヴン・サイド」と名付けられています。天国とは天使によって治められている聖なる領域であり、そこで奏でられる調べがこのサイドに集結しています。まずは映画で有名な「ロミオとジュリエット」。もちろんディカプリオのあれではありません。ニーノ・ロータは天使に呼ばれていたのです。その事を証明するように、決して朽ちることのないオルゴールの調べがここでは主旋律を奏でています。そして、舌っ足らずな彼女のセリフの恥じらい気味な響きが、人類創世紀の愛の瞬間をかいま見せてくれるのです。
このサイドでのオリジナル曲の歌詞は、様々なイメージを思い起こさせてくれます。その遠い記憶は、もしかしたら昨日起こった出来事かもしれない。しかし天使時間は、全ての因果関係を無視して通りすぎます。だからこそいつでもフラッシュバック可能なのです。いや、決して難解な音楽ではありません。「海からの贈り物」なんてポップそのものです。「神との結婚の日」は聴き手を何よりも高く舞い上げてくれます。「1.2.3.4.」の囁きが可憐すぎ。やはり天使は可愛いものなんです。そしてこのサイドのトーンを決定づけている曲が「イン・ヘヴン」。元々はデヴィッド・リンチのカルトな映画「イレーザーヘッド」の重要な場面で歌われていたものです。「天国では全てが素敵/あなたも私もいい気持ち」というこの曲のテーマは、映画を見たことのなかった当時の私にとっては極上の情景でした。「天国とは地上にあるもの」という当時ヒットしていた曲と正反対のリアリティがここにあります。それはあの映画の単色で異様な光景とは明らかに違う、天然色に彩られた天国なのです。我々はこの音に見送られながら、静かに昇天していきたいのです。
一方B面にあたるのは「ガーデン・サイド」。これは天使が戯れる地上の楽園といったイメージで、それにふさわしく地球上のあらゆる場所で生まれた数々の歌が集められており、いずれにも天使ならではの解釈が与えられています。イントロを飾る「サニー・デイ」は拒絶出来ないメロディと即歌えるフレーズの小品で、「目がテン!」で流されたのはこの曲です。以降、ニューヨーク・パンク・シーンから登場したスーサイド、ブリジット・バルドー、ミッシェル・ポルナレフ、パリス・シスターズ、英国トラッドなどが、天使の色を与えられ再生されていきます。この内「あなたの愛し方が好き」は、ブライアン・フェリーのヴァージョンが元になっているそうで、彼女自身はオリジナルを聴いたことがないとライナーに記してありますが、丸芽志悟がこの曲を初めて聴いたのはピンク・レディーのコンサート('77年)でのことでした。英国トラッド「青い恋人達のとき」はたまらなく優しい情景が見えてくる仕上がりで、歌手としてのソノコに魅せられてしまう瞬間です。こうしてこのアルバムは、愛しき地上の宝物=赤ちゃんをあやす歌と、再度登場の「ロミオとジュリエット」で幕を閉じます。ここでのセリフは日本語で、より時間を強力に凍結させる効果を発揮しています。
このアルバムのプロデュースは、あのワイヤーのコリン・ニューマンと、ベルギー〜フランス周辺の進歩的ポップの首領であるアクサク・マブール(マルク・オランデル)が行っていますが、彼等とてソノコさんの純粋すぎる音楽への取り組みに心打たれ、ここでは控え目に色を加えているといった印象です。またこのタイトルは、レオノーラ・カリントンの短編小説「うぶな娘」に由来しているとのことです。天使.....に地球の娘がその姿を托すとき、彼女はうぶでなければいけないのですね。このタイトルを再度アルバムに冠した人は辺見えみりでしたが、彼女は果たしてうぶを保てたのでしょうか。(両親が離婚してりゃ無理だったか......) 話が脱線してすみません。その後も若さ故の自己切開ぶりが痛烈すぎるロケット・オア・チリトリ、夢幻と破壊の間をお茶目にさまようまみちゃん、テクノロジーを猫の様に愛撫できる嶺川貴子、雑風景を切り取って高揚剤とすリトルフジコなどなど、日本のオルタナ・ガールポップに何度となくはっとされ続けてきましたが、純粋さという意味でソノコさんを凌ぐ存在にお耳にかかったことはまだありません。
そして彼女は、丸芽志悟宛のメールに、音楽活動再開を匂わせる一行を付け加えてくれました。素敵じゃないですか。いくら地球上で時間が過ぎようと、天使時間は彼女の音楽の純粋さを全く変えていないと信じています。それゆえに、現代のリスナーにとってはあの頃以上に訴えかけることは間違いないと思います。もし自分にありったけの力があれば、彼女のニュー・アルバムを出すために思う存分力を振り絞りたいです。でももっと適任な人がシーンには何人もいると思いますので........。
最後にこんな素敵な瞬間への切符を与えてくれたさりゅさん、そしていつまでも無垢なソノコさんに大きく感謝。そうそう、2月2日はソノコさんの生まれた日でしたよね。天使に暦は無意味だとは思いますが、おめでとうございます。

今年も笛の音に魅せられて (1999年2月)
そんなわけで今週は今年も私を魅了してくれそうなあの楽器について書きます。去年、小学生の音楽の授業でリコーダーとハーモニカが必修ではなく選択となるという決定が下されましたが、この決定は果たしてプラスかマイナスか。強制的にピアノとかを習わされない限り、学び盛りの子供達にとって、音楽をプレイするという貴重な喜びを選ぶか選ばないか。その選択は、自由な人格の形成に関わることだと思います。じゃ子供達は、音楽の授業で無理やり歌わされるか聴かされるかしかなくなるんじゃないか。いくらテレビでギターを持ってる人達を見る機会が多くなったとはいえ、学校課外問わず音楽教育から「表現」を消し去ることに成り兼ねないこの決定は、将来の日本社会に於ける音楽の在り方さえ変えてしまい兼ねないと思います。
個人的にも、小学生時代の縦笛との接し方に関しては思い出が多いです。友達に吹き方を教える役を請け負った事もしょっちゅうだったけど、やっぱり好きな女の子が奏でるその音色には、ときめきを感じたものです。同じ楽器なのになんでこうも違うのかって。さすがに「芸能人の告白」でよく見るようなオーラルな妄想(体育の時間、好きなコの笛を.....ってやつね)までは行かなかったけどね。それだけ純だったのかもしれない。
そうなんです、リコーダーが音楽教育から消えたら、どうしようもない音を出すガキがいなくなる(私的見解に非ず)のと同時に、美しい音を奏でる笛吹き(この場合、フルートや他の管楽器まで含まれる)達が育つチャンスも減ってしまうのです。まあ、プロの方を育むような「きっかけ」は、それこそバロックのCDを始めとして無数にあるんですけど、その根底にあるものがなくなるのは悲しすぎ。
それとは別に、最近柳沢里実・久実という姉妹笛吹きデュオの存在を知って、早速デビューCDをチェックしてみたんですけど、それを聴いてまた違う種類の悲しみを覚えてしまったんです。リコーダーの素朴な響きは、発達しすぎた文明に殺されているのではないかと。このアルバムには、最近のポピュラーな曲、「タイタニック」や「もののけ姫」「北の国から」といった曲から、今旬なピアソラの「リベルタンゴ」などラテン系スタンダード、「剣の舞」などのクラシック、果ては「川の流れのように」まで幅広い曲が選ばれています。姉妹の奏でるスムーズな音には一切問題はないんですが、バックがピアノと生楽器を模したシンセ、時々打ち込みによるラテン・リズムというのは淋しすぎ。曲によってはスタジオのテクノロジーによると思われるエコー処理が、純粋なサウンドに水を差しているような印象です。
まあ、リコーダーをメインにすえたポピュラーのインスト・アルバムはかつて全くといっていい程前例がなく('74年頃ビクターから歌謡曲のインスト盤が出たことがありますが)その点新鮮に受け取られるかもしれないですけど。里実さんによるライナーにもある通り、「リコーダーに対するトラウマを布拭して頂く」という心意気は充分伝わって来る。もう少し突っ込んだ制作姿勢で臨んでもらいたかったなと、そういうわけなんです。まあ、しょうがないでしょ、「タイタニック」や「北の国から」じゃ。(原曲に中指は避けられない丸芽志悟ですから)
実際生で聴く笛の音の存在感は、そんなもんじゃありません。スタジオのテクノロジーや部屋のちゃちいスピーカーを経由していないその音の醸し出すときめきは、いかなる媒体の介入をも許さないかもしれない。まあ、そういう考え方自体いけないんだけど。もっと美味な音のリコーダーのCDがどんどん出てくれればいいっていうわけで。最近聴いた曲の中では、例のRon氏との交換ネタに入っていたフレディー&ドリーマーズの"Brown & Porter's (Meat Exporters) Lorry"という曲(多分67年頃。当初マンフレッド・マンが録音したが没になり、横取りされた)で鳴っているリコーダーの音にときめきを覚えた。恋人と二人でバーミンガムからロンドンにヒッチハイクで行く途中、精肉運送車に乗せられて寒い思いをする、でも君がいるから大丈夫っていう素朴な内容にふさわしいいい音がしている。きっといい材質の木ときれいな人が奏でているに違いない。こういう純粋なポップ・レコードに入っている笛の音の方が、ときめき度が大きいかもしれない。昔の歌謡曲では、小川由美子の「徒然草」('73年)とか西玲子の「雨あがりの鎮守さま」('72年)。もっと最近では「テイスト・オブ・スウィート・ラブ」に入っていた「アルムの子守歌」のカバー(なんと赤痢の大西あやちゃんが純真な音色を聴かせてくれて、私は思わず初な小学生時代にトリップ。録音のされ方も素晴しい)とかbiceの「Lazy Trip」、フジワラカヨコの「しろつめぐさ」とか。ちょっとこけぎみの素朴な音色に心洗われる。こけおどしとして使ってる人達からは決して感じないときめきを。
あっもちろんプロのリコーダー奏者の方に関しては、全く別の次元で心を洗われてます。特に篠原理華さんの最初のリサイタルを聴いたときから、この楽器の持つ色気のようなものに心を奪われてしまいまして。以降演奏会には頻繁に足を運んでます。そんな理華さんの恒例のリサイタルが今年もまたやってきます。ここで詳細をチェックしてあげて下さいね。そして、レコード店で竹松舞ちゃんや村治佳織さんの近くに堂々とディスプレイされるような「笛の妖精」が現われでもしたら、多分恋狂いしちゃうでしょう。もろちん理華さんや矢板由希子さんも、自分にとってはその候補ですが。要はレコード会社のクラシック・ディレクターの方たちにもっと頑張ってほしいってわけね。そう、あのヨー=ヨー・マも今度はバロックだし、世紀末だからバロック・ブーム、来るかもしれません。世の純真な人々たちよ、心に歌を、唇に笛を忘れずに。

地球がなくなるなら.....7月1?日より後にしてくれよ (1999年2月)
3月1日正式発表ということで、改めて大騒ぎしましょう。祝・ブライアン・ウィルソン来日決定! といっても最近とみに話題のスウィート・ベイジルではなく、以前ディランの公演が行われた東京国際展示場で3回。きっと本人もやる気充分なんでしょう。まずはチケット発売をわくわくして待つとしましょう。F.O.P.で盛り上がっていた、バックはワンダーミンツより日本選抜ミュージシャン軍団の方がいいのではないかという話の続きや、今度は是非'66年行き損ねた大泰映画村に行って欲しいという願いなど、このページでも随時ブライアン情報を書いていきたいと思います(但し極個人的のみ)
昨日(27日)、Racco-1000の「GRIN」の原材料となる生テープ、フロッピー、紙etc.などをごそっと仕入れてきました。裏技も使って、材料費は非常に安く抑えたのですが、となるとプロフィットをいくらに設定するかが問題となってきます。まあ、いずれにせよ内容的には無価値に等しいので。毎日ダビングを繰り返しながらじっくり考えたいと思います。その前に機材のメンテというわけで、大掃除でどっかに行ったと思われたヘッド消磁器を探すためごちゃごちゃとカセットの山を漁っていたら、なんとどっか行ったと思われた、91年に1枚100円で買った韓国盤LPから選曲したテープがひょこっと出てきた。バイト仲間のK子さんにあげようと思って作ったもので、あげないまま自分で愛聴しているうちにどっか行っちゃって、K子さんにあげたんじゃないかと思い込んでいたものだ。いやー、濃すぎます。丁度、今回のリンク更新でソフト・ロック系ページを2件追加し、その輪を広げるためにSRネタをしばらく聴き続けた後だけに、余計濃く感じる。自分の嗜好性故若い女性シンガーに的を絞って買ったんだけど、Z級歌謡好きのハートにずばずばきます。ユーロビートっぽいものやアイドル風のものもあるけど、何せあの巻き舌できちゃうもんですからそれだけでもディープだし、バックの淡泊さも素晴しい。なんたってイントロがピンク・フロイド風のプログレで、その霊的空間を切り裂くようにど演歌シャウトが始まる曲なぞ最高です。同じ歌手の同じアルバムにはじけまくったアイドル風ナンバーが入っているのも謎。今度Mixテープを作る際は是非フォローしたい。あれから10年以上が過ぎ、韓国のポップ事情も日本や香港をフォローしてかなりおしゃれなものが幅を利かすようになってきたらしいがどんなもんだろう。このままアジアの血が薄くなっていったら地球はさらに終焉に近づくよ。
最近ネット上で音楽を有料で配信するというシステムが話題を呼んでいて、日本でもレコード会社の同意次第で具体化に至りそうという話を聞く。これこそパッケージ・メディアの死を招き、現在音楽で収入を得ている者にとっては脅威となるシステムだと非難の声も後を絶たないが、別の形で具体化されればまさに夢の様なものじゃないかと思う。例えばこんな感じ。
年間いくらかを払って会員になったら(もちろん書類審査とかもあり)、サイトにアップされた国会図書館に貯蔵されているのと同等の量のレコードの音源のRAファイルを試聴できる。但し国会図書館同様一度のアクセスにつき聴ける量は限定される。個人情報はあっち側で監視されるので不当なアクセスはまずない。また著作権その他の問題で、発売後ある期間を過ぎた作品のみがアップされる(この場合は20年位か? しかし20年だとユーミン、サザン等はもう存在しているし) それも邦楽に限られる(洋楽となるといろいろ問題もあるはず) もちろん各社のカタログは見放題で、そこから直接各音源にアクセスでき、レコードのジャケットも閲覧できる。
そんな事が実際起こったらまじで最高ではないか。いい音源の再発を渋り続けるレコード業界にまたとない刺激を与えるし(どの曲が多くアクセスされたかというのも分かるし)、音楽ファンが全員コレクターと化してしまい兼ねない悪い風潮も一網打尽で、経済効果もアップ。思いもよらない歌手や作曲家が復活してしまうかもしれない。しかし、実際データをインプットしたりRAファイルを作ったりジャケをスキャンしたりするための人件費が税金から摘出されるわけないから、そんなの絶対夢の夢だよね。

時には耳を立てて業界話 (1999年5月)
「わかんなぁ〜い、おしえてぇ〜。」
で始まる、佐藤藍子のラジオ番組「あっけらカンパニー」の一コーナー、「心は子供ハガキ相談室」に次のような質問が来ていた。「なぜCDの発売日は水曜日が多いんですか?」 ちゃんとレコード会社に裏付けを得たという藍子嬢の答えは、まずお店にとって追加注文をし易くするため。水曜日の発売なら、一番商品が動く週末に向けて品揃えをより確実に出来るということだ。もう一つ、倉庫から月曜日に出荷し、火曜日に店頭着ならば、交通の面で不安定な週末を避けることができるという配送上の都合も含まれているとのことだった。ごもっとも。
しかし、某誌が提示した同じ疑問にレコード会社の人間が直接提示した答えはずばり次の一言だった。「オリコン対策」。ごもっともである。
最近はサムエルやASAYAN絡み、そして「人気者でいこう」の連帯責任CDデビューに至るまで、業界誌の順位を遊び感覚で戦略に取り入れるケースが増えていて、当のオリコンの立場は複雑だと思うが、一体何がどうしてこうなったのか。
オリコン誌が創刊されたのは1967年のことで、それまでも市場調査の類はあることにはあったが、あくまでもヒット・チャートは「業界内バロメーター」にしか過ぎず、一般の人間がその動向に一喜一憂なんて遠い世界だった。藤圭子(宇多田ママ)がLPチャート1位を1年独走しようが、一般人は「ほう、人気あるんだ」と納得するのみだったのである。当然、その頃はレコード会社の数も絶対的に少なく、作り手にとってライバルは社内の別の者だった。5日とか20日とか縁起のいい(?)発売日を設定し、その日に一斉に新曲が発売される。これは販売上のしきたりであり、レコード会社間のエゴのぶつかり合い以上に、作り手そのもののそれが物を言っていたスリリングな時代であった。一般人はお構いなしに、テレビでそれらの新曲を歌うスターを応援し、ラジオや有線で流される新曲からヒットを作る手助けをしていたに過ぎない。
しかし1977年「ザ・ベストテン」というチャート番組が始まって、ヒット・チャートの意味合いは変化した。それまでもチャート番組の様な物はあったが、総じてスターの顔見せの場にしか過ぎず、レコード会社以上にプロダクションとテレビ局の力関係が重要視された。しかし「ザ・ベストテン」は、レコード売り上げ、有線リクエスト、ラジオ・リクエストといったチャートを総合配合することにより、より的確なヒットの姿を一般人に伝えた。だからこそ初期の頃は「出演拒否」するミュージシャンが相次いだが、次第に歌謡曲の王道とより創造的な新しい音楽との垣根も低くなり、メガ・ヒットの時代への橋渡し的な役割を果たした。1980年には「ザ・ベストテン」時代への橋渡しを演じた最後のアイドル、山口百恵が引退し、アイドル・シーンも様変り。マスコミや芸能プロ以上に、ニュー・ミュージック的ノウハウを得たレコード会社の力が増大し、オリコン・チャート初登場1位というケースが増大しはじめた。オリコンが業界誌だけではなく、一般向けの音楽情報誌を刊行し始めたのもこの頃で、81年になるとアイドルが毎号表紙を飾るようになり、オリコンというステイタスが一般に浸透、ヒット曲の最大の要素を瞬発力へと様変りさせる要因となった。これが飽和状態に達したのが85〜87年にかけて一世を風靡したおニャン子クラブ・ブームの頃である。
この頃はというと、貸レコード問題が絡んでレコード・セールスは低調の極み。82年初めて発売されたCDもまだ一般に浸透していず、音楽的には空虚としか言い様がなかったが、そんな時期おニャン子勢はメディアの力と一般人の盲信的体質を利用してチャートの上位を独占した。まず、水曜日にレコードを発売する。オリコンの調査が次週の火曜日に終了、まるまる1週間分の売り上げが集計され、その次週の月曜日に業界誌と一般誌にチャートが発表される前に、所謂「金曜夕ニャン」で「国生の新曲、初登場1位! いぇーい!」と盛り上がる。その繰り返しである。今でもあるではないですか、「なになにが次週のオリコンで1位であることが解りました」と、木曜朝テレビ番組で言ってたり。そんな「リーク」の始まりもおニャン子。
ほらね、今でも続く新曲水曜日発売という習慣は、このおニャン子・ブームの名残であるということが解る。いくらヒットのあり方が変ろうが、沢山売れて上位に登場した方がレコード会社は嬉しいではないか。今では、老舗コロムビアの様に21日発売にこだわるメーカーもあるものの、殆どのメーカーが強力新譜を水曜発売に設定。東芝は毎週水曜日にバランスよくリリースする一方、ポニーキャニオンやエイベックスみたいに第3及び第4水曜日にどっとレギュラー新譜を出したりするところもある。但しキングだけは発売日を金曜日に設定しているが、これは同社のメイン商品がアニメ・ゲーム系ということで(仕方ない)ゲームの新譜の発売が金曜日であることが多いのに関係があるのではないだろうか。
先月は21日と第3水曜日が重なり、かつ連休前でしばらく次の発売予定を立てられないというのもあってただものではない新譜量だったのは言うまでもないだろう。今丸芽が奉仕しているとこでは、水曜日に出る新譜は大抵前の週の木曜に入荷、次の日に傘下店向けに荷造りをして、月曜日に一斉発送するわけ。よって5月12日発売のものについての作業が丁度終ったところ。その中には、先ほど触れた「人気者でいこう」の連帯責任CDデビュー第1弾、袴田吉彦の「本トの気持ち」が含まれている。これがオリコン50位に入らないと、次に出る事になっている内藤剛志と浜田雅功のCDはお蔵入りとなる。しかも3曲とも一般人の手になる曲(そしてジャケ)ということで、とてもリスクは高い、かつはらはらさせる企画である。しかしこの日の新曲発売状況を見ると...ミスチル、V6(またあい絡み)、モーニング娘。、TKD(紀香ドラマのテーマ)、布袋寅泰、藤井フミヤ、スカパラ(R.I.P......)などただものではないラインナップだし、持続中の曲も強力に上位をキープするだろう。そんな中50位なんてタフ過ぎる。でも、是非とも50位はクリアしてほしい。折角の一般人パワー(モテ男、袴田君自身も歌では一般人だけど....)がしなってなるものか。 これのチャート順位が出るのが、早くて20日。その結果が明らかになるのは、25日放送の「人気者」。内藤さんの発売予定日はその翌日。ってことは直前までわからない。プレスは既に進行している筈だし、20日にはうちの会社に入荷するでしょ順調にいけば。その日に明らかになるチャートで袴田君が51位以下なら、その場で撤収ではないか。かわいそうすぎ。イーストウェストさん、スペクターBOXの過ちは繰り返したくないでしょ? 応援します。

アクセス10000記念・本トの気持ち (1999年5月)
なんか、この年齢になると、開き直って好き放題だいって感じなんですが、一人者としてはかえって虚しくて。昨日、昼前のテレ朝の番宣番組(?)に加藤あいが出ていて、T・I・Mのレッドに思いきり「オヤジ」と突っ込んでいたけど、同い年として非常に複雑な気分でありました。でもさぁ、オヤジ的な自覚なんて一切捨てちゃって「バチェラーって素敵だな」なんて思い込むのもいいんだけど、そろそろ落ち着かないととも思うんですよ。このままではどうしようもないし。やっぱり若いコを追いかけるのって良くないのかなぁ、でも好きなんだからしょうがないし。現にこの道にはまって抜けられない先輩を私は何人も知っている。
以前F.O.P.に「男は51歳まで自分をボーイと呼んでよろしい」(ちなみに51歳はカール・ウィルソンが亡くなった年齢)という持論をカキコしたけど、精神的には好きなだけボーイでいていいと思うんだよね。でもある程度峠を越えるとボーイ哲学は回りの空気によって消されてしまうのだ。果たして、若いコが回りに寄ってきたとき、自らの精神的な変化をどれだけ察知されるか。それが問題なんだよね。デレっとなっちゃったらその時点で変態扱いされてアウトなんだよ。それが日本人のいけないところ且つサラリーマン社会の功罪なんだけど。こないだのめざましで帰国子女に日本に来て変だと思ったところはという質問をしたら「見知らぬ人が擦れ違っても無視をする」との答えが目立ったという結果もしょうがないもんだ。向こうの人はそれだけ心がおおらかでいいなあという結論に至ってもいいけど、逆に云えばそれだけ容赦なく他人の心に入り込める、だからこそ平気でミサイルバンバン撃てるっていうわけだ。あああ、日本は平和なのかのんきなのか。みんな、いい加減シリアスになろうや。さもないと本当に非天然ハルマゲドンの渦に飲み込まれるぞ。
というわけで自分的今週最大の事件はといえばやっぱり、当Happy 45tistがアクセス回数10000を達成ってのに尽きるでしょう。1997年4月8日「45」としてスタート以来、特に目立った宣伝や営業もせずこつこつと仲間を増やし、途中数回紆余曲折あったもののなんとか2年間持続してここまで来ることができました。力なき音楽愛好者並びに夢想家として非常に光栄に感じた瞬間です。この場を借りて皆さんに改めて感謝の意を表明すると共に、今後もH45のつたない進歩を見守って頂ければ幸いと存じます。
それにしてもほんと何にもしてないんですよ。Yahoo!など「個人ページ」のとこに登録してるだけだし、あとは「宝島」さんとか"We Love Mac"、NTTディレクトリ、リンク・リンククラブ位しか自分の意志で接触したとこはないんです。それも全て最初の1ヶ月の間に。総じてサーチエンジン経由で巡り会った良い音楽仲間とそこからの横のつながりしかないんですよ。そのサーチエンジンにしたって2、3度ネガティヴな方向にH45を導いたわけですから良い効果をもたらしたわけではありません。ただ濃い仲間の方々は一度同志として認識するとその段階でもはや絆は強固となります。F.O.P.を見ればその点は一目瞭然ですけどね。そのF.O.P.だって、他のいくつかの掲示板に見られたような露骨な論争もなく続いているのは頼もしいと思います。いや、ただ何か云いたげな人達が逃げているだけかもしれないけれど。まあ、そこまで達したらH45もメジャーになったって証明でしょう。でもまあ、今はメジャーになる事なく続いているだけで満足です。でかくなりすぎたら自分のキャパでは絶対フォローできないと思っているし。

夏の終焉のあと (1999年9月)
再び、活発な季節に突入。何が活発かって、通勤電車の中ですよもう全く。学校って連帯感を強める場ではないのか。それなのに校舎内で生き甲斐を見い出せない生徒たちが、わざわざ特定の車両内に居合わせて集団でおしゃべりする必然性があるか? ほんと、満ち足りていたいんなら周りへの迷惑も気にしろっての....まあ自分も高校生時代の事思い出すと人のこと言えないけどね。進学と同時にこっちに来ただけあって、周りに幼馴染みの友達なんかぜんぜんいなくて淋しかった。だからこそ、キャンパス内ではできない自己のおもいっきりな放出を、わずかながらの通学電車内でやっていたのかも。それを迷惑がってた人だって絶対いたはずである。但し自分らの場合は年配のおやじより同世代の女子たちに迷惑がられたという思いも多少あるけどね。だから今こうしてリベンジしてるのかもしれません。時々いるけどね、じっくり観察してみると絶対いいなと思わせるコが。まず足元から見ちゃう、そういう場合は。で顔をちらっとみるとまっすぐな目をしていたりして。こいつアノラックかもと感じたりすることもあるしね。でももう声をかける器ではないし、やっぱ淋しいよ。だから黙っててくれ。しっかり勉強して、情けない大人社会に堂々と飛び込んでいってくれ。今のコたちの勉強の仕方ってちょっとずつ脳内メモリに勉強したことを塗り付ける様な感じじゃないだろうか、自分の意識にしっかり叩き付けるんではなくて。そのまま大学受けて入ったりするからその後だめになるんだろうなぁなんてドロップアウトした自分が言ってどうするんだ。
もう今週は8月30日起きた槙原敬之逮捕事件一色って感じでしたね。まずニュースを聞いてあきれる前にショック受けて。H45のどっかで書いている通り、槙原は自分にとって常に意識すべき存在でして。教授デモ・テープ仲間(言うなって!!)に加え、某テープ・コンテストで彼が優勝した際自分らは惨敗してたりして。ブレイクしてからもその動きは非常に気になってました。今時珍しい、いくら売れても質素な生活を好み、音楽以外の変な事には絶対関心を示さないタイプと思っていた彼が何故に.....。自分があまり書いても何のメリットにならないのは承知だが、ただ一つ非常に気になるのが、ファンの間で「最近の彼の曲はサイケデリックな感じで、ちょっと変」という話が囁かれていたということだ。なるほど、サイケだと変なんだな、槙原的センスでは。自分も最近の曲じっくり聴いたわけじゃないんだけど、一体何が彼をそこに向けたかは関係ないとして、ファンを戸惑わせる程の路線変更はあったんだろう。しかし、サイケな音楽好きの自分にとっては、この意見はサイケという世界そのものを否定されている様な気がしてとても複雑である。サイケは未知の世界をかいま見せてくれる分、作り手の精神状態をストレートに表わしてしまう。だから好きなんだけど、残された音楽が素晴しければ、そこに至るまでに作り手が辿ったプロセスなど関係ないのである。「ペット・サウンズ」や「サージェント・ペパー」は言わずもがな、最近とても気に入ってるアレクサンダー・スペンスの「OAR」なんて病み行く精神状態をストレートに物語った傑作である。ベトナム戦争の絶望感の中、化学の力で多種多様な花が咲き乱れた60年代はもう昔。当時花を咲かせた化学は最早悪事の種でしかない。わざわざ危ないものの力を借りて自らの表現能力を多角化しようってのは、今の世の中じゃ到底無理で、聴き手に与える影響も重大である。事実、この逮捕劇のわずか2日後には、レコード会社により彼の作品を店頭から撤去するよう発令が行われているのだった。歌手が不祥事を起すと大抵放送禁止か出荷停止止りなんだけど、これは極めて厳しい処分で、自分の知る限りでも20数年前に殺人事件を起してしまい、回収・廃盤どころかマスターの完全廃棄という事態に発展したある歌手以外では類を見ない。それだけ、彼の音楽を受け入れる土壌が大きいってことなんだろう。ただのお化粧や無機質な同期もの、不純な恋愛のメリットを説く歌が氾濫する今、最も無垢に近いものであるはずの歌達が葬り去られるのは非常に残念だが、その作り手がいけないことをしてしまったんだから仕方ないのだ。悲しいよ。
今週はあと11月にオフコースのトリビュート・アルバムが出るという情報が飛び込んできて、それを聞いていろいろ感慨を深くしました。収録歌手が岡本真夜、中西圭三、矢野顕子他ということで。アッコちゃんはまだいいとせよ他のメンツを見ると予想していた感じとかなり違う。もちろん槙原も呼ばれていただろう(初期の頃、必死にオフコースからの影響を否定していた雑誌の記事を思い出す....) しかし、本当にオフコースに敬意を表するべきなのは、現在楽器を持って活動している少なくとも25才以上35才未満の人達全員なのである。より範囲を狭めると、オルタナ系、ノイズ系、サバービア系、はたまたヴィジュアル系の人が参加して当然の企画だと思う。かく言う自分は、80年「さよなら」でブレイク後、82年に全米ヒットものしか聴かなくなるまでの時期、真剣にオフコース・ファンをやっていた経験がある。その時期というと、突然のブレイクが葛藤を呼んだのか、彼等の歴史の中でも最もダークな側面が展開されていて、ヒット曲は連発されるもののその奥にはかなりどろどろしたものが潜んでいるのだった。しかし、アメリカの産業ロック・ファンに馬鹿にされる要因となったウェットさが洗練された曲調とうまくフィットしていたからこそ、彼等のセンスのよさは相当ませていた自分にもどっぱまりだったのだ。正直な話、一緒にビーチ・ボーイズやザッパを聴く仲間がいなかった高校時代、一番話が合ったのはオフコース・ファンの連中だった。何しろ松田聖子ファンやさだまさしファンはどうしようもない奴らだったけど(見られてるか....)数少ない洋楽ファン(何人かはメタルだったが)とオフコース・ファンとは連帯感が持てた。彼等もきっとセンスの良いダークさにひかれていたに違いない。そして、その頃音楽に目覚めた中学〜高校生は絶対この時期のオフコースに感化されているはずなのだ。その感化のかけらが後にノイズ系バンドの暗黒性やヴィジュアル系バンドの(メロ的)耽美さに影を落していると思うのだが。実際ラルクの某メンバーが某雑誌の記事で「最初はオフコース」と語っていたぞ。ダーク時代の頂点が結実したアルバム「over」の楽曲こそ、今のモダン・ロックの解釈で演奏されるべきである。この作品は、かたくなにテレビ出演を拒否していた彼等がその制作風景をドキュメンタリー番組として構成させたものであるが、真剣なメイキングの奥には絶望感が宿っていたのだ。翌年、さらなるテレビ・スペシャルとして制作された「NEXT」を最後に鈴木康博が脱退し、その次の年4人になったオフコースは、なんと「オレたちひょうきん族」に出演して、暗雲をとっ払う。そして自分にとっては魅力のない人達になってしまうのであるが。
もちろん、センスのいいポップ・グループとしての「さよなら」以前の彼等を見過ごしてはいけない。初期のシングル「おさらば」をソフトロックの大傑作として再評価するという動きもあり、またソフトロックを卒業した大人がのめり込みがちな「AOR」の日本版という公式さえ立派にあてはまる。だからこそサバービア勢によるオフコースの解釈は聴いてみたいと思う。さらに「NEXT」のサントラに収録されたメドレー・コラージュ曲を聴いてヒップホップ道を悟ったA・K・Iの実例(ブルータス96/2/1号参照)まであり.....そこまで器が大きかったのだオフコース。だからこそ是非実現してほしいのだ、普通のトリビュート以上に濃くなるに決まってるオルタナ・トリビュート作を!

ビートルズがお好き (にれさちこ SV-1131) (1999年9月)
先週沢山書き過ぎたので今回は控えめに行こうかと思いますが、果たして....。今週の具体的行動は、先週書いた通り月曜日に「オースティン・パワーズ・デラックス」を見に行った事位です。当日の様子なんかは既にF.O.P.の方で報告しましたが、とにかく自分の笑いのツボに一番どっぱまりなのはこの手の映画であると断言してしまいましょう。頬が緩みっ放しで最高です。60年代のシチュエーションに90年代のテンポ、そして80年代のギャグ・センスが見事に融合。マイク・マイヤーズ素晴しすぎ。もう一度見に行こう。
ちなみに見に行った映画館は所謂「郊外型シアター・モール」のようなとこで、自分の住んでる所から車だと約7分で行ける。しかし仕事帰りに隣の駅で途中下車してちょっと見ていこうかなとなると凄い不便な気がして。雰囲気的には最高だし、平日だけにお客さんはあまり入ってないから堂々と大笑い。ちなみに「スター・ウォーズ」や「ノッティングヒルの恋人」の方が当然お客さん多かったみたいです。ラブラブな人達も多数。あああ、彼女も車もない自分が悲しくなるな。つーわけで、50分かけて土地勘を頼りに徒歩で帰宅。わけわかんない所に随時入り込んだりして、実にマジカル・ミステリーでした。いい運動になったけど。前日ライヴ3本観たのにこれだもんなぁ。
この週末は貴重な休暇期間となってます。何せ祝日も仕事になりそうだし、その後はいろいろとライヴ、イベント観戦が控えていて、この綿飴もしばらくレポート中心になってしまうと思います。来月メイン・イベント、廃盤セールがあるだけに、経済的にはほんと抑えたいんですけど。大丈夫だろうか。で、合間を縫ってH45。最近H45を見てCDを買ってくれたとか、感化されましたとか頼もしい声を聞くことが多くなり、やっぱ本気でやんなきゃと励まされます。一小市(町です正しくは)民のたわごとだってたまには意味を成すんだから。頑張ろうよ、ネット同砲の皆さん!!! 年末にはまた協力してもらうことになりそうだからねっ。物書いて金貰ってる奴らばかりが正しいとは限らないのだ!!!!!
で、貴重な意見発表の場である今回の綿飴の主役には、ルルルルにも登場してもらったビートルズを選ばせていただきました。思ってみれば自分と彼等との真剣な付き合いも24年目に突入しています。厳密に言えば6歳の時に「レット・イット・ビー」のシングルをおねだりしたのが始まりなんですけどね。とにかく76年に「青」を聴いてからしばらくずるずるとはまりまして。小学生のうちにしっかりとおさらい済んでしまったってわけなんです。思い出してみれば、小六の時、自分のビートルズ好きを察知した父が、「もっと英語の勉強したいんなら....」と米国人の奇麗なお姉さんを家庭教師代わりに紹介してくれたことがありました。その頃父は頻繁にアメリカ出張に行ってた影響で、相当な英会話マニアと化してて、教材のテープとかしこたま買い込んで、当然息子にも聞かせてたわけですよ。それがエスカレートした結果かもしれないけど。結局リンさんから直接教わったことはあまりないと記憶してます。二人で「マジカル」のブックレットとかを見ながら「ここはこう」と教えてもらったのは覚えてるけど。やはりビートルズ狂いが直接自分の英語の知識に影響してて、それ以上は必要なかったんです。だから中学では基礎とかろくに教わらなかったのに、先生には気に入られるわ、悦に入って英検2級までとっちゃうわ。ヤなやつでしょう。高校入れたのだって、英語がよかったからとしか思えない。こんなんで大学まではやっぱ無理だったけど。全部ビートルズが教えてくれたからです。
で、なんでそういうことを書いたかというと、そこまでに到らせる優等生的存在としてのビートルズがたまらなく嫌だという声が多いからなんですよ昨今。もち、ビートルズ自体に対する嫌悪じゃなくて、そういう風潮に到らせてしまった世間がいけないんだと。例えば音楽の教科書に「イエスタデイ」が載ってるとか、そういうことです。なんかしょうがないんだよね、自然に美化されてしまったんだから。現役時代は「不良の音楽」とか散々見下していた、同じ世間体が。彼等の存在した時代を美化せざるを得ないほど情けなさを増していく、この時代の動きに徒花にされてしまってるようなんですよ。例えば「ベイ・シティ・ローラーズ? 彼等よりビートルズの方がずっといいわ」とか。デュラン・デュランでもニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックでもバックストリート・ボーイズでも可。いつの時代でも優等生として奉り上げられてしまうんだよね。だからこそ「ビートルズだけが重要で、他は無価値」と思う奴らが後を断たないのかもしれない。さらにジョン派、ポール派が自然と対立してしまうって風潮もよくない。優等生的理論に躍らされる人ってのは自然とポール派になってるような気がする。でもポールだってLSD服用を赤裸々に告白した人じゃないですか。槙原の事件がなんぼのもんやという程の衝撃が走ったんですよ、あの時は。そんなポールを一方的に見下す態度のジョン派が増えているのはもっと悲しい。「ジョン・レノンこそロックンロール」だなんて。ポールとか他のロックの偉人-エルヴィスさえも-を無視してそんな事が言えるとは、ロックが解っていない証拠に決まってる。そういうのが堂々と音楽雑誌に文章を書いてお金貰ってるんだから。やっぱ時代は憎むべきものだ。
まあ、何れにせよ彼等の残した音楽的遺産は素晴しいのだから、避けて通ることは許されないが、それが全てと決め付けるのは良くないと思うんですよ。どんどん良いと思ったものを見つけて、公平な音楽ファンになってほしいと。だから、モンキーズは「猿真似グループ」とか決め付ける奴らは絶対許せないし。ラトルズやユートピアも大きい心を持って聴いてみてほしい。「ペット・サウンズ」を聴こうともしない人達は言わずもがなですけどね。ちょっと違うけど、東京ビートルズが再発見された時は、やっぱ嬉しかったですよ。
また個人的な話に戻るけど、78年以降はそういう「ビートルズを美化する」人達による機構に自分も暫く入ってまして、フィルム・コンサート「ビートルズ復活祭」に行きまくりました。貴重な映像を見るのは楽しかったし、グッズはしこたま買い込むし。そして好きだったコを誘える楽しみもありました。高校進学後も帰郷ついでに京都での「復活祭」に彼女を誘って行ったり。ビートルズの音楽が自分にとってロマンチシズムを誘発するファクターだったってのは無視できないものです。高三の時だったかな、父の取引先だった某生命保険会社(ついこないだやばかった処)の専務の娘さんが「ビートルズのレコードが欲しい」って話が伝わって、彼女とも復活祭行ったし。みんないい娘ってわけですよ。長続きしなかったけど。お付きあい、ちゃんとすべきでしたな。最後に復活祭に行ったのは確か92年で、バンド・ブームを境にビートルズ・ファンの在り方もかなり変化し、「ビートルズ・バンド・コンテスト」が行われたのでした。確か"She Said She Said"をしっかりかっこ良く決めてたバンドが印象に残ったけど、彼等にXTCの曲とか演ってほしいと真剣に思ったものです。案の定、他のバンドの殆どはポーズだけ真似してる連中ばっかりで。ホフナーのバイオリン型ベースやグレッチのセミアコを抱えてなんとか様になろうとしてるのは今思い出すととても滑稽。本人達は「絶対ブルーハーツとかよりかっこいい」と思っていたんだろうけど。やっぱ、バンド演る人達はもっとグローバルに音楽に接して欲しいと思う。「AHDN」の冒頭のコードいろいろ試したけど、自分の発見したのが一番正しいとか、この曲の何小節目で音を外せば完璧とか、そういうのに時間を費やしすぎて基本的なミュージシャンシップを失ってしまうのが一番良くないね。
以上、無駄話も含めてごちゃごちゃと書き乱してしまいましたが(ブート関係の話もしたかったが、きりがないので.....)とにかく自分はこういう付きあい方をしてきたということを表明してみたつもりです。

(ALBUM MEMOの部)

フジワラカヨコ
「風の便り」

FFFF WPCV-7435
新年早々99年の台風の目となりそうなアルバムに遭遇。2年前にインディーズでアルバム「恋のヨカン」を発売、そのジャケの情景に誘われて気ままに迷い込むと逃げられない大変な世界を展開していたシンガー・ソングライターのメジャー・デビュー作。今回もジャケはロケーション、着ている服共々アナログ感いっぱい。さらに紙ジャケ仕様、直筆の歌詞・解説までついたLP時代を彷彿とさせるデザインの歌詞カードに至るまで只者ではないこだわり。そして音のほうはというと、やはりメジャーになってやりたい放題のスケールもますます増大。大物スタジオ・ミュージシャンを手玉にとったこの堂々たるたたずまい。歌声を際だたせつつも各音の輪郭をはっきりさせたミックスなど近年まれなさわやかさ。詩もメロディもアレンジも細部まで彼女の「これがやりたい」って心意気が行き届いていて圧倒させられる。それでいて決してヘッド・ミュージックになっていないのは、彼女の歌声が持つ暖かみのためだろうか。1976年生まれの彼女が直接みたことのない音風景をこんなにも鮮やかに見せてくれるなんて、ほんと凄い自意識の持ち主。前作について書いた時は女性版小沢健二の登場を予感って書いたけど、なるほどこのやり手ぶりは女性版コーネリアスたる嶺川貴子の対極的なものかもしれぬ。あるいは多少丸くなった小島麻由美? (2)(3)(4)と続くあたりの感触は素晴しすぎ。こうにも疼いてしまうのはやっぱ自分が70年代後期に女性シンガー・ソング・ライターにはまりすぎたからかも? ともあれ、この展開がステージにも再現できたら、絶対大物の予感。これで性格はずかしがりですか、どんなトークを聞かせてくれるんだろう。(1999年1月)
Linda McCartney
"Wide Prairie"

MPL TOCP-65065
去年4月静かに世を去ったリンダ・マッカートニーの追悼アルバムが、ひっそりとリリースされた。これは決して万人に聴いて欲しいアルバムではないのだけれど、世に出なければいけなかったアルバムではある。プロの写真家だったリンダの音楽活動が始まった成れ初めは、彼女と結婚する以前のポールの最高のパートナーだったジョン・レノンがヨーコと始めた「活動」へのあてつけだったには違いないけれど、それ以上にポールの家族愛ってものが、密かながらも録音を積み重ねる結果に到らせたのであろう。「世界最悪のハーモニー」なんて罵声もものともしない「愛のパワー」の蓄積。確かに、昔夢中になった「ジェット」や「バンド・オン・ザ・ラン」はリンダの貢献なしに成り立たなかった曲だ。今回のアルバムは、初期ウィングスから死の直前に至る彼女の秘蔵録音を集大成し、ポールの「最後の愛」をささやかながら世に伝えている。なんと77年にポールとリー・ペリー(Dr. Lee Ph.D)が共同プロデュースしていた2曲のカバー曲には驚かずにいられない。過激な思想家としての姿を伝える(6)、彼女が描いたアニメ映画の情景を忍ばせる(9)など、涙を誘う曲の数々。今はただ合掌しつつ接するしかない。(1999年1月)
Southwest F.O.B.
"Smell of Incense"

Sundazed [US] SC-11060
これもスローン同様「2度目の正直」で良かったサンデイズドの偉業。この68年の幻のサイケ・アルバムは、97年3月にPヴァインが世界初CD化していて、「ソフト・ロック」としての評価も上々だったもの。しかしさすがサンデイズド、今回のCDにはシングル・ヴァージョンの他未発表ミックス、さらに前身Theze Fewのレアなシングル曲まで追加。現在カントリーの大スターであるダン・シールズはさすがに無理だったものの、彼とコンビを組んで70年代MOR界でヒット連発したジョン・フォード・コーリー以下元メンバーにしっかり取材して強力ライナーを装備。音も当然こっちが上だろう。ってわけで68年ヒットしたこのタイトル曲は、語り出すと止まらなくなりそうな逸話だらけのウェスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンドのナンバーから「実験色」を抜いてテキサスのおおらかな空気を加えたようなサイケ・ポップの古典。アルバムではハード・ドライヴィングな曲から穏やかなフォーク・バラード、そしてサイケ恒例のめまぐるしいパン効果てんこ盛り長尺ナンバーまで、当時の定形にはまりつつも全体をゴージャスなハーモニーで味付けしてる。ダンとジョンのポップ・センスが早くも開花ってとこか。ビーチ・ボーイズでもおなじみバッファロー・スプリングフィールドの「ロックンロール・ウーマン」も演っている。(1999年1月)
XTC
"Apple Venus Volume 1"

Idea/Pony Canyon PCCY-1341
7年振り、待ちに待ったニュー・アルバムがついにリリース。まあ、アンディ自身ネットにはびこっている自分達の情報なんて取るに足らないと言い放っているので丸芽がここでどう書いたって何の意味もないんだけど、とりあえずはポップ史上最強の確信犯集団の帰還に拍手。集団と言ったって今作の制作中デイヴ・グレゴリーがついに離脱し、二人になってしまったわけだけど、XTCって存在自体が単なるポップ求道集団を突き抜けてしまっているのは周知の事実だから。さて、アンディの発言で有名なものに「XTCは影響を受けたポップ・ミュージックの歴史を遡っている」というのがあって、その頃出した「ビッグ・エキスプレス」は65年頃と付け加えていた。その後の3作で充分ポップ・イディオムを吐き出したと思えた彼等はここでどの手に出たか。穏やかなストリングスのミニマルな響きに導かれスタートする一曲目は確かに意表突きすぎのオープニングである。しかし何度か聴いているうちに、ストリングスとアンディの歌声の向こうに「ブラック・シー」の攻撃的なギター・サウンドが霞んで見える。これこそ全てのポップを消化し、自らが最初に立った所に再び戻って遥か未来を見据えたXTCポップの新しい形ではないか。11曲という曲数も丁度いい具合にまとめられているし。元々アンディの曲の群れの中でその毒からひょこっと緑素を摘出したようなポップを際立たせていたコリンは今回2曲だけだが、かつてのXTCには似合わない枯れた味わい(歌声も何かしらそんな感じ)の曲を提供してアルバムの流れをより引き締めている。その傍らでアンディの作品群はポップでありながらさらに屈折度を増し、前衛ムードさえ漂わせる。この内省的作風+オーケストラという音作りはどうしてもラヴの「フォーエヴァー・チェンジズ」やR.E.M.の「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」を引き合いに出したくなるが、XTCのオーケストラ使いはさらに英国的くすんだ色彩で、そのくせして先の2作以上にヴァン・ダイク・パークスの「ソング・サイクル」の影が覗いている。なおかつあの「スカイラーキング」と同じドラマーを使うという荒技も(しかし今回ドラムは全く目立っていないのだ実は。) しかし7曲目の「ユア・ディクショナリー」、以前の「ディア・ゴッド」以上に直接的辛辣さを持った歌詞に単刀直入なメロで、彼等のこの7年間の苦悩(公私共に)がただ事でなかったことを思わせる。穏やかな雰囲気の中、至福の50分間は聴き手の脳をくすぐりながら、いつのまにか幕を閉じる。と思いきや、「アップル・ヴィーナスVol.2」は「ブラック・シー」を彷彿させるギター・ヘヴィなアルバムとしてそこにやって来ようとしているのだ。彼等はまだまだその気である。確信犯よ永遠なれ。(1999年3月)
Dragibus
"Papriko"

In Poly Sons/Uplink ULR-005
去年最大の啓示だったライヴの主、フランスぶっ壊れパンク童謡の帝王・ドラジビュスのセカンドが突如到着。本当、お店は隅々までチェックしないと(大抵フレンチのコーナーにあり)、そしてメジャーだけで解った気になっちゃいけませんねってわけでぎりぎり到着でいきなり大はまりです。今回は25曲で46分と、前作に比べると一曲が大作になってますが、壊れたサウンドと壊れたエンクミ声で歌う動物ソング路線はよりスケール・アップして健在。ただ壊れているだけでなく、テクノやオルタナ、ヒップホップ(?)からポーズをちょっぴり頂いてスパイスに加えているところがスケール・アップの要因。来日ライヴでの中原昌也との共演で感化されたのか、随所にぶっ壊れたサウンド・コラージュを挟み込む新機軸も。前作同様世界各国から童謡ネタを集めてますが、今回は日本の「月の砂漠」に挑戦。(誰だったっけジャズの人も演ってましたね) バックでまみちゃんが極めて真面目にピアノを弾いてサポートしているため、アルバムの中ではちょい安らげる空間になってますが、ローの壊れた歌声とフランス発音の日本語にはどうしてもニヤリとせずにはいられませんね。この異国情緒こそエンクミの歌う「ヘイ・ジュード」と同質のものかもしれぬ。なぜこの国では可愛いコがめちゃくちゃアレンジで童謡を歌ってCDを出してはいけないのだろう。(かといって加藤あいにやらせるのは.....) ちなみにこのレーベルからは近々クリンペライの新作!!!が出るとのこと。(1999年3月)
Various
「山下毅雄の全貌 MISSION 2」

Crown CRCP-20206
フォローし損ねてた1月のリイシュー中、最も目頭を熱くしてくれたアイテムその1。再評価進む大作曲家・山下毅雄氏の主にTVでの仕事から、あの大友良英氏がコンパイルしたシリーズの第2弾である。まあとにかく、収録されているタイトルを見るだけでも時代の濃厚な空気が伝わってくる....「プレイガール」、「七人の刑事」、「クイズ・タイムショック」「時間ですよ」....けど、山下氏のえらさは決して時代に媚びることなく高度な音楽感性を用いて一つ一つの場面に独自の色を与え続けたことである。それが脳裏に染み着くと、決して忘れられない場面の完成。例えば「大岡越前」。絶対誰でも知っているはずのあの哀愁メロディ。その傍らで劇伴には驚くほど刺激的な音響を提供していたりするのだった。自分も子供心ながらこの劇伴は何か感じるなとわくわくしながら聴いてた記憶がある(テルミンかモーグかわかんないけどピョーンというポルタメントが快感な曲もあった。このCDには入ってないけど....あ、あれって「水戸黄門」だったかな?)。その内の幾つかをこのCDで再体験できる。あるいは「タイムショック」だって、音だけ聴くと何だかシュールな感じ。しかし画面が脳裏に思い浮かぶと、日常のサントラであった事を認識せざるを得なくなる。あるいはマチャアキの「涙から明日へ」のような一聴して俗っぽそうな曲でさえただ事では進まない。(蛇足ながら始まって1分56秒の所で思わず耳がテン.....おっと、危なすぎ) 山穀サウンドの不思議ってそういうものである。だから昨今のイメージ先行の上二次・三次使用当り前のBGMの洪水の中でこれに接すると新鮮としか言い様がない。個人的に一番嬉しかったのは吉永小百合さん主演「花は花嫁」のテーマ曲。懐かしー、こんな単刀直入にいかした曲は滅多にないっす。その後の2曲も泣けるし。山上路夫氏も避けて通れないものだ。ラストの「煙の王様」EDテーマが消えて行く瞬間の美しさは、さすが大友良英としか言えないですね。2月にはルパン三世・オリジナル音源での発売も実現し、ますます盛り上がる山毅再評価。次はナベ岳だ。うひゃっ、トレイの下の右端は西真澄だ! (1999年3月)
おちあいさとこ
「小さな裸足」

パパラギ PACD-981101
このところRacco-1000ののいずの反動か、癒し系の女性ボーカルを身体が欲しがってしょうがない。1月のフジワラカヨコ、2月のマルカートに続いてこの系統からの登場となるのが、このおちあいさとこさん。前回マルカートの処で名前が出た、きんと雲という女性3人組で活動していた方である。きんと雲の後はメンバー2人で組んだ「イニッシュ・モア」でよりノスタルジックな方向性を追求、現在活動休止中の合間にこうしてソロでプライベートながら心暖まる作品を届けてくれた。実は彼女のWebサイトで通販をしているのを知り、喜び勇んで購入したが、幸いというか3月から原楽器によるディストリビューションが開始されたので、大手のインディーズ取扱店でも入手できるようになったというわけ。で、本当期待通り、自分のツボにぴったりくる内容。今までは主に相棒の良原理恵さんが曲を作っていたが、今作は作曲、アレンジにも積極的に着手。古き良き歌謡曲や童謡などの影響を感じさせる素直なメロディ、ギミックが少ないながら実に良く練られたアレンジで歌声の素敵さを際立たせてくれる。それに生活感溢れる歌詞。こういう、歌い手の日常に知らぬ間に吸い込まれていくような歌世界こそ、今のポップス界に欠けてるものゆえ愛しすぎです。さりげなく仕込まれた7曲目「オマツリ」の痛快な罠もまた効果的でいいアクセント。爽快感で30分足らずが一気に過ぎていきます。なんか奇遇ですが、おちあいさんとマルカートのユキさんがユニットを組んで活動開始とか.....こりゃ大変です。絶対聴きに行かなきゃ。(1999年3月)
The Magicians
"An Invitation to Cry:The Best of the Magicians"

Sundazed [US] SC-6133
サンデイズド99年最初の偉業は、去年末から出る出ると噂されていた伝説のグループ、マジシャンズの全貌を伝える待望のアルバム。タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」を初めとする数々のポップな名曲を残したゲイリー・ボナーとアラン・ゴードンのコンビに、後にカルト・アイテムを残すバンキー&ジェイクで活動したアラン・ジャコブス、後にアポストリック・スタジオを設立したジョン・タウンリーの4人から成るまさに幻のグループで、その音源に関してはコロムビアに4枚のシングルを残したのみ、その中の一曲"An Invitaion to Cry"が"NUGGETS"に収録されたおかげで神格化がさらに深まったが、去年4枚組のナゲッツBOXが出るまでは他のコンピ収録も滅多になく、このアルバムはまさに待望というべき一枚である。65〜67年に出たそれらシングルの8曲に加え、未発表デモ5曲、しかもその内4曲がカバーという計13曲という内容はサンデイズドにしては淋しいが、それが全てなので仕方ないこと。フォーク・ロックを基調にした陰影あふれる音に独特のメロディ・センスを折り混ぜたそのサウンドは、ガレージ・ファンにもソフトロック・ファンにもお勧め。"Invitation...."は言うに及ばず、スプーンフルの「つらい僕の心」を彷彿とさせる"I'll Tell The World About You"が容易に聴けるようになったのは嬉しい。のちにバラクーダ名義でB&Gがリリースした超名曲"The Dance At St. Francis"(願わくばこれも入れて欲しかったが....)のB面でリメイクされた"Lady Fingers"もいい。ソフトロック・ファンにとってはそのシングルB面だった"Double Good Feeling"が一番ストライクだろう。対してガレージ魂は未発表デモの内一曲"Who Do You Love"で見事に爆発。あまりの器用さが災いして全国区になれずじまいで萎んでしまったのがもったいない、いいグループだったのに。(1999年3月)
Marshall McLuhan
"The Medium is the Massage"

SME SRCS-8912
99年度リイシュー大賞候補(今んとこ)! サイケ時代、メディア論の覇者として一世を風靡したマーシャル・マクルーハンの著作をベースに音響作品化した怪作('67年発売)。ジョン・サイモンがプロデュースという歴史的重要性や、「音響派」にも多大な影響を与えたコラージュ・アルバムの名作としての側面が近年取り沙汰されて、こうしてリイシューが実現したわけだけど、同時にメディアに踊らされまくっている世紀末への警鐘でもあるわけで。まずは添付されているテキストを読みながらじっくり付き合いたいものである。情報過多が人格をコントロールし、社会の秩序を混乱させる事を既に30年前に予見、それをストレートに語るのではなく、あくまでもポップに、かつダダ的に表現していく。そのテキストの朗読にさらにカットアップやコラージュの手法を加え、ポップ・アートとしての昇華を試みたアルバムに仕上がっている。だからこそプリンスの「LOVESEXY」みたいにトラック設定1曲となっているのは残念、どこから聴いても「マッサージ効果」が得られるように設定して欲しかったと思うが。カルト宗教やメディアによる洗脳なんてアハハンとシニカルに笑みを浮かべつつ、その恐怖感に身震いを覚えずにいられないという、いつの時代でも「今日的」な作品として聴ける恐るべきアルバム。ここ(インターネット)でこんなこと語るのも何かしら複雑な気分。時代背景にも詳しく言及する湯浅さんの解説はためになる。(1999年5月)
遠藤久美子
「夢ロケッツ」

EastWorld TOCT-28095
ついに出たエンクミ・ファースト・アルバム! 最初から最後まで飛ばしまくり、なりふり構わずキャラ暴発の超快(怪?)作! と書こうと思っていたが、この地味なジャケと装丁。最近「人気者でいこう」では「そっくりさん」扱いはされるわ、破天荒さが災いしていよいよアイドル脱皮、もしやアーティスト指向に?との心配が見事的中という気分で、聴く前から「かろうじて気持ちで10位だな」と決めていました。ところがどっこい、エンクミのやる気は別のベクトルでいい方に出ているのでした。噂されていたカジヒデキ作の幻のデビュー曲こそ収録されていないものの、チャー、石井竜也、松任谷正隆、松井常松、ヤマジカズヒデ(!!!)などの豪華メンツにバックアップされ、自らも3種類の楽器をこなすというはりきりよう。確かに歌声はぶっきらぼうなまんまなんだけど、デビュー曲(3)でのひたすら押すだけの歌声を挟む前半4曲の展開は成長の跡がくっきりの意表つきまくりで、特にバラードの(4)など70年代のシンガー・ソング・ライターみたい。山口美央子さんの名曲(6)がスローにリアレンジされているのはちょっと....だけど、Go-Go'sのカバー(7)(バックで演っているMUCH-YOとはガールズ・バンドか?)を経て終盤3曲は飛ばしまくりでこれぞエンクミ。こういうアーティスト指向なら大歓迎でっせ。Dipがバックを固める無鉄砲なパンク童謡(10)の余韻が消えていく中、大人になっても初心のままでいてくれよと彼女の肩をポンと叩きつつ、そっとドラジビュスやチロリアンテープのCDを彼女のバッグに忍び込ませたくなってしまうのだ。そして加藤あいは、果たして歌唱面でエンクミを超越できるのか? (1999年5月)
Looper
"Up A Tree"

Jeepster VJCP-68136 (5/8発売)
今月の「予期せぬ一枚」その2は、ベル&セバスチャンのベーシスト、スチュワート・デイヴィッドによる変名ユニットの初アルバム。ベルセバ自体については、周りが騒げば騒ぐほど聴く機会を避けてるっていうか。オアシス以降のUKポップ・シーン全体に対してそういう気持ちを抱くのは良くないと思いつつ、やっぱ冷め続けてるんだけど。これはびっくり、意表を突かれた一枚です。早い話がストレンジ・ポップ・アルバム。ルーパーって位だからループを基本にして様々な不思議サウンドと語りをコラージュしていくという、個人的にはどっぱまりワールド。さすがベルセバの構成員、テクノの王道的な音には決して向かわず、アコースティックで暖かい音色をローファイにちりばめていく。過去のルルルルで言えばフィアー・オブ・ポップに近いが、さすがUKの人だけあってパラノイア度はその比ではない。セイント・エティエンヌが曲間のつなぎで聴かせる世界にも通じる、ドラマ性の高い悪戯。DJ版「ソング・サイクル」っていうライナーの褒め言葉は言い過ぎと思いつつも、風景を脳裏に描く音楽としては相当上出来。ベルセバもちゃんと聴かねば。あとトラッシュモンクとか。(1999年5月)
Scritti Politti
"Anomie & Bonhomie"

Virgin VJCP-68129 (6/30発売)
やっと戻ってきたグリーン・ガートサイド。なんと11年振りのニュー・アルバムである。11年振りとは全く計算したような....(下のココロの10枚参照) グリーンって、コンスタントにアルバムを出し続けていたら、充分エドウィン・コリンズ、テリー・ホール、スティーヴン・ダフィと並ぶ「ブリットポップ流浪四天王」の一人に成り得た人材だと思う。沈黙が長い分ロディ・フレイムが代りに座ったという印象で。まあ私にとってはあの名盤、前々作「キューピッド&サイケ85」(前々作だよ全く。オアシスなら「モーニング・グローリー」ではないか!)に至る道に相当かぶれてたから、例え美しすぎる「スウィーテスト・ガール」を歌おうが、マイルス・デイヴィスにカバーされたお礼に参加してもらおうが、レゲエのミュージシャンとビートルズを演ろうが、決して消えることない屈折パンク精神がこの人の最大の魅力だったんですよ。もしくはサエキけんぞうさんがレココレ93年12月号でこれを称した言葉「とある妖しくダウナーにナイスな伝統」。いくら腰にくるファンク感をフィルターを通して導入しようが、メロディの陰鬱感やボーカルの旋法が直接脳に来るサイケ感をキープしてる限り陽気には聴けないという。その点を、長い沈黙を経つつも全く失っていないのだからこのアルバムは偉い。打ち込み主体から生的質感を生かしたサウンドにシフトしつつ、大胆にラッパーをフィーチャーしてヒップホップにかなり接近。しかしグリーンの企みにより、本物のヒップホップとトッド・ラングレンの「ノー・ワールド・オーダー」みたいな内向的ラップ(?)のぎりぎり境界線の危うさがある。そして時にかなり激しいバンド・アンサンブルをフィーチャーすることで肉付けもばっちり。しかし主役はあくまでもグリーンのあの声とあのメロディ。こうなったら後戻りできない危険な世界へと導いてしまう、まさにスクリッティ・ポリッティでしかなし得ないもの。極端に言えば「トリコ」。トリコ仕掛けがいっぱいのNice作品。別にポーズとるばっかりがブリットポップじゃない。天然でここまで凄いっつーんだからさすが。ほんと1曲目「UMM」から全開でやられます。泣き所だってちゃんとある。しばし愛聴盤とさせて頂きます。(1999年7月)
The Beta Band
"The Beta Band"

Regal TOCP-65217 (6/23発売)
「オアシス以降の英国ロック」の様々な動きに関しては何やかんや言いつつも結局は冷静に見てるしかない自分をも唖然とさせてしまった存在、それがこのザ・ベータ・バンド。ベック以降の折衷音楽の美味しさをさらに分裂色豊かに発展させたと言われる音楽性で、去年発表の3枚のシングルを集めた編集盤がかなり話題になった。今回の初アルバム発表に乗じて早速本格的チェック。第一印象はただただ、唖然.....。どっからいかなる音が攻めてきても驚かない自分でありますが、この反則技の連続ときたらもう。あらゆるロックの形を飲み込んで、7割消化したまま異形真空パックにして吐き出したような感触。決してデジタルではエディットできない妙な音をこれでもかと生のまま畳み掛け、さらには誰でも知っている曲をもろ解る様にサンプリングしてその余韻を残しながら極端に歪めてフラッシュバックさせるという罪作りな手法。そしてこのリード・ボーカルの歌い方。醒めすぎてかえって冗談のように聴こえる。このCDブックレットも一筋縄ではいかない作りになっている。果たして彼等の意図するものは一体。一般的ブリットポップ像を期待して聴くと絶対やられるが、そのやられ感が結構粘っこい。粘っこいからこそポップの極み。そして一度ポップとしてよく出来てるなと思って聴いた後も、聴く毎に様々な新しい要素に襲われ大変だぁ。ここまで脳内撹拌効果の高い音楽はここ10年なかった。言ってみれば、ラトルズ解散後ダーク・マックイックリー(エリック・アイドル)が結成した「パンク・フロイド」(!)がヒップホップとグランジ・ローファイの洗礼を受けたらこんなアルバムを作りました、みたいな。冗談のようで実は計算しつくされている。Dragon Ashののど**こを切り裂く一つ目お化けのお茶目な純情歌集だ。(1999年7月)
Alexander Spence
"Oar"

Sundazed [US] SC-11075 (1969年発売/7月CD発売)
ロック史に名を残す「孤高の金字塔」の決定盤がついに登場。と同時に、今までこの作品とその責任者に付きまとっていたミステリーをある程度解き明かしてくれる有意義なヒントも添付された、まさに世紀末に咲くリイシューの鏡というべき一枚だ。時は1968年12月、伝説の名グループ、モビー・グレイプに於いてその才気を爆発させながら、度重なる異常行動のため結局孤高の果てに辿りつかざるを得なかったアレキサンダー"スキップ"スペンスが、狂気の岸辺を彷徨いながらたった一人で作り上げたアルバム「OAR」は、その後のロック・シーンに於いて精神裏返し音楽として他に類を見ない存在として徐々に神格化されていったのだが、92年に一度CD化されておきながら殆どまともに聴かれることのなかった幻の傑作である。発売後30年、スキップは時々自然発生的に実現したモビー・グレイプ再結成に参加しつつも、結局正常な状態でロック・シーンに復帰することなく去る4月、とうとう向こう岸へと漂着した。30年行き延びたのは偉いことだなんて感心するよりも、この音楽の中にある痛みはリアルすぎて軽い戯言を拒む。ローファイとかアシッド・フォークなんて形容は無意味である。錯乱したサイケそのものの人格がそのまま刻まれた恐るべき音盤である。この音楽の中で、人格は不気味にせせら笑いしながら、どこか平坦な場所に着陸することなく虚空を彷徨い続ける。聞き手はその彷徨いに静かに身を委ねながら、改めて自分の無力さをその音楽に投影せずにいられない。これこそ万年オルタナティヴ。素晴しい作品。この作品を聴いてその真意を読みとり、自らの表現法で料理してしまった連中の宴が、7位に選出したアルバムである。(1999年8月)
Eternity's Children
"Eternity's Children"

Rev-Ola [UK] CREV062CD (9月発売)
先月のアレクサンダー・スペンスに続いて、再びリイシューものがルルルル・トップになってしまいました。だっていいんだもの。言葉ありますかっつーわけで、このイタニティーズ・チルドレン。68年に中ヒットを記録した"Mrs. Bluebird"を初めて聴いたのは、一体いつのことだったのだろう。FENの「タイム・マシーン」を聴いていたら、陰りのあるサイケなイントロに導かれた夢のようなコーラスの曲が流れて来て、おめめぱっちりだった。しかし曲終了後のDJを聞いても手かがりがつかめず。しばらくしてホイットバーンのビルボード・チャート本を見て、謎が解けた。っつーことは82年頃だったのかな。その本を手にしたのは83年の頭だったから。いずれにせよ、これがソフトロックに開眼したきっかけだったのかもしれない。その後89年に中古盤屋で、このCDにも全曲収録されてるファーストLPを購入。そして例のソフトロック・ブームが来て、カナダだけで出たセカンドLP"Timeless"が幻の名盤として語り草になりまくって、ブート盤まで出回った。そしてやっとSR研究家・ドーン・エデンの出番が来た。彼女の懸命な努力により、去年ボールルームを出して賞賛の嵐を浴びたUKのRev-Olaからリイシューが実現したというわけです。内容はファースト、セカンド全曲とシングルのみのレア・トラック5曲。とかくセカンドの素晴しさばっかり語られていますが、私の回りにいるセンスのいいリスナーはみんなファーストの方がいいって口を揃えて言っております。ほんと、このファーストのけだるさも捨て難い。A面に並ぶ物憂げな楽曲と、B面の夢心地ムード。そのてっぺんにあの青い鳥夫人が堂々と構えちゃってるわけですから涙ものでっせ。オリジナルLPでは事情で名前が外されていたカート・ベッチャーの仕事は控えめながら冴えまくる。随所にカート印としか思えない音作りが顔を出してます。サジタリアスでおなじみ"You Know I've Found A Way"は実はカートのデモをそのまま使用という新事実も.....これを始めライナーは興味深い事実(セカンドがカナダでしか出なかった裏事情とか)を多数明かしており、新鮮な驚きです。無論このファーストの素晴しさが後をひけば、"Timeless"の特にA面の躍動感溢れる天然色ポップがさらに輝きを増すんです。こちらにはカートは関係してないけど、カートから得たものを各メンバーがしっかり噛みしめた成果がよく出てます。ボーナス・トラックに関してはそれ以上のときめきはなかったですね。とにかく自分内では"OAR"に譲るけど、リイシュー大賞って声にも納得の快挙でございます。ルルルンルン!! NICE!!! (1999年9月)
Stereolab
"Cobras and Phases Group Play Voltage In the Milky Night"

Eektra AMCY-7066 (9月15日発売)
昨今のロック界には3つのタイプの「犯」が存在すると私は思う。XTC、ジェリーフィッシュ(アンディ・スターマーらの方)、ハイ・ラマズなどの「確信犯」、ビースティ、ベック、ウィーンなどは「愉快犯」。そしてもう一つの「知能犯」を代表するのが、レニー・クラヴィッツとこのステレオラブではないだろうか。暴論というなかれ、この2組とも過去のポップの遺産をうまく消化して、おしゃれ寸前まで持ち上げてしまうという点では大いに共通するし、その点うるさ型の音楽ファンに誤解されやすいという感もある。電子音楽、ミニマル、ドローン系、ラウンジ、フレンチなど、彼等が意識した音楽はことごとく「イマい」ものに奉り上げられてしまい、「確信犯」のハイ・ラマズとの相乗効果でその幅はさらに広がっているような。しかし前進しないことには聴くほうも面白くない。ってわけで2年振りの新作が登場。これにはやられたね。一聴していつも通りなんだけど、ディテールへの細かい気配りはさらにエスカレート、一つ一つの音の粒子が実にデリケート。聴いててとても気持ちいい。やはり、アルバムの半数をプロデュースした旬な人、ジム・オルークの力が絶大なのだろう。彼にしか出来ない異様なエディット感覚と、その異様さゆえに引き立つ生音の暖かさは、今までのラブの刺ある甘美世界と一線を画す。もちろんショーン・オヘイゲン活躍によりスマイルな液は相当注がれているし、ブラジル音楽からフリー・デザイン、アバ(?)に至るべたなオマージュが顔を出して随所でニヤリとさせる。時間を止めてしまう音楽ならお手のものの彼等のこと、初回のみのボーナスCDを含めると90分強という超大作をあっさりと聴かせてしまう。流石。今回もハイ・ラマズの新作、さらにベックの新作もまたまた時を同じくして登場と、3大「犯」を平列で楽しめる歓び。(1999年9月)
Various
「チャーム&セクシー・コレクション Vol.1」

SME SRCL-4621 (9月22日発売)
カルトGSや女性アイドルのみならず、ボーイズ・アイドルやカルト・フォークに至る貴重な音源を紹介するソニーの「アーリーシリーズ」。若い会社ならではのオープンな制作姿勢が感じられる作品が多いのが幸いしてか、今時珍しい良心的リイシュー方針は大歓迎ですが、この度新たなコンセプトによるコンピが仲間入り。68〜73年というDuBiDuBi黄金期に残された女性歌謡曲の、それも大人の色気が伝わってくる隠れ名曲群が一枚のコンピに結集。「キューティ・ポップ・コレクション」の次の地平にあるこういった曲がまとめられただけでも快挙。しかも相当レアな曲が揃ってる。のっけからあのヘンリー・ミラー夫人、ホキ徳田の思わせぶりな歌唱でこのコンピのテーマを明確に打ち出し、途中朝丘雪路、大信田礼子、金井克子らの王道ネタを挟みながら、内田あかりの名曲「浮世絵の街」(今聴くとテクノ化する前の「狂躁曲」みたい)に辿り付くまで、ウフフンと右へ左へふらつきながらフェロモン歌謡の道を快走。もちろん筒美作品、宇崎竜童、寺内タケシのレア・ワークなど、歌謡史アイテムとしても充分楽しめる。早くからDig者の間で話題になってた倉元恵子の「悪女のすすめ」の不埒な挑発、作家の娘である林マキの「太陽の季節」の陰気な健康さ(ファズバリバリ付き)が素晴しい! 今後の増殖に期待したいコンピです。もちろん他社にもどんどん追随してもらわねば。(1999年9月)
Pierre Henry
「現代のためのミサ/ピエール・アンリ・コレクション」

Philips PHCF-3517 (8月22日発売)
最近の「音響系」のルーツはやはり50〜60年代の電子音楽など実験的な試みにあるんではないかと人並みの事しか言えない自分ではありますが、確かに今ラウンジと言われているような「超俗的」音楽とは全く別の次元で行われていた「知的悪戯」の数々が今最先端ピープルの間で再評価されてもまったくおかしくありません。だって、要はあの時代がとんがっているからに決まってるじゃん。ってことでピエール・アンリ。ロック・ファンにとってはスプーキー・トゥースとの共作「セレモニー」を発表したことで有名な現代音楽の作曲家です。90年代になって、このCDに入っている「サイケ・ロック」が突如クラブ・シーンを賑わしてしまい、先頃は様々なリミキサーにより彼の作品が加工されたアルバム「メタモルフォーゼ」もリリースされましたが、加工前の彼の主要エレクトロニック作品(バレエ音楽として書かれたもの)を集めたのがこのアルバム。62年〜63年という、ロック的には最も静かだった時代に作られた曲も入っていますが、それらを聴くと「ロックンロール」という思想そのものが彼にとってまたとない刺激を与えたことがよく解ります。各音素材の有機的結合と、壊れる寸前のユーモアのセンス、そのアナーキーさはロックそのもので、逆にロック革命を極めんとしていた若者達に刺激を与えたのは確かです。そして67年にはロックそのものを素材として使った「現代のためのミサ」を完成させてしまうわけです。やっと「サイケ・ロック」というタイトルが物を言う時代背景を得たってわけですね。(ちなみに「ロック」部分を作曲したミッシェル・コロムビエは2年後にビーチ・ボーイズの「サンフラワー」で仕事している) 何れにせよ刺激的な音響の嵐。やはり、今一番とんがってるものと上手く交わることができる革新的若手作曲家には、これをお手本にもっともっと頑張ってほしいです。(1999年9月)
Various
"Sunshine Pop Show!! Vol.3"

Sunshine Pop SP-012 (8月19日発売)
近頃何となく乱発気味のギタポ系コンピ。これはスマイル・レコード(Nice!!)傘下のレーベル・サンプラー第3弾。今回のは何か初めて聞く名前ばっかり。試聴機で飛ばし飛ばし聴いてみたら、やっぱあの手のギタポとしか呼べないメンツばっかり。確かに可愛い系のボーカルは素敵、メジャー7thは気持ちいい、でもそればっかり続くと色が単調になってさあ。中にはHDを酷使しまくって凝りに凝った演出を聴かせるPlus-Tech Squeeze Boxとか、壊れ初期フリッパーズみたいのとかHCFDM寸前の奴とかペブルズ音でソフトロックを奏でたような奴とか、"raspberry overnight"というタイトルだけ超美味しいのもあって、部分的にそそるんだけどなぁ、買うまではちょっと.....という気持ちで最後に辿りついたら、凄いのが待っていましたよ。100% Girlの「アリスのティーパーティー」だ! まさに身近にあったものだけでやってみましたというべき乙女度200%の壊れサウンド。ロケチリとほぶらきんの異種格闘的痛快さ。純情むき出しにさせてしまうこの乙女二人が醸し出す2分間だけで、完全に負けてしまいました。買いです。他の音源もきかせてお願い! 他のメンツはこの際もうどうでもいいです。それにしてもジャケは不親切ですよ。一切写真とかURLとか載せてないしさぁ。一体詳細情報を何に頼って見つければいいのだろうか。こういう変な聴き方してる一般人のことも忘れないで欲しいよなぁ。(1999年9月)
Paul McCartney
"Run Devil Run"

MPL TOCP-65269 (10月27日発売)
愛妻リンダを失ったポールが暗闇の中に見つけたひとつの光、それはロックンロール!! ビートルズやジョン・レノンを失った時の絶望感が嘘のように彼は青春を素手で拾い上げ、エネルギーへと変換している。悪魔よ逃げ去り賜へという象徴的タイトルを冠されたポールのロックンロール・アルバム。「イエロー・サブマリン」の興奮が持続している間にさりげなく発売してしまうというのもあれだが、これはほんと聞き過ごしてはならない重要アルバム。ロックンロールという在り方がこれほどまでにオープンに、飾りなく畳み掛けてくるアルバムは近年稀である。ジョン・レノンと初めて出会って40年、紆余曲折を経ながらも心の拠点はロックンロールで在り続けたポールの人間らしさが表現されているのだ。ジョンがヨーコとの別居期間中、たまらない喪失感に後押しされて作ったロックンロール・アルバムのような邪悪な影もここにはない。90年代のアルバムとしては元プリ様の「カオス&ディスオーダー」のみが比肩しうる短い制作期間と、最強のバック・メンバーを得て童心に戻ったように暴れまくるポール。「神秘」のアックスマスターと「スピード・キング」のビート鬼、そして「エヴリバディーズ・ガット・サムシング....」のベース野郎が組んでるんだからこれ以上強力なロック・グルーヴはない。選曲もかなり渋いものに重点を置いている。何せ「シー・セッド・イエー」なんぞストーンズ65年の、彼等の中でも最も破壊力溢れるヴァージョンに比べてもまだまだハードコアだね。この様な原点回帰アルバムに続いて今度は3枚目のクラシック・アルバムをリリースと、その引き出しの幅広さも前衛そのもののポール、64を過ぎても(あと7年あるって)お盛んに暴れ回ってくれ!!! 最後にこのタイトルは66年のインスト曲に「Run James Run」(後に改題されてあの超名盤のタイトル曲となる)と仮タイトルを付け、ジェームス・ポール・マッカートニーに挑戦状を叩きつけたホーソンの双子座好敵手に対する余裕の返答なのだろうか? (1999年11月)
ZZ Top
"XXX"

RCA BVCP-21096 (10月21日発売)
結成30周年を迎えた宇宙最強のロック・トライアングル、ZZトップ。前作から3年のインターバルがあったが、その間例の車のCM出演で一気に日本のファンにとっての親近感が急上昇、今年はフジロック出演のため13年振りの来日も実現。ちょっと遅れてしまったが、ここに通算14枚目となる新作到着。ベストを含んで5枚と、あの疾走の80年代よりも発売アルバム数は多くなったが、そんな90年代の彼等はただひたすら地道にブルースと向き合い、派手さを捨てつつも音楽的熟成度は高まったという印象。このアルバムはまさにそんな彼等の90年代の集大成。このテクノ全盛期にかつてのバシバシな打ち込みサウンドを埋葬し、代わってドライかつ歪みまくったギター・サウンドを前面に打ち出した痛快な音作りは極限にまで達してる。そして年輪故の枯れた味わいがますます加速。テキサス名物のアルマジロの皮漬けビール(あるんかそんなもん?)そのものだね。「ポークチョップ・サンドイッチ」などますます冴えた比喩術によるブルースな歌詞も彼等ならでは。ドラムンベースへの返答というべきインストやら、日本のファンをにんまりさせるボーナス・トラックもあり。最後は強力ライヴ・トラック4連発。エルヴィス曲をロウダウン・ブルースに解釈するなんて素晴しすぎ。A級の対局としてのZ級ではない、まさにZZ級としか言い様のないロックが溢れたGoodアルバム。だからやめらんないんだよ。(1999年11月)
Various
"Happy Together-The Very Best Of White Whale Records"

Varese Sarabande CVVC-8017 (10月25日発売)
タートルズと共に咲き、タートルズと共に散ったと言っても過言ではないLAの名ポップ・レーベル、ホワイト・ホエール。今回良心の極みであるヴァレーズから届けられたのは、そんな白鯨レーベルの軌跡を辿った21曲入りのコンピ。21曲中、お約束のタートルズは3曲で、むしろ目玉は彼ら以外にもちゃんといましたって感じの隠れ名曲群の方。その中にはウォーレン・ジヴォン、ダニー・ウィッテン、ポール・デイヴィス等の初期仕事もあるし、なかなかの出来のガレージ曲、ソフトロック、バブルガムもあり。なんとマーク・ボラン加入以前のジョンズ・チルドレンの曲をライセンス発売もしていた。ゲイリー・ゼクリーの名仕事、ザ・クリークもちゃんと収録。しかし、そんな中にポツンとたたずむ哀愁のメキシカン・サウンド、レネ&レネの"Lo Mucho Que Te Quiero"の醸し出す異様なオーラに、我が耳はやられてしまう。サイケ時代というのに国境の向こうはこれ程まで無垢だったとは。まっすぐなハーモニーと哀愁のオルガン。結果としてこの曲は、カウシルズの「ヘアー」、テンプテーションズの「クラウド・ナイン」が最高位を記録した同じ週になんと14位という、タートルズ以外では最大のヒットをこのレーベルにもたらしてしまった。もち、タートルズとクリークに挟まれてこそこの曲のオーラは光輝くってことで、実に有意義なコンピである。残念ながら未収録だが、ドリーミー・サイケの名盤、J.K.&Co.の"Suddenly One Summer"(このLPから32秒の"Break Of Dawn"がシングル・カットされたと、ライナーに添付された業界誌の記事が伝えている)もまるごと復刻してほしいなと思いますヴァレーズさん。(1999年11月)
Various
「アーリー70's・フィーメイル・アイドル・コレクション Vol.2」

SME SRCL-4622 (9月22日発売)
前回紹介の「チャーム&セクシー・コレクション」はお陰様で大好評のようですが、それと同時発売されたソニーの70年代アイドル・コンピ第2集を遅ればせながら紹介。Vol.1は高沢順子の「青春の1ページ」一曲のお陰で去年6月のルルルル1位にまで高められたんですが、今回はそれ程の飛び道具はないもののなかなか健闘のセレクションです。オープニングからして強力な鶴間エリ。これで彼女のシングルA面は全てCD化されたんですよ。イントロの声は阿久悠先生? DuBiDuBi時代との架け橋的存在の松木さよりやルリーズ(前身はつや&みや)、スタ誕出身のコスモス、筒美作品を歌う優雅や水沢アキをフォローしつつ、奈良富士子、朝加真由美や池上季実子、早乙女愛(新旧愛ちゃんの競演!)らの貴重な歌唱に耳を傾かせる。しかし何がいいってアナーキーそのものの池田ひろ子「恋のABC」がまた聴けることだ。やっぱ穂口雄右、未だ死なぬアウトキャスト魂! 松田かんな「恋は動物園」を併せて聴きたくなる(だから東芝さんもお願い!) デルモ系歌唱のルーツな秋本圭子「蝶」だって入ってるし、有吉ジュンの名曲「涙があればいい」は佐伯("愛ちゃん")一郎作品だよ。そして相変わらず近藤久美子に胸キュン。最後に景山美紀の「青春のしぶき」はモーニング娘。だわ.....ジャケ写が。両手挙げて大好きっていいたいアイドル黄金期のかけら達。(1999年11月)
COCA
"Pulse"

Happy Go Lucky YHCA-1005 (3/3発売)
幼い頃ピアノをちょっと習っていたけど、音楽の授業はイヤで、カラオケは付き合いで行っても歌わないけど歌うならニルヴァーナ。そんな女の子に一通りの楽器と「スマイリー」と「サタニック」と効果音一式のCD、一週間分の宇宙食を与えて一週間スタジオに缶詰めにしてアルバムを作らせる。自分で一番聴いてみたいのはそんなアルバムだな。このCOCAのアルバムの質感はまさにそれに近い感じ。丁度発売の頃タワーの店頭で配ってた無料カセットを聴いて「おおっ」と思いつつ、買うチャンスを逸してたんでした。ごめんなさい。元エレキブランのベースのコによる基本的に一人ユニットで、前衛的なコラージュ・センスを時折織り混ぜつつ手弾きの質感を生かした病的ポップ・ミュージックを聴かせてくれる。病的といってもイールズみたいな閉鎖性はこれっぽっちもない。目をらんらんさせて彼女のベッドルームへと行進していける。何せ女の子が一人でやってるってだけでもときめきませんか。センシティヴな歌声、ぶきっちょなギター、全体的に歪んだ音像の中奏でられるちょっぴり外し気味のピアノが何ともいえないトーンを醸し出す、実に中毒性の高いサウンド。今後より一層の屈折が期待される。以上、3月発売、手にしたのは7月、一旦ルルルル文書いたものの新鮮味が薄れてるという理由で没に。より新鮮味が薄れた今、これほどまでの快作が埋もれるのはもったいないという理由で没になったルルルル文を掘り起こしてしまいました。(1999年12月)

おまけ:妄想スペシャルはこちらより!

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